
2050年ネットゼロに向けた日欧におけるカーボンプライシングの動向
2024年8月1日
みずほリサーチ&テクノロジーズ
サステナビリティコンサルティング第1部 コンサルタント
金池 綾夏
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*本稿は、『RE-SEED』 Vol.31(発行:環境不動産普及促進機構、2024年7月発行)に掲載されたものを、同編集部の承諾のもと掲載しております。
はじめに
2023年5月12日、「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律」(以下、GX推進法)が成立し(5月19日公布)、日本における新たな2つのカーボンプライシングの導入が定められた。制度実施に必要となる法整備は、GX推進法の施行から2年以内に行われるとされており、既存のカーボンプライシングである地球温暖化対策のための税(地球温暖化対策税)との組み合わせを含め、その制度設計に注目が集まる。
本稿では、カーボンプライシングの概要について説明し、日本に先んじて排出量取引制度を導入し、2050年ネットゼロに向けた強化を進めているEUの動向について紹介する。その上で、日本のカーボンプライシングの最近の取組を整理しつつ、今後について展望する。
カーボンプライシングとは
カーボンプライシングとは、炭素の排出に価格付けする(価格シグナルを与える)ことにより排出削減を促す制度である。政府が排出量に応じた費用負担を排出者に義務付ける規制的な手法に加え、企業による自主的な取組による排出削減量や除去量を政府等が認証するカーボンクレジット制度をカーボンプライシングと位置付ける場合もあるが、本稿では前者の規制的な手法について取り上げる。
規制的なカーボンプライシングには炭素税と排出量取引制度がある。炭素税は政府が税率水準を設定するため価格の予見可能性が高いことが特徴である一方、排出削減に不確実性があることが難点とされる。排出量取引制度(このうちキャップアンドトレード)は、政府が対象部門全体の排出上限(キャップ)を定めて排出量をコントロールすることから、より確実な排出削減を導くことができるとされる。他方で、排出枠が不足する企業と余る企業との間での需給バランスを踏まえ、排出枠の取引価格が日々変動することから、企業の投資予見性が低いことが課題とされる。
世界銀行によれば、2024年4月時点で、炭素税39、排出量取引制度36の計75の規制的なカーボンプライシングが世界で導入されており、世界全体の温室効果ガス(GHG)排出量の約24%をカバーしている。これらの足元の炭素価格は1トンあたり数ドルから160ドル超と幅があり、EUの排出量取引制度の排出枠価格や欧州各国で実施されている炭素税の税率は高い水準にある。2℃目標の達成には2030年までに1トンあたり63ドルから127ドル(2024年価格)の炭素価格が必要とされているが、現時点でその水準でカバーされるGHG排出量は世界全体の排出量の1%未満に留まっているとされる。世界銀行は、カーボンプライシングは拡大しているものの、その多くにおいて炭素価格は不十分であると指摘している*1。
EUにおけるカーボンプライシングの動向
本項では、世界で初めて排出量取引制度を導入したEUを先進事例として取りあげる。EU全体の2030年排出削減目標を40%削減から55%削減(1990年比)に引き上げたことを踏まえ、欧州委員会は、2021年7月に、その実現に向けた気候変動対策パッケージ「Fit for 55」を発表した。既存制度であるEU ETSの強化に向けた改正、EU ETS対象外である業務・家庭・運輸部門等を対象とする新たな排出量取引制度(ETS2)や域外からの輸入製品に対する炭素国境調整措置(CBAM)の導入について提案し、2023年に施行されている。以降、これら制度について紹介する。
(欧州域内排出量取引制度(EU ETS))
EU ETSは2005年に導入され、現在は第4フェーズ(2021~2030年)である。EU27か国、アイスランド、リヒテンシュタイン及びノルウェーの30か国が参加している。発電・産業の固定施設、域内航空の事業者に加え、2024年から新たに域内と域内外を運航する海運事業者が対象に加わった*2。対象部門全体で2030年にGHGを62%削減(2005年比)することを目指している(図表1)。
EU ETSでは、産業部門に対する負担軽減措置として、鉄鋼やセメントなど炭素リーケージリスク(炭素価格がより高い地域から低い地域に企業が転出することで、炭素価格がより低い地域の排出量が増加すること)が高いと特定された業種に、一定の排出枠(域内企業のGHG排出原単位の上位10%平均値をベースとするベンチマークに、過去の生産量と掛け合わせて算出)を無償で割り当てている。他方、発電部門は排出量に相当する排出枠の原則全量をオークションや二次市場で購入する必要があるが、その価格転嫁による電気料金の上昇によって炭素リーケージリスクにさらされる同じく鉄鋼などの電力多消費産業への対応として、電気料金の上昇分を補償する支援措置(State Aid)も導入されている。
