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2022年2月25日

多様なヤング・若者ケアラーの声に耳を傾けて

社会政策コンサルティング部 小佐野 有紀

若者ケアラーとしての経験

少し眉を上げて、言葉少なに「ふぅん…」「へぇ…」と言う。大学1年生のころ、家族と一緒に祖父を介護していることを周囲の友だちに告げると、きまって薄い反応が返ってきた。きっと、学生の私が介護に関わることなど予想外で、みんな戸惑っていたのだと思う。

ヤングケアラー・若者ケアラーとは

厚生労働省のホームページ*1では、本来大人が担うと想定されているような家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもを「ヤングケアラー」として説明している。ただ、「本来大人が担うと想定されているような」「日常的に」という文言が具体的にどの程度の状態を指すのかには幅があり、また、法令上の定義もない。 しかし、ヤングケアラーは確かにこの日本社会に存在している。

厚生労働省と文部科学省が令和2年度に行った実態調査*2では、「世話をしている家族がいる」という生徒が中学2年生では 5.7%、全日制の高校2年生では 4.1%いることが明らかになった。そのうち「自分の時間がとれない」「宿題をする時間や勉強する時間がとれない」と訴える者の割合は約1.5~2割近くにのぼり*3、大きなケア責任が子ども自身の学業や就職、友人関係へ影響を及ぼす可能性があることが伺える。

また、あまり知られていないが、18歳からおおむね30歳代までのケアラーを想定した*4枠組みとして、「若者ケアラー」というものがある。先行研究において、子どもから大人へと移行する過程でケアを担うことにより、進学や就職等のキャリアの選択、恋愛・結婚などその後の人生を左右する事柄に影響が出ること、ゆえにこの年代に特化した支援が必要であることなどが指摘されて久しい。

国による支援の方向性

こういった背景から、ヤング・若者ケアラーへの支援の仕組みを整備することは、日本社会における重要な課題として認識されてきた。そして2021年3月、埼玉県で全国初のケアラー支援条例が設置され、それをメディアが大きく取り扱ったのを皮切りに、世間一般の注目が集まるようになった。

それに背中を押されるようにして、ヤング・若者ケアラー支援の体制整備が進みつつある。例えば最近では、令和4年度診療報酬改定の項目として、病院が介護施設や教育機関と連携してヤングケアラーを支援した場合に、報酬を加算する仕組みが設置される方向性が示されている。

元若者ケアラーの私のおもい

こういった流れの中では、「ヤング・若者ケアラーであることは機会の損失だ」とも読み取れるメッセージが度々発されてきた。例えば、厚労省が設置しているヤングケアラーについての特設ホームページ*5には、下記のような文言がある。

「ヤングケアラーは、年齢等に見合わない重い責任や負担を負うことで、本当なら享受できたはずの、勉強に励む時間、部活に打ち込む時間、将来に思いを巡らせる時間、友人との他愛ない時間…これらの「子どもとしての時間」と引き換えに、家事や家族の世話をしていることがあります。」

実は、私が介護をしていた時にも、同じように心配してくれる人がいた。「もったいないよ!今が人生で一番自由な時期なんだから、やりたいことをやって行きたいところに行かなきゃ」と。

私は祖父が亡くなってから、その言葉通り、自分のための時間をたくさん過ごして大人になった。だからその大切さはよくわかるし、現在ヤング・若者ケアラーとして生活している人たちにも、同様の機会があってほしいと思う。

しかしその一方で、心の中にいるかつての私が「違う」と叫ぶ。あの頃の私は、病床の祖父との毎日に生まれる喜怒哀楽や、そこから学んだことを肯定したくて、日々もがいていたのだった。

介護が私にもたらしたものを認めたい

祖父は、私の人生の先生だった。例えば、脳の腫瘍が大きくなるに従い感情を露わにしながら話すようになった祖父を見て、人は身体的な都合に心の在り方を左右されるのだということを知った。そしてたとえそうであっても、自分にとって祖父が大切な人であるという事実が揺るがないことに驚いた。私は介護の経験を通じて、人がいつか衰えるということに寛容になることができたと思う。

また、これまで拠り所としていた人の命がだんだんと萎んでいくというのはそれなりに悲しい経験だったのだが、今度は自分が支える側に回ることで、私は頼られることの喜びを知った。不完全であるということは、他者に活躍の場をもたらす「のびしろ」になるのだ。たとえ能動的な存在ではなくても、人はただ存在しているだけで十分に社会的な役割を全うしているのだということに、私は祖父がいなくなった後にその思い出を反芻する中で気づくことができた。

私はそんな介護という経験を、意味あるものとして自分の人生に位置付けたかった。私が周囲に求めていたのは、「もったいない」という声ではなくて、自分で自分を認めるためのサポートだったのだ。

ひとりひとりのおもいに伴走することが支援の第一歩になる

もちろん、ヤング・若者ケアラーは一枚岩ではない。ケアに時間や体力をとられて追い詰められている当事者は、「ケアさえなければ…」と悔しさをにじませるかもしれないし、大事な家族を支えることを生き甲斐としている当事者は、「他者から認められるかどうかなんて関係ない」と語るかもしれない。私の声は、決して当事者を代表してなどいない。

しかし、私たちヤング・若者ケアラーにとって、ケア経験が「人生の一部」であることは確かだ。そこから生まれたおもいを周囲が傾聴することで、結果的に当事者がヤング・若者ケアラーであること/あったことに何らかの意味を見出すことができれば、それは当事者が未来を生きる上でのゆるぎない基盤になるだろう。

ヤング・若者ケアラー支援の第一歩は、ケアによって失われたものを決めつけ、その境遇に胸を痛めることではない。多様な当事者それぞれがケア経験をどうとらえているのかに耳を傾け、伴走しながら、ともに議論を進めていくことなのではないだろうか。

参考文献等

  1. *1)厚生労働省ホームページ ヤングケアラーについて
  2. *2)令和2年度 子ども・子育て支援推進調査研究事業 「ヤングケアラーの実態に関する調査研究 報告書」(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
  3. *3)下記データより算出。
    「自分の時間が取れない」 中学2年生 20.1%、全日制高校2年生 16.6%
    「宿題をする時間や勉強する時間が取れない」 中学2年生 16.0%、全日制高校2年生 13.3%
  4. *4)青木由美恵(2018).「ケアを担う子供(ヤングケアラー)・若者ケアラー -認知症の人々の傍らにも-」『認知症ケア研究誌』2, pp.78-84
  5. *5)特設ホームページ 「子どもが子どもでいられる街に。―ヤングケアラーを支える社会を目指して―」