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材料開発におけるデジタルトランスフォーメーションの兆しと今後の展望

2021年3月5日 経営・ITコンサルティング部 新田 仁

材料開発の現場では、これまで研究者・技術者の経験やノウハウに基づいたものづくりが行われてきたが、たとえば二次電池材料や半導体材料等において、実験やシミュレーションで得られた材料の構造や組成、物性値等のデータを活用し、効率的に材料の探索・開発を進めるデータ駆動型の研究開発によって新規材料の発見が行われる事例が少しずつではあるが出てきている*1。また、近年、材料メーカーとAIプラットフォーム等のソフトウェア企業との協業も発表されるなど*2、材料分野と情報技術分野の企業間連携も進みつつある。

ここでは、材料・素材分野でのデータ活用に関連する最近の政策動向を紹介したうえで、今後の普及拡大に向けた課題について整理したい。

データ活用の機運を作ったマテリアルズ・インフォマティクス

近年の材料・素材分野でのデータ活用の進展には、2011年に米国でスタートしたMaterial Genome Initiativeを先駆けとする世界的なマテリアルズ・インフォマティクス(MI)への取り組みが大きく影響しているといえよう。MIは、材料開発に情報科学の手法を適用したものであり、研究者や組織が蓄積してきたノウハウ等の暗黙知よって行われてきた材料の探索や改良を、大量の実験結果やシミュレーション結果等のデータ(文章や図表、数値等の形式知)に基づき行うものである。熟練者でなくても高度な開発ができる、開発期間の短縮につながるといった利点が期待されている。

日本においてもMIに関連した研究開発が早い段階から進められている。文部科学省の新学術領域研究「ナノ構造情報のフロンティア開拓-材料科学の新展開」(2013年度-2017年度)で実施された「材料科学と情報科学の調和」を皮切りに、JST「情報統合型物質・材料開発イニシアティブ」(2015年度-2019年度)*3やNEDO「超先端材料超高速開発基盤技術プロジェクト」(2016年度-2021年度)、内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(第2期)「統合型材料開発システムによるマテリアル革命」(2018年度-2022年度)など、切れ目のない投資により材料科学と情報科学の研究者の連携推進やMIに関する研究拠点の整備が行われ、材料データの蓄積や機械学習・データマイニングを用いた効率的な材料探索の手法、目的とする性能から構造・特性を提案し、それを実現するための最適な材料やプロセスを出力する逆問題MIシステムの開発など、今後のMIの普及拡大につながるさまざまな取り組みが行われている。

材料分野におけるデータ活用に向けたイノベーション政策

2020年6月2日に文部科学省および経済産業省により同時発表された「マテリアル革新力強化のための政府戦略に向けて(戦略準備会合取りまとめ)」では、「データを基軸としたマテリアル研究開発のプラットフォーム構築」が、今後当面推進すべき4つの取り組みの1つとして取り上げられており、「高品質な産学官のマテリアルデータ*4」の存在が、データを基軸とした研究開発の成否において決定的に重要となると述べられている。一方で、我が国全体として産学官のデータを効果的に収集・蓄積・流通・利活用する仕組みは整っていない点が今後の大きな課題と指摘されている。また、世界を見渡したときでも、オープンデータの戦略的収集のための取り組みは、たとえば上述の米国でのMaterial Genome Initiativeの下で、各研究機関が材料研究データや文献等に関するデータプラットフォームを整備するなど一部で進みつつあるが、産学官のマテリアルデータ全体を効果的に取り扱うための仕組み作りは各国模索中とされている。

2020年7月17日に閣議決定された「統合イノベーション戦略2020」においては、マテリアルがAIやバイオテクノロジー、量子技術とともに、戦略的に取り組むべき技術基盤として位置づけられ、データを基軸としたマテリアルDXプラットフォームの実現等が目標達成に向けた施策・対応策の1つとして示されている。また、「AI、バイオ、量子技術、環境に続く重要戦略の1つとして、産学官関係者の共通のビジョンの下で策定する」ことが掲げられている。これに基づき10月から内閣官房において「マテリアル戦略有識者会議」が開催されており、マテリアル戦略の4つの重要な項目の1つとしてMIが取り上げられている。なお、MIに関連する今後の取り組みとしては、国内の材料研究者が産学官の高品質な材料データを利活用できる環境(マテリアルDXプラットフォーム)の整備や材料の製造プロセスの高度化のための計測、シミュレーション技術、データ解析(AI等)を活用した基盤技術の確立等が掲げられている、