図表1 EU ETS(第4フェーズ)の概要
開始年 |
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部門 |
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対象者 |
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削減水準 |
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割当方法 |
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(出典)EU ETS指令(DIRECTIVE 2003/87/EC)よりみずほリサーチ&テクノロジーズ作成
EU ETSの排出枠の取引価格*3は、排出枠の過剰供給により2017年頃までは10ユーロ/トンを下回る水準で推移していた。その後、供給過多となっていた排出枠の流通量を調整する市場安定化措置の導入や第4フェーズにおけるキャップ削減率の強化を背景に価格は上昇傾向に転じ、2022年にはガス価格の高騰等を受けて100ユーロ/トン近くに達した。2024年に入ってからは、再エネの普及やエネルギー価格高騰を受けた産業活動の停滞による排出枠の需要減少により取引価格は抑制気味であり、足元の価格は60~70ユーロ/トンで推移している。このように、政府の政策動向や排出枠流通量の調節措置、ガスと石炭の価格、企業の生産活動、天候等の影響を受けて排出枠の取引価格は変動している。なお、今後の価格について、例えばBloombergNEF*4は、短期的には足元の抑制傾向が継続するものの、2026年には産業部門への無償割当の削減開始などにより需要増加が見込まれること、また供給される排出枠が次第に減少することなどから、価格は2030年150ユーロ/トン、2035年194ユーロ/トンと上昇が続くと見通している。
(業務部門等を対象とする新たな排出量取引制度(ETS2))
EUでは2050年ネットゼロの達成に向けてEU ETS対象部門以外の排出削減を推進すべく、業務、家庭、運輸(道路輸送)、及びEU ETS対象外の産業部門を対象とするETS2を2027年から新たに導入する(図表2)。当面は両制度が併存するが、2031年10月までにはEU ETSへの統合について評価が行われる予定である。EU ETSと異なる点は、排出主体を義務対象とするEU ETSに対し、同制度は対象部門に燃料を供給する上流の事業者を対象とすることである。これは、該当部門の排出主体の数が膨大であることから、制度の対象者を限定し管理コストを抑えるためとされている。上流の事業者を対象とすることから、最終的にEU ETS対象事業者に流通される燃料についてもETS2による炭素価格の二重負担が生じ得る。その対応策として、各国はオークション収入を二重負担の金銭的補償に活用することが認められている。今後欧州委員会が二重負担の回避策と金銭的補償に関する詳細規則を策定する予定であり、制度のすみ分けが図られている。また、オークション収入は、二重負担の金銭的補償、及び気候変動対策のほか、本制度による影響を受けやすい低所得者層などへの脱炭素支援に活用することとされている*2。
図表2 ETS2の概要
開始年 |
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部門 |
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対象者 |
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削減水準 |
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割当方法 |
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二重負担への対応 |
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公正な移行 |
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(出典)EU ETS指令(DIRECTIVE 2003/87/EC)よりみずほリサーチ&テクノロジーズ作成
(EU ETSと各国制度のすみ分け)
