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スポーツ界のデジタルトランスフォーメーション:フェンシングを事例に

2019年11月8日 経営・ITコンサルティング部 羽田 康孝

はじめに

近年、ビジネス界では新たな付加価値の創出を目指し、デジタル技術を活用して従来の企業活動を変革する「デジタルトランスフォーメーション(DX)」に注目が集まっている。このようなデジタル化による変革はあらゆる分野で進行しており、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催を控え、我が国における関心が高まっているスポーツ界でもその流れが進行している。

本稿では、スポーツ界における先進的な取り組み事例として、競技力の強化と競技の普及にデジタル技術を積極的に取り入れているフェンシングを紹介したい。

フェンシングとは、2名の選手がピストと呼ばれる細長い競技台に立ち、片手で持った剣で相手の有効面を突く、または斬ることで勝負を争う競技である。我が国では、2008年北京オリンピック大会で太田雄貴選手が日本人初のメダルを獲得したことにより、その認知度が大きく上昇した。しかし、競技人口は2018年で約6,000人と、10年前の約5,000人から微増に留まっている。このことから、日本フェンシング協会会長に就任(2017年)した太田氏は、「金メダル至上主義からの脱却」を掲げ、選手の強化に加えて競技人口を増やす取り組みを推進している。

フェンシングにおけるデジタル活用

一般に、スポーツにおけるデジタル活用の対象として、競技そのものと競技を取り巻く環境が挙げられる。

競技へのデジタル活用の例として、データを用いた選手のパフォーマンス向上や戦術分析が挙げられる。この事例として、統計学的見地からデータを分析し、戦略を検討するセイバーメトリクスと呼ばれる野球の分析手法が著名だが、フェンシングにおいても、スポーツアナリストによる選手のパフォーマンス分析が行われている*1。試合の動画を撮影し、専用のソフトウェアを用いてアタックやカウンターなどの攻撃動作にタグを付与し、得点や失点との関係を数値化している。これにより、対戦相手の戦略を検討するだけでなく選手自身の無意識的なプレーの傾向を把握することができる。

競技を取り巻く環境へのデジタル活用例としては、来場客に対する観戦体験の高度化が挙げられる。会場でアプリを通じ試合と連動したコンテンツを提供するサッカーのスマートスタジアムなどが知られるが、フェンシングの全日本選手権大会においても、会場内のLEDモニターを使い、モーションキャプチャ技術により剣先の軌跡を可視化したデモンストレーション映像*2を表示することや、選手の心拍数を可視化すること、会場照明を試合の判定に連動させることなど、エンターテインメント性を高める取り組みが実施されている*3

デジタル化からデジタルトランスフォーメーションへ

上記の取り組みは、選手の競技力や観客の観戦体験を向上させるためにデジタル技術を活用した例である。これに加え、近年は競技自体にデジタル技術の活用を組み込み、競技そのものを変革させるような新たな取り組みも存在する。

大日本印刷株式会社は、2019年7月に、誰でも気軽にフェンシングを楽しめるツールとして「スマートフェンシング」を開発している*4。スマートフェンシングは、鉄製の剣やユニフォーム等の専門機材を用いる従来のフェンシングとは異なり、柔軟性のある剣と導電性のあるジャケットを使用するものであるため、年齢や経験にかかわらず、安全かつ手軽にフェンシングを疑似体験することが可能になっている。これまでのフェンシングの普及活動では、使用する道具の危険性や競技難易度の高さが課題であったが、デジタル技術の活用を組み込むことで、競技に伴う「怪我のリスク」や「用具の準備に掛かる手間」を減らすことが期待でき、フェンシングの普及に弾みがつくものと期待されている。

また、スマートフェンシングは、パラスポーツの「車いすフェンシング」の疑似体験にも使用できる、通常のフェンシングと異なり、1対1だけでなく複数人でも対戦できるという発展性(拡張性)もその特徴として挙げられている。その意味では、フェンシングにデジタル技術活用を組み込むことで、初心者でも取り組みやすい、複数人の同時対戦も可能といった、多様な人々が参加する新たな競技へと発展する可能性が期待される。

このように、デジタル技術の活用を組み込み、スポーツを変革する取り組みは、フェンシングに留まらない。面白法人カヤックとミズノ株式会社は、2017年に「ベビーバスケ」専用ボールを開発し、レンタル事業を行っている*5。ベビーバスケは、年齢・性別関係なく誰もが楽しめることをコンセプトとする「ゆるスポーツ」の一種目として、バスケットボールから派生して生まれた競技である。この競技では、激しく振ったり、ドリブルしたり、勢いよく投げたりすると、大きな声で泣き出すボール(内部にスマートフォンとスピーカーを格納)を使用し、この専用ボールが泣き出さないようにしつつ、互いのゴールにボールを届けることを競う。ボールが泣き出さないよう、緩やかにパスをつなぐ必要があることから、老若男女誰でも気軽に参加できるものとなっている。その意味では、デジタル技術を組み込むことで、ベビーバスケは身体能力を問わず多様な人々が体験できる新しいスポーツとして、より多くの人々のスポーツ参加を促す機会を創出するものといえる。

これまでのスポーツにおけるデジタル技術の活用は、選手の競技力や観客の観戦体験の向上など、選手・観客それぞれのためのものが主流であった。しかし、スポーツのさらなる普及拡大が目指されている今後は、これまでスポーツをしていなかった人々に新たにスポーツに参加してもらうことが求められている。そのため、既存の競技にデジタル技術を組み込むことで、スポーツへの参加の障害となりうる専門の施設や用具、怪我のリスクといった制約を解決することや、より多くの人が手軽に参加できる新たな競技へと進化させることなどにつなげていくことも期待される。


スマートフェンシングの装備(左)と使用例(右)
図1
出所:大日本印刷株式会社


車いすフェンシングへの応用例(左)と複数人同時対戦の例(右)
図2
出所:大日本印刷株式会社

おわりに

フェンシングは中世の剣術に由来し、第1回近代オリンピックから正式種目として採用されている歴史のあるスポーツとして知られる。その一方で、競技人口の裾野拡大のためにデジタル技術を取り入れ、競技自体を発展・拡張させる取り組みが進められている。

デジタル技術は、競技スポーツの伝統を尊重しながらも、スポーツをより多様な人々に開かれた存在へと変革(トランスフォーメーション)する可能性を秘めている。

  1. *1Pick Up Analysts:Vol.16 フェンシング・太田奈々海 氏「スポーツアナリスト」という”仕事”に興味があった(日本スポーツアナリスト協会)
  2. *2Fencing Visualized
  3. *3「劇場でフェンシング」に熱気=日本協会、エンタメ化を推進(2018年12月14日、時事通信)
  4. *4フェンシングを誰でも気軽に体験できる「スマートフェンシング」を開発(2019年7月19日、大日本印刷株式会社)
  5. *5ゆるすぎるバスケットボール「ベビーバスケ」がいつでも楽しめる専用ボール(プロトタイプ)を開発(2017年1月31日、ミズノ株式会社)
    ベビーバスケ

羽田 康孝(はねだ やすたか)
みずほ情報総研 経営・ITコンサルティング部 コンサルタント

AI、ブロックチェーン、ITS(高度道路交通システム)等に関するデジタル技術政策の調査研究・コンサルティングに従事。日本スポーツ協会公認フェンシングコーチ1(旧:指導員)、フェンシング競技歴7年。

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