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数理モデルから考えるものづくり

2020年3月23日 サイエンスソリューション部 高山 務

はじめに

数理モデル、という言葉がある。これは、性質を明らかにしたいもの(製品や材料、あるいは構造物や現象)について、その定量的なふるまいを定式化し、計算によってその性質を模擬できるようにしたもの、と言うことができる。

数理モデルの活用は、産業の様々な場面で行われてきた。電気回路などであれば、回路素子の特性を数式で表して回路を設計することは当然といえるし、例えば流体機械に目を向ければ、ポンプの流量に対する揚程の特性を数値的に把握し、プラントを設計することも当たり前に行われる。今日に至るコンピュータの性能向上により、予測に使用される数理モデルの精密さは大きく向上している。近年では、機械学習などの手法によりデータ群から数理モデルを直接推定することや、さらには推定したモデルから物理的・数理的な構造を推論することも可能となっている。

一方で、将来に目を向けると、数理モデルの役割は単に製品や材料などの性質を定量的に記述するもの、というだけにとどまらない。製品の構造が複雑になるにつれて、あるいは技術開発のスピードが加速するにつれて、数理モデルの活用はさらに重要なものとなる。極端な言い方をすれば、数理モデルによってふるまいが記述できていない製品や材料は、性能が多少良かったとしても、扱いづらいという意味で低い評価を免れないかもしれない、といった価値観の変化が生じる可能性すら考えられる。そこで本稿では、今後増していく数理モデルの重要性がどのようなものであるかについて考えてみたい。

数理モデルの重要性(1):モデルベース開発

数理モデルが重要であることの理由の一つは、早くから製品全体の性能予測を行い、課題を抽出することができる点である。例えば、数理モデルが存在せず、実際に作って性能を確認する以外に製品の挙動を把握できない、という極端な場合を仮定してみよう。この場合、まず素材が選定され、さらに部品を作り、それらを組み合わせて製品を作る、という作業をひとまず進める必要がある。もし製品の性能に不十分な点が見つかったとき、素材の性質を改善すれば解決できるとわかったときには、素材の選定からやり直さなければならない。素材の数理的な性質と、部品の性能との関連が適切にモデル化されていれば、製品に使用された時の様々な状態を仮定して解析を行うことで、こうした課題を早期に洗い出し、素材選定にフィードバックすることができる。実際には、自動車やプラントなどの高度な製品においては、素材から製品までの階層はさらに多層化し、関連する素材や部品の組み合わせは膨大なものとなるため、個々の数理モデルとそれらの関連が明らかになっていることの意味は大きい。さらに、自動車などの製品は様々な構成要素を自動的に制御してその性能を実現しているため、製品設計のさらに一段上に制御設計の段階が存在する。また、ここでは製品開発についての課題に注目して議論したが、製造プロセスについても同様のことが言えるだろう。部材や製品の性質が数理モデルで表現されていれば、製造プロセスを設計することも、すべてモデルによって全体を見渡した観点から可能になる。

こうした問題意識から、素材から製品、そして制御に至るまでの過程ですべて数理モデルを構築し、早い時点からすべての段階を見通した開発を行うべき、という考え方が生まれる。これはモデルベース開発*1と呼ばれ、特に欧米の自動車業界を皮切りに、一つのトレンドとなって久しい。

数理モデルの重要性(2):複雑な体系の理解が求められる分野

また、ある種の分野においては、数理モデルが存在しなければ全体を見通した開発がそもそも難しい、といった課題も指摘されている。燃料電池や二次電池といった、機能性を持つ材料を組み合わせて性能を実現している製品が特に重要な例である。こうした製品の性質を理解するには、各部材の機能を実現する微細な構造から、各部材の総体としての性質、さらには完成品としてのシステム全体の性能に至るまで、全く大きさの異なる現象の関連を考える必要がある。さらに、いずれも化学反応によってエネルギーを取り出すため、反応物の輸送や温度の分布をはじめとして、様々な現象を組み合わせて理解しなければならない。

このような問題において、数理モデルが果たすべき役割は、単に「見ることが難しい電池の内部挙動を可視化する手段」にとどまらない。電池のように複雑な体系を理解するには、適切な数理モデルの構築が必須となる。数理モデルによって微細な構造や素材の性質が実現する部材の機能を定式化し、さらにこうした部材が組み合わさってできたシステムモデルを構築することによって、個別の素材と全体の挙動の関係を定量的な形で明らかにすることができる。言い換えれば、数理モデルこそが開発課題それぞれの関係を明らかにし、個々の素材がどのような性質を持つべきであるのか、あるいはそうした素材で構成されたシステムがどのように制御されるべきであるのか、といった問題を見極め、開発の方針を決める司令塔としての役割を果たすことができる。

おわりに:製造業に対する影響

では、数理モデルの重要性が増していくとして、実際に製造業に対してどのような影響が考えられるだろうか。数理モデルによる設計開発が今よりも一段と進めば、上流のメーカーは素材や部品の供給元に対し、適切な精度を持つ数理モデルの提供を要求するようになるかもしれない。あるいは、数理モデルを提示し、同様のふるまいを示すことを要求することも考えられる。こうした状況は、シミュレーションなどの導入が進んでいない小規模な企業に対しては、かなり不利な条件となる。この場合、個々の企業で数理モデルの開発を行うのではなく、ある程度の広さの業界全体で共通となる方法を構築し、共有することが重要となるだろう。また、逆に、上流のメーカーが適切な形でシステムのモデルを開示すれば、下流の部品メーカーなどは自社が開発した部品がシステム全体挙動にどのように影響するのかを把握しながら開発を行うことができる。この意味で、数理モデルが設計上の課題を共有するための共通言語としての役割を果たすことも可能である。実際に、数値シミュレーションの分野においてシェアを持つ欧米のソフトウェアベンダーなどからは、CADデータや数値シミュレーション用のモデルをグループ企業間で共有するシステムを導入し、業界ごとに囲い込もうとする動きもみられる。日本の産業界も、設計開発の将来像を見ながら、製造業の上流から下流までさらに効率を向上させることができるように、今後の在り方を考えていかなければならない。例えば自動車業界では、経済産業省による「自動車産業におけるモデル利用のあり方に関する研究会」*2において、日本の産業構造に合わせた取り組みにむけた議論が始まっている。おそらく技術や体制など様々な課題があるものと思われるが、日本の「ものづくり」に大きな変化をもたらす可能性のある議論として注目していきたい。

  1. *1モデルベース開発の詳細な説明は成書や当社のレポートなどを参照頂きたい。
    モデルベース開発の活用をもう一歩進めるために(みずほ情報総研 2018年3月)
  2. *2詳細は以下のページを参照されたい。
    自動車産業におけるモデル利用のあり方に関する研究会(経済産業省Webページ)
    自動車産業におけるモデル利用のあり方に関する研究会今後の方針『SURIAWASE2.0の深化』をとりまとめました(経済産業省ニュースリリース 2018年4月4日)
    次世代自動車等の開発加速化に係るシミュレーション基盤構築事業
    (令和2年度経済産業省予算関連事業のPR資料:エネルギー対策特別会計)
    (PDF/725KB)
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