世界銀行によれば、EU ETSの対象の30か国のうち18か国において、独自の炭素税や排出量取引制度が導入されている。このうちG7諸国のフランスでは2014年から化石燃料に係る炭素税が導入されているほか、ドイツでは2021年にEU ETS対象外の熱利用・運輸の燃料全般を対象とした国内排出量取引制度が上述のETS2に先んじて導入されている。フランスではEU ETS対象企業は国内炭素税を含まない価格で燃料を購入することが可能であり、ドイツではEU ETS対象企業を国内制度の対象外とする措置がとられている。なお、いずれも、EU ETS対象企業が国内制度の炭素価格を含んだ価格で燃料を購入せざるを得なかった場合は、後に還付措置を受けることも認められている。このように、自国の制度を持つ国の多くにおいて二重負担への配慮がなされている。
(炭素国境調整措置(CBAM))
CBAMとは、EU域外を対象とするカーボンプライシングであり、EUと比べて炭素価格が低い国からの鉄鋼やセメント等の輸入に際し、その製品の直接排出量や一部の間接排出量について、EU ETS相当の炭素価格の負担を輸入者に求める措置である(図表3)。今後、EU ETSにおける産業に対する無償割当を削減していく中で、域内企業の炭素リーケージリスクに対応しつつ、他国に対して排出削減のインセンティブを与えることを目的としている*5。CBAMは、EU ETSの無償割当の削減スケジュールにあわせて、2026年から2034年にかけて段階的に導入される。製品の製造に際し原産地国で支払われた炭素価格分は差し引くことができるが、その計算方法の詳細は現時点(2024年5月時点)では明らかになっていない。
EU ETSと異なる点として、①製品レベルの排出量を対象とする(EU ETSは施設レベルの排出量を対象とする)、②直接排出量だけでなく間接排出量も対象に含む、③排出枠の取引は行われない、などがあげられる。CBAMに対しては、WTOルールとの整合性、排出量の算定方法、機密情報の漏洩リスクなど各国から懸念の声があがっており、特に中国・インド・ブラジルなどはCBAMに強く反対する姿勢を示している。一方、CBAMの影響が特に大きいとされるトルコは、国内排出量取引制度の導入に向けた準備を進めているほか、英国や豪州では国境調整措置の導入を検討するなど、EUに追随した新たな動きもみられる。
CBAMが日本に及ぼす影響について、現時点でEUへの輸出割合が高くないなどの理由から影響は限定的とされるが*6、今後CBAMの対象製品が拡大予定であるため引き続き制度動向を注視する必要がある。
図表3 炭素国境調整措置の概要
対象国 |
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対象製品 |
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対象排出量 |
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価格・購入量 |
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スケジュール |
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(出典)CBAM規則(REGULATION (EU) 2023/956)よりみずほリサーチ&テクノロジーズ作成
日本におけるカーボンプライシングの動向
日本では、2012年度より炭素税として地球温暖化対策税が導入されているほか、東京都と埼玉県で地域レベルの排出量取引制度が導入されている。加えて2050年カーボンニュートラルに向けてGX(グリーントランスフォーメーション)を促進するべく、「成長志向型カーボンプライシング」として新たに化石燃料賦課金と排出量取引制度の有償割当が導入される予定である。以降では、日本におけるカーボンプライシングの取組を整理したうえで、今後について展望する。
(地球温暖化対策税)
地球温暖化対策税は、石油石炭税の特例として、化石燃料の重量に応じて設定された本則税率に排出1トンあたりの税率を上乗せする形で2012年10月に導入された。税率289円/トンはEU ETSの排出枠価格や他のEU各国の炭素税率と比較して低い水準であるが、国内GHG排出量の約75%と広範囲をカバーしている(図表4)*7。地球温暖化対策税は、広く薄く負担を求めることで、特定の分野・産業への過重な負担を回避するよう設計された制度といえる。
図表4 欧州諸国の炭素税率の比較(2024年1月時点)
国 | 導入年 | 税率 | カバー率 |
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スウェーデン | 1991年 | 19,240円/tCO2 | 40% |
スイス | 2008年 | 16,560円/tCO2 | 33% |
ノルウェー | 1991年 | 15,288円/tCO2 | 66% |
フィンランド | 1990年 | 8,680円/tCO2 | 36% |
国 | 導入年 | 税率 | カバー率 |
