調査部付 みずほ銀行産業調査部 欧州調査チーム出向 主任エコノミスト 川畑大地
daichi.kawabata@mizuhoemea.com
安全保障環境の激変を受けて急務となった欧州の防衛力強化
トランプ氏の米国大統領就任以降、欧州を取り巻く国際情勢・安全保障環境は大きく変化している。欧州連合(EU)には共通安全保障・防衛政策(CSDP)が存在するが、EU加盟国27カ国のうち23カ国がNATO(北大西洋条約機構)に加盟していることもあり、EUの領域防衛という点では、実際は米国を中心とするNATOに依存し、EUは加盟国の経済的な発展・統合に専念してきた。しかしながら、自国第一主義を掲げるトランプ氏は、防衛支出を十分に負担しない欧州諸国の防衛を担うことは米国の利益にならないとし、ウクライナ情勢をめぐってもロシア寄りの立場をとるなど、米国の「欧州離れ」が鮮明になった。これまでのように、経済分野はEUが担い、安全保障は米国を中心としたNATOが担う「EU-NATO体制」という補完的分業体制が立ち行かなくなったことで、EUは早急な防衛力の強化を迫られている。
欧州委員会はロシアによるウクライナ侵攻以降、防衛産業強化や防衛装備品の共同調達促進等の政策を打ち出してきたが、足元の安全保障環境の激変等を踏まえて防衛白書や欧州再軍備計画(ReArm Europe)を発表し、欧州の防衛力強化に本格的に乗り出した。図表1には防衛白書と欧州再軍備計画の概要を示している。
図表1 防衛白書・欧州再軍備計画の主な内容

ロシアの脅威や米国の欧州への関与縮小といった外部環境を踏まえて、2030年までに防衛体制を確立すべく、防衛産業強化による域内生産能力向上や防衛装備品の共同調達促進、インフラ整備、研究開発、人材育成等を通じてEUの総合的な防衛力向上を目指す内容になっている。特に注目されるのが、EU名義債券の発行や財政ルールの柔軟化により最大で8,000億ユーロの追加防衛支出を可能にする枠組みだ。防衛費増額が既定路線となる中、各国の防衛関連株価が大幅に上昇するなど、防衛力強化に伴う経済押し上げへの期待も高まっている(図表2)。
図表2 欧州の株価指数

(出所)Bloombergより、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成
本稿では、EU加盟国が防衛費を増額した場合、どのような国や業種への恩恵が大きいのかを一定の仮定の下で試算するとともに、日本への示唆や今後留意すべき点について考察する。
防衛関連支出増加による機械業種や素材業種、専門サービス等への経済効果に期待
欧州諸国の防衛費は、冷戦終結後、減少傾向で推移していたが、2014年のクリミア危機以降増加傾向に転じ、2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降は増勢が加速している。令和6年版の日本の防衛白書は、冷戦終結以降、欧州の多くの国では国家による大規模な侵攻の脅威は消滅したと認識されてきたが、2014年以降のウクライナ情勢緊迫化を受けて、力による一方的な現状変更やハイブリッド戦争1への対応の必要性が出てきており、既存の安全保障戦略の再検討や新たな戦略立案を迫られていると指摘している。図表3には、直近(2024年)のEU加盟国の防衛費対GDP比を示しているが、NATOが目標とする同2%を満たす国が増えており、EU全体としても同2%に達したとみられる。
図表3 EU加盟国の防衛費対GDP比

(出所)ストックホルム国際平和研究所より、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成
もっとも、イタリアやスペイン等の南欧諸国は、地政学的なリスクの低さや財政基盤の脆弱さなどを背景に同2%には未達だ。また、欧州防衛に対する米国のコミットメントが今までより期待できなくなる一方で、冷戦期と同様に第三国による領土拡大の脅威が再燃している現状を踏まえれば、足元の防衛費規模はまだ不十分と言えるだろう。川畑・諏訪(2025)によれば、冷戦期のEU加盟国の防衛費対GDP比は平均で3%程度であるほか、NATO事務総長のルッテ氏は同3.5%を提案しており、今後、各国はひとまず同3%台を目安に防衛費を増額していくと推察される。
防衛支出の増加は、防衛産業への投資拡大等を通じて経済の押し上げ要因となる。図表4には、全てのEU加盟国が防衛費対GDP比を3%に増やした場合の各国・業種への経済効果を、一定の前提の下で試算した結果を示している。
図表4 各国が防衛費をGDP比3%に増額した場合の付加価値(GDP)変化率