今後のデータの活用拡大に向けて

ここまで述べた通り、材料・素材分野でのデータの活用は我が国のイノベーション政策の大きな柱となっている。

今後、材料・素材企業を中心に産業界で広くデジタルデータを活用していくためには、大学・公的研究機関や産業界の材料データを収集・蓄積・活用する仕組みの構築が重要となってくる。高品質なデータの取得を行うための計測・分析や材料・製品を製造するためのプロセスも重要であり、デジタルデータの利用推進においては、これらの周辺分野のプレイヤーと材料開発者との連携も不可欠となる。その際、材料データの品質をどのようにして確保するのか、データフォーマットの標準化をどのようにするか、企業等が有するデータをどこまでオープンにするのかという議論も必要であろう。また、デジタルデータは加工・分析等の処理が容易で、効率的な分析ができる、熟練の技術者がノウハウ・知見を共有しやすいというメリットを享受できる一方、これらのデジタルデータの特徴がノウハウを守るという点ではデメリットとして働くことも懸念される。したがって、これまでの日本の素材産業の強みの源泉の1つである擦り合わせ技術の要素も残しつつデータ活用を進めていくことなど、重要なノウハウの流出を防止する方策も検討していく必要があると考えられる。

材料は、情報処理や情報通信で利用される各種デバイス、二次電池や太陽電池等のエネルギーデバイス、自動車等の輸送機器をはじめとするあらゆる最終製品を構成する基本要素であり、材料自体の機能は最終製品の性能や付加価値の向上に大きく寄与する。また、省エネルギー性能の向上や効率的な再生可能エネルギーの実現等を通して、地球温暖化問題や廃棄物問題等の環境的制約の下での持続的な成長にもつながると考えられる。材料開発にデータが本格的に活用されていくうえでは未だ多くの課題が残されているが、材料データの活用により短期間で革新的な機能を持つ材料を実現できると、社会・産業に対する波及効果は非常に大きなものとなると考えられる。今後、材料データを共通言語とした企業間連携・産学官連携が広がり、日本の産業競争力の強化や持続可能社会の実現につながっていくことを期待したい。

  1. *1 たとえば、マサチューセッツ工科大学とサムスン電子によるLiイオン電池の固体電解質材料の発見京都大学とシャープの産学協同研究によるMIを用いた2次電池材料の開発が発表されている。
  2. *2たとえば、2020年4月28日に東洋タイヤがアナリティクスのリーディングカンパニーであるSAS Japanと協業しデータマイニングと機械学習を採用したことを発表している。
  3. *3イノベーションハブ構築支援事業の一環として実施。国立研究開発法人物質・材料研究機構に拠点が設立された。
  4. *4「マテリアル革新力強化のための政府戦略に向けて(戦略準備会合取りまとめ)」(PDF/737KB)においては、マテリアルデータとして、オープンデータ(公知情報:特許や論文等の誰でも利用可能なデータ)、クローズドデータ(秘匿情報:企業内データ等の個々の限定されたデータ所有者が利用するデータ)、シェアクローズドデータ(限定共用情報:クローズドデータのうち、個別単位を超えた複数の単位で戦略的に共用すべきデータ)の 3種類が存在するとされている。

新田 仁(にった ひとし)
みずほ情報総研 経営・ITコンサルティング部 シニアコンサルタント

材料・ナノテクノロジー分野を中心とした先端技術分野の調査研究・コンサルティングに従事。材料・素材産業や精密加工等に関する技術動向調査、市場動向調査、事業戦略・政策立案支援等に携わる。

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