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新型コロナ禍のこれまでとこれから

2021年2月24日 社会政策コンサルティング部 仁科 幸一

わが国のコロナ禍は欧米に比べて格段に被害が少ない

2020年1月に日本国内で新型コロナウイルス感染者が確認されてからおよそ1年が経過した。2月12日時点の人口10万人あたりのわが国の累計死亡者数は5.4人。これはイタリア(153人)、英国(172人)、米国(144人)、フランス(124人)、カナダ(56人)、ドイツ(77人)とは文字通り桁違いに少ない。この傾向は日本だけではない。台湾(0.04人)、タイ(0.1人)、中国(0.3人)、シンガポール(0.5人)、マレーシア(2.9人)、韓国(2.9人)はいずれも日本を下回る。各国の政治体制、死亡者数の精度、情報開示の透明性、医療体制、高齢化率などの相違はあるが、新型コロナによる死亡者数の少なさはアジア諸国に共通する傾向だ。わが国の死亡者の少なさを日本人の「清潔な生活習慣」や「感染予防に取り組む公徳心」に求めるのは無理がある。

この原因の解明には数年を要するだろうが、わが国をふくめたアジア諸国にとっては不幸中の幸いであったといっていいだろう。ただし、将来異なるパンデミックが発生したとき、同様に被害が小さいとは限らないことを忘れてはいけない。

災厄の元凶はウイルスだけではない

「コロナ脳」というインターネットスラングがある。新型コロナウイルスに対して過剰に反応してしまう人を揶揄することばだ。さらに「自粛警察」ということばもある。不安感から一般市民が他者に過剰な攻撃を加えることをさす。大規模災害時にもみられた現象だが、新型コロナ禍ではパチンコ店や飲食店、県外ナンバー車への攻撃があった。欧米でもアジア人への暴言や暴行があったという。背景には、行き場のない不安感を他者への攻撃で補償しようとする心理作用がある。

国民の不安感を受けて「ウイズ・コロナは生ぬるい、ゼロコロナを実現すべき」という主張もあるが、非現実的といわざるを得ない。人類がウイルス感染症の根絶に成功した例は天然痘しかない。大正時代に発生した大規模パンデミックであるスペイン風邪の病原となったH1N1型インフルエンザウイルスは、変異を繰り返しつつ現在も存在する。多くの人びとが免疫を獲得したため感染しにくく、感染しても重症化しにくくなったというだけのことだ。こうした事実は、不安感にさいなまれている人びとの耳にはなかなかとどかない。災厄の元凶は新型コロナウイルスであることはいうまでもないが、人びとの不安感も手ごわい。

なぜ医療体制がひっ迫するのか

致死率が高ければ、つまり発症者の多くが死に至るということであれば、人びとが新型感染症に強い不安感をもつのは当然である。わが国の2月10日時点の累計致死率(累計死亡者数÷累計感染者数)は1.6%。流行最初期に感染拡大に成功した台湾でも1.0%、PCR検査を大規模に実施し賞賛された韓国は1.8%とわが国と同水準である。イタリア(3.5%)、英国(2.9%)、ドイツ(2.7%)、カナダ(2.6%)、フランス(2.3%)、米国(1.7%)と比べても低い。全ての患者の命を救うことができないのは残念なことであるが、適切な治療を受けることができれば、高い確率で命を落とすことはない。医療体制の堅牢性が人びとの不安感の緩和に及ぼす影響ははかり知れない。ところが、わが国では、晩秋のころから医療体制のひっ迫が顕在化し始め、この1月の緊急事態宣言発出にいたった。医療体制のひっ迫は国民の不安に直結する。

なぜ欧米と比較して感染者数も死亡者数もけた違いに少なく、人口当たりの病床数は多く、医師数も遜色ない水準にあるわが国でこのようなことになったのか。わが国の民間主導の医療体制に原因を求める見解、民間医療機関の対応を非難する見解がみられる。しかし、医療機関を国有化・公営化すれば、あるいは民間医療機関に患者の受け入れを義務化すれば問題が解決するとは思えない。問題の本質は、新型感染症のパンデミックが発生した場合、つまり非常事態にそれぞれの医療機関がどのような役割を担い、どう対処するかという危機管理策をだれも考えていなかったということにつきるのではないだろうか。個々の医療機関や医療従事者が目の前の事態にいかに誠実に対応したとしても、全体を見渡した方針がなければ効果的な動きには結びつきにくい。避難計画もなければ避難訓練すら一度もしたことがない大規模旅館で火災が発生したのと同じである。

これから何をすべきか

厚労省では、今後の人口変動をにらんで地域医療の機能分担のあり方を地域の医療機関の参加をベースに検討する地域医療構想の策定をうながし、都道府県がこれに取り組んでいる。人口減少下での地域の医療機関の最適化を図ろうというものである。この構想には、新型コロナ禍のようなパンデミックの発生という事態は想定されていないが、それを非難すべきではない。だれしもこのような事態が発生することを予想することはできなかったのだから。

わが国はこの1年の経験を通じて、新型感染症の流行が人びとを不安におとしいれ、社会・経済に深刻な影響を与えることを痛感した。現下のパンデミックの収束とともに、将来のパンデミックに向けてこの教訓をどう活かすかも問われている。パンデミック発生時の対応を地域医療構想の議題に加えるべきと考える所以はここにある。

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