(出所)OECD、ストックホルム国際平和研究所、Eurostatより、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成
まず、足元の防衛費がGDP比2%程度のEUが同3%に増額した場合、EU全体のGDPは0.8%程度押し上げられると試算される。国別にみると、現状の防衛費規模が小さいオーストリアで経済押し上げ効果が大きいほか、製造業国のイタリアやドイツ等で恩恵が大きくなる計算だ。また、業種別には、電子機器・光学機械やその他輸送機械等の機械系業種の経済押し上げ効果の大きさが目立つ。第三国による大規模な侵攻の脅威再燃を受けて、陸・海・空という伝統的な三領域の防衛に不可欠な装甲車や艦船、戦闘機、武器・弾薬等の防衛装備品への需要が増加することが背景だ。また、防衛装備品の生産に必要な金属製品や化学製品等の素材系業種への経済効果も見込まれる。さらに、研究・専門サービスや情報通信等への恩恵も想定される。各種防衛システムへの需要増加に加えて、近年、軍事的な目的遂行のために軍事的手段と非軍事的手段を組み合わせるハイブリッド戦争の脅威が増していることに伴い、(伝統的な領域防衛のみならず)サイバー空間や宇宙空間等の新領域の防衛のために最先端技術への需要が高まることが要因だ。こうした分野への投資増は、経済全体の生産性を高める可能性もある。Ilzetzki(2025)は、GDP比1%の防衛費増額が研究開発等の進展を通じて長期的に生産性を0.25%押し上げると指摘している。先端分野での研究開発を通じたイノベーション促進や民生部門への技術転用(スピンオフ)2が生産性の向上を促す要因となる。また、欧州は現在、米国を中心とする域外国への防衛装備品調達面での依存度を下げ、内製化を図っている。それに成功すれば、経済押上げ効果は上記試算よりも大きくなると予想される。
日本にも恩恵と重要な示唆を与える欧州の再軍備
欧州の防衛力強化の動きは、日本にも恩恵と重要な示唆を与える。上述の試算では、欧州諸国の防衛費増額により日本の電子・光学機械製造業やその他輸送機械製造業、専門サービス等の業種の付加価値を小幅ではあるものの押し上げる結果になっている(図表4再掲)。そした、こうした日本経済への恩恵は今後の展開次第で大きくなる可能性がある。EUの防衛白書には、防衛産業において協力の機会を探るべきパートナー国として、日本が明記されている。既に、日本、イタリア、英国は次期戦闘機の共同開発に着手しているが、今後、民主主義国でありアジア唯一のG7メンバーである日本と欧州の安保・防衛分野での協力は一層進むとみられ、欧州の防衛力強化が日本に与える経済押し上げ効果も増大することが予想される。
また、日本は米国に安全保障面で大きく依存してきたが、米国が内向き化する中、ロシアや中国、北朝鮮等の脅威により安全保障環境が厳しさを増し、防衛力強化の必要に迫られている点で欧州と状況が類似している。日本政府は2027年度に防衛費対GDP比2%の達成を目指している3が、単なる防衛装備品の調達増にとどまらず、産業基盤の強化や原材料・技術面での安全保障確保、人材の確保・育成等の広範かつ構造的な防衛力強化を目指すEUの再軍備計画は、日本が防衛力強化を図る上でも参考になるだろう。
このように欧州の防衛力強化は同地域のみならず日本にもメリットや示唆を与えるが、財政悪化のリスクや支出項目の優先順位付けをめぐり政治が不安定化する可能性があることには要注意だ。欧州諸国では高齢化を受けて今後、財政負担が増大すると予想される。こうした中で防衛費増額を迫られていることから、欧州委員会は再軍備計画において、財政の持続性を損なわない範囲で防衛費をEU財政ルールの適用対象外とし、各国に防衛支出を促す方針を示した。しかし、財政ルールを柔軟化しても、支出が増えれば財政が圧迫されることに変わりはない。ECB(2025)は、再軍備計画の枠組みの下で防衛費を増額した場合、財政基盤が弱い重債務国4でも、政府債務残高の著しい増加には至らないと試算しているが、現在の防衛費規模が小さく財政基盤が脆弱な南欧諸国を中心に、財政余力が限られるのは事実であり、今後、どの支出項目に優先的に配分するか難しい選択を迫られることは間違いないだろう。EU加盟国ではないが、英国は今年3月に公表した春季財政計画において、一部の福祉関連支出や政府開発援助(ODA)を削減することで防衛費やその他投資資金を捻出する方針を示した。現政権を担う中道左派の労働党は伝統的に社会福祉政策を重視してきたが、これまでの党の方針を変更してでも防衛費増額を選択せざるを得なかったのだろう。英国の事例を踏まえれば、早急な防衛力強化を迫られているEU諸国も同じように防衛費増額を優先させる可能性が高い。福祉支出を削って防衛費を捻出することになった場合、政権への批判やポピュリスト政党への支持拡大等の政治不安につながる恐れがある。英国民を対象とした世論調査によれば、過半が防衛費増額は必要としつつも、福祉支出を減らすことに関しては賛否が分かれている(図表5)。
図表5 英国2025年春季財政計画への受け止め

