みずほリサーチ&テクノロジーズ コンサルティング本部 特別顧問 廣崎 淳
スパコン「富岳」は、性能を評価する様々なランキング(スパコンランキング)において、2020年6月から約2年間にわたって4部門で首位を維持してきました。今年5月発表のランキングにおいて、スパコンの純粋な計算性能を表す指標「TOP500」では米オークリッジ国立研究所のスパコン「フロンティア」に首位を譲り2位となりましたが、産業利用などにおいて実際のアプリケーションを効率よく処理する指標「HPCG」や多種多様な応用力を持つグラフ解析の性能指標「Graph500」では依然首位を維持しています。
各国で競うように行われているコンピュータ技術のハード、ソフト両面の進展により、コンピュータの能力向上は続いており、社会へ及ぼすインパクトがますます拡大しています。
「富岳」の共用開始は2021年3月でしたが、新型コロナウイルス感染関連での飛沫の拡散シミュレーション結果の報道などもあり、その成果を目にする機会も多くなっていると思います。なお、この飛沫の拡散シミュレーションの成果はスパコン界のノーベル賞といわれるゴードン・ベル賞のCOVID-19研究特別賞を受賞しています。
また、理化学研究所のHPに紹介されていますが、飛沫の拡散シミュレーションの他にも「富岳」を活用した成果として、新型コロナウイルス表面に存在するスパイクタンパク質の構造変化を引き起こす分子機構の解明、新薬開発につながる新型コロナウイルスが作る酵素タンパク質の機能を阻害する候補化合物の発見などの成果*1も生まれています。
新型コロナウイルス関連以外でも、豪雨をもたらす線状降水帯のリアルタイムシミュレーションの実験や、従来、水槽実験や風洞実験で行っていた船舶や自動車の性能評価をコンピュータシミュレーションで完全に代替できる可能性が示されており、社会や産業への貢献が期待されています。後者のシミュレーションには当社の社員も参加しており、ゴードン・ベル賞の最終候補に選出され*2世界的に注目される成果となっています。
さらに「富岳」の活用においては、シミュレーション技術やAI技術、データサイエンスが融合した新しい展開も進んでおり、社会、産業を大きく変えるインパクトを持つようになっています。
このように大きな可能性を秘めたスパコン技術の発展において、日本でのフラッグシップスパコンの開発は、「地球シミュレータ」「京」「富岳」と国が主導してきました。一方、最近の米国では、グーグル、エヌビディア、AWS、メタ、テスラ、マイクロソフトなど民間企業でAIに特化したスパコンを開発する動きが加速しており、ビジネスの世界における競争も激しい状況になっています。
国が主導してきた最先端スパコン開発ですが、日本においても、その成果を産業競争力強化につなげようとスーパーコンピューティング技術産業応用協議会など多くの活動が行われています。この協議会は、HPCI(High Performance Computing Infrastructure)の産業界におけるユーザコミュニティ代表としてHPCIコンソーシアムに加盟し、幅広いエンドユーザの視点で、HPCの利活用推進に向けての実態調査、意見取りまとめ、そして関係省庁や関係機関への実態に裏打ちされた提言活動等を積極的に進めています。筆者は、協議会の前運営委員長として、先日、協議会でまとめた提言を文部科学省に説明する機会がありましたので、提言を中心にスパコンの産業利用の現状の一端をお伝えしたいと思います。
まず、産業界におけるスーパーコンピューティング技術に対する期待について触れたいと思います。協議会では会員の意見を取りまとめて、将来のシミュレーションニーズに関するロードマップ*3を作成しています。そこから抜粋したものを下表に示しますが、様々な分野での活用が期待されていることが分かります。会員のシミュレーションニーズとしてまとめられているのは現状では表のとおりですが、シミュレーション技術とAI技術やデータサイエンスとの融合などの技術開発が日進月歩で進められていて、期待される領域は拡大し続けています。
表 将来のシミュレーションニーズ(産応協技術ロードマップより抜粋)
左右スクロールで表全体を閲覧できます
材料・化学分野 |
触媒反応 |
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表面・界面反応 |
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励起状態 |
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有機デバイス材料 |
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共重合ポリマー、ポリマーブレンド |
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建設分野 |
都市・建築のレジリエンス強化(極端気象) |
水素爆発 |
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温熱環境 |
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高層建物の耐風設計 |
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機械分野 |
CFRP形成 |
冷凍サイクル(混相流シミュレーション) |
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スマートシティ・ビル・ハウス制御 |
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インフラシステム |
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輸送機械 |
内燃機関 |
ガスタービン(ジェットエンジン) |
|
空力・空力騒音 |
これまでの長年にわたる関係各位のご尽力により、フラッグシップスパコンを活用した産業利用における研究開発は大きく進んできましたが、さらなるスパコン技術の産業利用にあたっては、国の研究基盤や国で開発したアプリケーションソフトウェアなどにおいても企業による利用促進が益々期待されており、それぞれの利用環境との最適化を図りながら活用を進めていく必要があります。
こういったことも含めて、協議会会員の意見、課題を取りまとめた提言を6月28日に文部科学省研究振興局長にご説明しました。一部抜粋したものを以下に示しますが、提言全体*4は協議会のHPに掲載されていますのでぜひご参照ください。
①「富岳」利用者支援の充実と利用環境の整備
- 申請手続等のさらなる簡素化
- 産業界での利用ニーズの高いアプリケーションの整備
「富岳」のパフォーマンスを引き出すためのアプリケーションのチューニング等に関する技術は専門性が高く特化しており、企業ユーザが技術習得を行うハードルは高い。 - 通信環境の高速化やリモート可視化の整備
大容量化するデータのハンドリングや可視化をリアルタイムで行いたいというニーズが高い。
②産業利用のためのアプリケーション開発と普及の推進
- 社会や産業の発展に寄与し成果を公開する課題の無償利用の継続
「富岳」の利用は研究開発目的に限定されるため、個別企業の利益に直結する利用(プロダクション・ラン)は行わない。 - 成果を非公開とする利用については、国際的な自由競争の観点から政府による保護政策と捉えられない制度設計の検討
- 「富岳」を利用して開発された国プロアプリケーションの成果を、共同研究やコンソーシアム参加により自社環境に展開するなど、「富岳」の直接利用以外での成果の利活用も考慮した普及の考え方の検討
- 自社環境で国プロアプリケーションのプロダクション・ランの推進をサポートする官、学、産業界ユーザ、ソフトベンダー、ハードベンダーが継続的に活動できるエコシステムの構築支援
③次期フラッグシップシステムへの期待・要望
- 大規模並列計算のみでなく、解析時間スケール拡大やAIなどそれぞれの計算特性に特化した計算機システムの整備ニーズの検討
- 様々な分野のグローバルスタンダードアプリケーションが高速に動作するシステム
- フラッグシップシステムで研究開発するための自社技術のポーティングやフラッグシステムで開発された技術をプロダクション・ランのために自社環境への再ポーティングが負担なく行えるシステム
- 並行して量子コンピュータのような特定分野に特化したコンピュータの開発
上述した米ビックテックの動きもありますが、できるだけ速やかにこれらの課題を乗り越え、スパコンの持つポテンシャルを産業競争力強化、社会の発展に生かしていくため、国、アカデミア、産業界等の関係者が連携を深め、率直な意見交換をしながら議論が進展していくことを期待します。
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