みずほリサーチ&テクノロジーズ サステナビリティコンサルティング第1部
コンサルタント 松本 美希
- *本稿は、『研究開発リーダー』2022年10月号(発行:技術情報協会)に掲載されたものを、同編集部の承諾のもと掲載しております。
はじめに
2021年、気候変動に関する政府間パネル(IPCC) ※1は、人間の活動による影響で地球が温暖化していることは「疑う余地がない」と発表した*1。CO2等の温室効果ガス(GHG)の排出を迅速かつ大幅に削減しなければ、地球温暖化はさらに深刻化し、異常気象等のリスクが増大する。さらなる温暖化による悪影響を回避するために、GHG排出削減を進める主要政策として、世界の国・地域で、カーボンプライシング政策の導入が進んでいる*2。本稿では、カーボンプライシング政策の制度概要や特徴、活用事例について解説する。
カーボンプライシング政策の概要
カーボンプライシング政策は、政府が、企業や消費者などのGHG排出者に対し、排出量に応じた費用負担を求めることで、省エネ対策や再エネ導入などの排出削減の取り組みを促す政策の総称である。カーボンプライシング政策だけで温暖化の進行を遅らせることができるわけではないが、規制や補助金等の他の政策と組み合わせることで、気候目標に整合した排出削減を実現する一助となるものと期待されている。
カーボンプライシング政策には、主に炭素税と排出量取引制度(Emission Trading System、以後ETSと呼ぶ)がある。以降では各手法の概要及び両者を比較した際のメリット・デメリットについて整理する。
2.1 炭素税
炭素税とは、石炭・石油・天然ガスなどの化石燃料に、炭素含有量に応じた税率を課す税のことである。炭素税は通常、化石燃料の採掘や輸入時点(上流段階)で課税される。採掘・輸入事業者が炭素税負担分を製品価格に反映(価格転嫁)することで、最終的には、消費者が間接的に税を負担することになる。
炭素税のメリットは、中小企業や家庭を含む幅広い排出主体に費用負担を課し、削減を促進できる点である。また、炭素税の課税水準は、長期的な引上げ計画を政府が予告する場合が多いため、費用負担の予見可能性が高い。さらに、政府に税収がもたらされるため、温暖化対策や家庭・企業の負担軽減策(所得税等の減税、配当金の給付等)の財源として活用できることもメリットといえる。
一方、デメリットとして、国・地域全体の排出総量を管理する制度ではないため、国・地域の気候目標の達成を担保できない点が挙げられる。また、価格転嫁を前提とした制度であり、企業間や消費者との関係性などによって価格転嫁ができない場合には、適切な削減インセンティブが働かないうえ、企業に過大な負担が強いられる可能性がある。
2.2 排出量取引制度(ETS)
化石燃料の供給に対して課税する炭素税と異なり、ETSは、閾値以上のGHG排出を行う企業や事業所等の排出主体を対象とする制度である。これらの排出主体は、特定期間における自らの排出量に相当する「排出枠」を期日までに政府に提出(償却)する義務がある。排出枠は、政府から無料で受け取る(無償割当)、政府が開催するオークションに参加し購入する、排出主体間で売買取引する等の方法で入手する。
ETSのメリットとして、政府が国・地域全体の排出上限(排出枠総量)を定めるため、国・地域の削減目標に整合した削減を担保することができる。また、企業が、排出枠の入手方法や入手時期を自分たちで決められることも利点と考えられている。
一方、デメリットとして、一定排出以上の企業のみを対象とするため、炭素税よりもカバー率(国・地域内総排出量に占めるプライシング対象排出量の割合)が小さくなる場合が多い。また、排出枠の価格は市場メカニズムで決まるため、予測が困難である。加えて、ETS導入に際し、業種別の排出基準の検討や、排出量の測定・報告・検証プロセスの構築が必要となり、行政コストが高くなるという課題がある。
カーボンプライシング政策の活用事例
温暖化対策政策をリードしている欧州で、炭素税やETSがどのように活用されているのかについて解説し、日本における政策動向についても紹介する。
3.1 炭素税の活用事例
表1に、日本及び欧州各国の炭素税の概要を示す。炭素税は1990年にフィンランドで初めて導入され、その後北欧で導入が進み、その他の欧州地域にも拡大した。欧州では多くの国で、後述するEU ETSが導入されているが、炭素税とETSの二重の費用負担とならないように、多くの場合、ETS対象企業は炭素税が免除されている。税率は、CO2排出1トン当たり数千円以上の国が多く、スウェーデンやスイスでは1万円を超える水準となっている。
日本では、2012年から「地球温暖化対策のための税」が導入されており、化石燃料に一律にCO2排出1トン当たり289円が課されている。上述の海外の炭素税導入国と比べると、日本の炭素税の税率は低い水準にある。ただし、炭素税のカバー率は75%と高く、税収は約2340億円である。税収は、省エネ対策や再エネ普及、化石燃料のクリーン化等に充当されている。
環境省の「カーボンプライシングの活用に関する小委員会」では、カーボンプライシングの方向性について有識者らによる検討が行われている。これからの炭素税について、課税水準の引上げ計画は予め明示すること、引上げに伴う懸念点(エネルギーコストの増大等)へ配慮すること等に留意しつつ「専門的・技術的な議論を進める」ことが言及されており*3、今後炭素税の引上げに関する具体的な提案がなされる可能性もある。
表1 日本及び欧州の炭素税の概要
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国名 | 導入年 | カバー率 | 税率 (円/tCO2) |
税収規模 (億円 [年]) |
主な減免措置 |
---|---|---|---|---|---|
日本 |
2012 |
75% |
289 |
2,340 |
|
フィンランド |
1990 |
36% |
9,625 |
1,824 |
|
スウェーデン |
1991 |