実際、春季財政計画に対しては有権者から批判の声が上がって政権支持率が低下し、その裏でポピュリスト政党のリフォームUKの支持率が急伸したほか5、身内の労働党内からも批判の声が上がっている。
欧州も日本も防衛費増額に伴う経済・産業へのポジティブな影響を最大化するには、防衛装備品の内製化や関連分野でのイノベーションを促進する必要がある。また、社会保障関連支出が増大する中での防衛費増は財政赤字を膨張させかねず、かといって防衛費の積み増しを優先して社会保障費等の支出を抑制すれば、現政権への不満が高まり政治が不安定化するリスクがある。こうした状況にどう対処していくか、欧州の動向を日本も注視していく必要があろう。
[参考文献]
防衛省(2024)「令和6年版防衛白書」、2024年7月12日
川畑大地、諏訪健太(2025)「重要な転換点を迎えるEU~財政拡張、防衛費増を巡る議論が急進展~」みずほリサーチ&テクノロジーズ『みずほインサイト』、2025年3月19日
Ilzetzki, E (2025), “ Waffen und Wachstum: Die wirtschaftlichen Folgen steigender Militärausgaben ”, Kiel Institut für Weltwirtschaft ISSN 2944-0785
Stamegna, M. Bonaiuti, C. Maranzano, P. and Pianta, M (2024), “ The economic impact of arms spending in Germany, Italy, and Spain ”, MPRA Paper No. 120608
ECB(2025), “ Medium-term fiscal-structural plans under the revised Stability and Growth Pact ”, Economic Bulletin Issue 3 2025
- 1 ハイブリッド戦争は、伝統的な軍事作戦と、サイバー攻撃、情報操作、非正規軍事組織を用いた作戦等の非軍事的手段を組み合わせ、軍事領域と非軍事領域の境界を意図的に曖昧にした戦争のこと。ロシアによるウクライナ侵攻も、軍事侵攻のみならずサイバー攻撃や偽情報の拡散等を伴っていることからハイブリッド戦争の一例と言える
- 2 軍事技術の民生分野への転用の代表例には、インターネットやマイクロ波、GPS等が挙げられる
- 3 日本政府は、4月15日に、2025年度の防衛関連予算がGDP比1.8%になったと発表した
- 4 ベルギー、ギリシャ、スペイン、フランス、イタリア、ポルトガルが該当
- 5 5月に行われた英国地方選挙では、右派ポピュリスト政党のリフォームUKが躍進した一方、労働党は大敗を喫し、同時に行われた下院補欠選挙でもリフォームUKは労働党の候補者を破り議席を獲得した