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中小企業の経営者の引退と事業承継

2019年10月1日 社会政策コンサルティング部 大室 陽

中小企業の動向や課題を俯瞰する報告書として、中小企業白書がある。中小企業白書は、中小企業基本法第十一条に基づく年次報告書として中小企業庁から毎年発刊されており、2019年版中小企業白書(*1)(以下、「白書」という。)は中小企業基本法の制定以降、56回目の報告となる。

弊社は昨年度、白書の作成を目的とした中小企業庁の委託事業「中小企業・小規模事業者の次世代への承継及び経営者の引退に関する調査」を実施した。経営者の高齢化が進み、政府においても、事業承継を円滑に進めていくことが中小企業・小規模事業者の喫緊の課題として認識されている。こうした状況の下、中小企業の事業承継をテーマとした調査は様々な機関で実施されているが、本委託事業では経営の引継ぎに関して、「引退した経営者」を対象にした調査であったことに新規性があり、当事者にインタビューを行い、引退や事業承継時の事例も多数収集した。本稿では、この委託事業の調査によって得られた示唆について、白書を参照しながらいくつかご紹介したい。

経営者の引退とは

白書は、「経営者の引退には、他者へ事業を引継ぐ『事業承継』と事業を停止する『廃業』がある」と述べている。すなわち、経営の引退に当たっては、事業を継続するか、あるいは、事業を廃業するか、のどちらかを選択することになる。例えば、事業を継続する場合には、後継者の確保や後継者への事業の引継ぎ、といったことを引退までに実施する必要があり、他方で事業を廃業する場合には、経営資源の売却や事業の精算等を実施する必要がある。いずれにおいても、経営者を引退するまでには、多くの課題や障壁が待ち受けていることが明らかとなっている。以下では、このような引退に当たっての課題や苦労などの事例を紹介していく。

経営者引退の決断理由

今回の調査は、引退前に事業承継等を実施し事業を継続した経営者(以下、「継続した経営者」という。)と事業を廃業した経営者(以下、「廃業した経営者」という。)に調査を実施した。白書内でも、「継続した経営者」と「廃業した経営者」別に傾向の違いを分析したものが数多く紹介されている。

「継続した経営者」と「廃業した経営者」の違いが顕著に現れた結果の一つに、「経営者引退を決断した理由」が挙げられる。理由の詳細を見てみると、「継続した経営者」では、「後継者の決定」や「後継者の成熟」を挙げている割合が多いが、「廃業した経営者」では、「業績の悪化(事業の見通しが立たない)」を挙げている割合が多い。この結果から白書は、「休廃業・解散企業の純利益は中小企業の中央値に比べ低い水準である」という分析結果を交えながら、「『廃業した経営者』においては、業績が悪化してから廃業に追い込まれるケースが少なからずある」と推察している。業績の悪化による廃業はやむを得ない事情もあり、白書内では、業績悪化により経営者の自宅売却の危機にも迫られる状況にあった事業者が、最終的には安定した引退生活に帰結することができた事例を紹介されている。この事例では、商工会議所の支援により個別に経営資源や事業の売却先を見つけられたことで、経営者の資産を維持ながら廃業ができるまでの経緯が紹介されており、引退を考えている経営者にとっては示唆に富む内容となっている。

引継ぎには苦労が絶えない

続いて、「継続した経営者」が後継者を決定して事業を引き継ぐ上で苦労した点について紹介したい。白書はこの点について承継先に着目し、「親族内承継」「役員・従業員への承継」「社外への承継」という切り口で分析をしている。結果を見てみると、役員・従業員への承継では「後継者自身の了承を得ること」、社外への承継では「取引先との関係維持」及び「後継者を探すこと」に苦労した、という回答が多い結果となった。特に筆者が注目しているのは、社外への承継の場合に苦労している「取引先との関係維持」である。事業を承継した後、今までの業績を維持していくためにも取引先との関係を良好に保つことは必要不可欠なことであると考えられる。白書も、取引先は知的資産であるとも述べており、経営者が取引先を重要な経営資源であると認識すること、また引継ぎに当たっては十分な時間を設けていくことが求められているのであろう。

廃業にも労力が掛かる

今回の調査では、廃業に当たって苦労した点も調査した。「廃業した経営者」のうち6割以上は何らかの取組で廃業するのに苦労していることが判明した。苦労した点としては、「顧客や販売先への説明」「従業員の処遇」「資産売却先の確保」の回答が多い結果となった。白書は、「『顧客・販売先』『従業員』『資産』といった経営資源は、廃業時にも個別に他社へ引き継ぐことができる経営資源である」と力説した上で、廃業企業からの経営資源の引継ぎについて、上記の経営資源ごとに実態や課題を分析している。引き継ぐ際の実態として、「引き継ぎ先が見つからなかった」や「引継ぐ価値があるとは思わなかった」という回答が一定数見られ、引継ぐ際の課題を垣間見ることができる。こうした課題に対して、廃業する取引先の土地と建物を引き継いだ事業者が、引き継いだ経営資源を活用することで効率的に事業基盤を拡大させることができたという事例を紹介している。日頃から接点のある取引先や知り合いに相談を持ち掛けておくことで、廃業の際の労力を少しでも減らすことができるのではないか。

貴重な経営資源を失わせないために

我が国経済の足元の状況を見ると、休廃業・解散件数は増加傾向にあり、中小企業・小規模事業者の数は年々減少している。こうした状況の中で、我が国経済が持続的に成長するためには、経営者が築き上げてきた資産を次世代に引き継ぎ、貴重な経営資源として有効活用していくことが求められている。白書は、本稿で紹介した調査結果以外にも、経営者が引退を決意してから引退するまでのプロセスに焦点をあてて、苦労する点や有効であった取組等を分析するとともに、経営者引退にかかる事例や事業承継の事例を15例程度紹介している。

今回の調査からわかることは、経営者は簡単には引退できないということである。経営者自身が引退を意識した時から、どのような形で経営者を引退したいかを検討して行動していくことが必要である。この際に、経営資源は有形であれ無形であれ、同業他者や次なる世代に引き継げることを認識してもらうことの重要性が示唆されている。他方で、経営資源の引継ぎを経営者だけで進めていくことは難しいことも予想されるため、商工会・商工会議所やよろず支援拠点(*2)等といった支援機関等による経営者への働きかけも重要である。また、事業の引き継ぎに関しては、経営資源を引継ぎたいと考えている経営者や経営者候補とのマッチングサービスが公的支援機関や民間企業から提供されているが、こうしたサービスの認知度を向上させていくこと、そして、マッチングの成功確率を高めていくことがより一層求められているのではないか。

  1. *12019年版中小企業白書(中小企業庁、平成31年4月26日)
    (PDF/29,800KB)
  2. *2経済産業省が、平成26年度から各都道府県1箇所ずつ設置した、中小企業・小規模事業者が抱える様々な経営相談に対応する支援機関である。
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