40% |
14,400 |
2,446 |
|
ノルウェー |
1991 |
66% |
9,228 |
1,652 |
|
デンマーク |
1992 |
35% |
3,046 |
565 |
|
スイス |
2008 |
33% |
13,800 |
1,526 |
|
アイルランド |
2010 |
49% |
5,125 |
629 |
|
英国 |
2013 |
23% |
2,556 |
873 |
|
フランス |
2014 |
35% |
5,575 |
8,250 |
|
ポルトガル |
2015 |
29% |
2,990 |
119 |
|
(出典)各国政府資料等よりみずほリサーチ&テクノロジーズ作成。
(注1) 税率は2022年1月時点。
(注2)為替レート:1EUR=約125円、1SEK=約12円、1NOK=約12円、1DKK=約17円、1CHF=約115円、1GBP=約142円(2019~2021年の為替レート(TTM)の平均値、みずほ銀行)
3.2 ETSの活用事例
表2に、欧州で実施されているEU ETSの概要を示す。EU ETSは世界で最も歴史が長く、2005年に導入された。2022年現在、EU加盟国27カ国及び、アイスランド、リヒテンシュタイン、ノルウェーの計30カ国が参加している。参加国の排出量の約40%をカバーしており、2021年の参加国全体のオークション収入は310億ユーロ(約3.9兆円)に上る。
EUでは、2021年6月に欧州気候法が成立し、2030年までに1990年比でGHG排出量を55%削減し、2050年までに気候中立を達成するという目標が法定化された。この目標を達成するため、EU ETSのさらなる強化が検討されている。同年7月に欧州委員会が提案した「Fit for 55」政策パッケージでは、新たに海運部門をETSの対象とすることや、既存のETSと別に、道路輸送及び建築物部門を対象とした新たなETSを創設することなどが提案されている*4。また、EU域内企業の削減インセンティブを強化するため、排出量が多く国際競争に晒されている企業への無償割当を段階的に廃止する代わりに、域外からの輸入品にも同等の負担を課す、炭素国境調整措置(CBAM)の導入が検討されている。
現在、EU ETSにおける排出枠価格は、世界で最も高い水準である。2021年1月、排出枠価格は1トン当たり30ユーロ程度であったが、その後急上昇し、2022年2月に100ユーロ程度まで高騰した。ウクライナ情勢の影響を受け一時下落したものの、8月には再度100ユーロ程度まで回復を見せている。
日本においては、東京都と埼玉県がETSを導入しているが、国としては導入していない。現在、経済産業省による「GXリーグ構想」の中で、企業間で排出量を取引する制度(GX-ETS)が検討されている*5。この制度は、①参加を希望する企業のみを対象とする点、②参加企業に排出枠の提出義務がない点、③政府が国全体の排出上限を定めない点において一般的なETSとは異なることに注意が必要である。
表2 EU ETS(第4フェーズ)の制度概要
対象企業 |
|
---|---|
カバー率 |
|
削減水準 |
|
割当方法 |
|
オークション収入 |
|
(出典)EU法令等よりみずほリサーチ&テクノロジーズ作成。
(注)為替レート:1EUR=約125円(2019~2021年の為替レート(TTM)の平均値、みずほ銀行)
おわりに
日本では、2022年7月、社会全体のグリーンな変革に必要な施策を検討する「GX実行会議」が官邸に設置され、カーボンプライシング政策に関しても、省庁の垣根を超えた検討が行われている。岸田首相は、脱炭素分野において、今後10年間で20兆円規模の政府投資が必要と言及している。カーボンプライシング政策が強化された場合、排出削減インセンティブが明確化されるだけでなく、炭素税の税収やETSのオークション収入は長期的な脱炭素財源にもなりうるため、グリーン変革を進める上で有効な打ち手と考えられる。GX実行会議は、2022年内に今後10年間の工程表を取りまとめる予定となっており、今後の動向に注目したい。
- ※1 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、気候変動に関する政策に科学的知見を供することを目的とした政府間組織。195の国と地域が参加している。
参考文献
- *1)The Intergovernmental Panel on Climate Change,Summary for Policymakers. In : Climate Change 2021 : The Physical Science Basis. Contribution of Working Group I to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change, Cambridge University Press, pp. 3-32 (2021)
- *2)The World Bank,State and Trends of Carbon Pricing 2022, pp. 3-74 (2022)
- *3)環境省 中央環境審議会 地球環境部会、カーボンプライシングの活用に関する小委員会 (第20回)資料1 ポリシーミックスとしてのカーボンプライシングの方向性 (2022)
https://www.env.go.jp/council/06earth/20_5.html - *4)欧州委員会、Fit for 55 (2021)
https://www.consilium.europa.eu/en/policies/green-deal/fit-for-55-the-eu-plan-for-a-green-transition/ - *5)GXリーグ設立準備事務局、GXリーグにおける排出量取引に関する学識有識者検討会 (第1回)資料 02_来年度から本格稼働するGXリーグにおける排出量取引の考え方について (2022)