---|---|---|---|
ポルトガル | 2015年 | 7,874円/tCO2 | 29% |
アイルランド | 2010年 | 7,840円/tCO2 | 49% |
フランス | 2014年 | 6,244円/tCO2 | 35% |
デンマーク | 1992年 | 3,718円/tCO2 | 35% |
(出典)環境省税制全体のグリーン化推進検討会資料よりみずほリサーチ&テクノロジーズ作成
(成長志向型カーボンプライシング)
日本では、GX推進法に基づき、化石燃料賦課金と排出量取引制度における発電部門への有償割当が導入されることとなった。政府が2023年度から10年間で20兆円分のGX経済移行債を発行することにより先行投資支援を行い、2028年度開始の化石燃料賦課金と2033年度開始の排出量取引制度の有償割当から得られた収入をGX経済移行債の償還に充てる仕組みとなっている。
2028年度から導入される化石燃料賦課金は、対象を化石燃料の採取・輸入事業者とするなど地球温暖化対策税と類似した制度であるが、税率を国会で議決する必要がある租税に対して、賦課金は負担の水準を政省令で定めることが可能であり、柔軟な税率の変更が行えるとされる。一方の排出量取引制度は、参加義務のない試行フェーズ(2023~2025年度)、一定規模以上の排出企業に参加を義務付けるとされる第2フェーズ(2026~2032年度)を経て、2033年度から排出量の多い発電部門を対象として排出枠の有償割当を段階的に行うとしている。有償割当が多いほど発電部門への排出削減インセンティブを与えることができるが、排出枠の総量に占める有償割当の割合は明らかとなっていない。
日本では今後、地球温暖化対策税を含めた3つのカーボンプライシングが併存することとなる。今夏以降に始まるとされる化石燃料賦課金と排出量取引制度の具体化の検討において、制度の詳細だけでなく、二重負担の回避や還付の方法など制度のすみ分けに関する議論にも注目が集まる。
また、GX推進法では、既存制度(石油石炭税、再エネ賦課金制度)による負担が減少する範囲を上限として化石燃料賦課金や排出量取引制度の有償割当を導入するとしている。価格上昇の余地がそもそも限られていることが分かるが、このことは、日本エネルギー経済研究所の試算(2050年度に2013年度比で排出量を90%削減するケースにおいて、2050年度時点の化石燃料賦課金の価格は6,094円/トン、2049年度時点の排出量取引制度の価格は19,078円/トン、2030年代前半はいずれも数百円から数千円程度とそれよりも低い水準)*8からも読み取れる。前述のEUをはじめとする海外の国々で日本よりも相当高い炭素価格が課され、かつ国境調整措置の導入が進んだ場合、政府は国内の炭素価格の引上げ圧力にさらされることになる。将来的には、カーボンプライシングの価格上昇の制限を取り除くべく、法律の見直しが議論の俎上に上がる可能性も考えられる。
おわりに
今後、日本では新たなカーボンプライシングの具体化が進められる。制度設計にあたっては、EUをはじめとする諸外国の取組も参考にしつつ、排出削減に実効性のある制度が構築されるよう、今後の議論に引き続き注目したい。
参考文献
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*1世界銀行(2024)「State and Trends of Carbon Pricing 2024」
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*2EU ETS指令(DIRECTIVE 2003/87/EC)
-
*3ETC CM(2023)「ETC CM report 2023/07: : Trends and projections in the EU ETS in 2023. The EU Emissions Trading System in numbers」及びERCST(2024)「ERCST COMMENTARY EU carbon price: regulatory intervention, economic cycle, market fundamentals」
-
*4BloombergNEFウェブページ「EU ETS Market Outlook 1H 2024: Prices Valley Before Rally」
-
*5CBAM規則(REGULATION (EU) 2023/956)
-
*6日本経済団体連合会ウェブページ「EUの炭素国境調整措置」
-
*7環境省税制全体のグリーン化推進検討会(令和6年3月)「参考資料 諸外国におけるカーボンプライシングの導入状況等」
-
*8一般財団法人日本エネルギー経済研究所(2023)「20兆円の歳入を生むカーボンプライス」
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