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企業の環境戦略と経営戦略を担うSBT設定

  • *本稿は、『環境ビジネス』 2019年夏号 (発行:日本ビジネス出版)に掲載されたものを、同編集部の承諾のもと掲載しております。

みずほ情報総研 環境エネルギー第2部 コンサルタント 谷 優也

近年、機関投資家や顧客、あるいは自社の役員などから「SBTに関してどのように考えているのか」といった問合せを受けた読者の方も多いのではないか。CDPのスコアリング対象であること、サプライヤーを巻き込む仕組みであること、2019年4月にSBT事務局より新マニュアルが発行されたことなど、さまざまな条件を受けて、いま企業が掲げる温室効果ガス排出量削減目標SBT(Science Based Targets;科学と整合した目標設定)への注目が集まっている。

SBTとはどのようなものか

SBTの動向を語るうえで、「パリ協定」の存在は欠かせない。第21回気候変動枠組条約国会議で採択された「パリ協定」により、世界は“産業革命前から気温上昇を2℃より十分低く保つ(Wellbelow 2℃;WB2℃)”、さらには“1.5℃以下に抑えるよう努力する”という共通の目標を得た。そのようななか、温室効果ガス(GHG)の主要排出者である“企業”による削減を促すトリガーとして、SBTは注目されている。

SBTは、世界自然保護基金、世界資源研究所、CDP、国連GlobalCompactによる連立グローバルイニシアチヴであり、WB2℃社会の実現に資する、中長期的(5-15年先)な温室効果ガス排出削減の目標設定を企業に促す枠組みである。

従来の企業目標は、現時点での実現可能性などを踏まえた、達成を前提にした数年後の計画値といった趣のものが多かった。SBTは、この削減目標値の検討を、「現状からどこまでなら下げられるか」ではなく、「パリ協定が目指す社会を実現するためには、科学的にどこまで下げなくてはならないか」に変化させる仕掛けといえる。

では、科学的にどこまで下げなくてはならないか。2019年4月にSBTの新マニュアルが公表され、削減水準は旧マニュアルよりさらに厳しいものに変更された(表1)。総量同量削減(基準年の排出量を目標設定期間にわたり毎年同量ずつ直線的に削減する)において、従来は毎年の削減率が1.23%あれば可としていた。それが、新マニュアルでは2.5%を求めており、実に2倍強の目標水準強化が行われている。これは、温度上昇1.5℃の影響を整理したIPCC特別報告書の影響が大きいものと見られ、今後も気候科学の進展に応じて、目標水準の見直しが行われていくものと見られる。


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表1 SBTが要求する削減基準
マニュアルとの
対応
長期のゴール
(気温上昇レベル)
削減水準
総量同量削減 セクター別脱炭素
アプローチ(SDA)
旧マニュアルの
要求水準
2℃
2100年時点の温度上昇を2℃以下に抑えられる確率が約50%
毎年
1.23%
削減
IEA ETP 2DSシナリオに基づき設定される閾値
新マニュアルの
要求水準
Well Below 2℃
2100年時点の温度上昇を2℃以下に抑えられる確率が約66%
毎年
2.5%
削減
IEA ETP B2DSシナリオに基づき設定される閾値
新マニュアルの
推奨水準
1.5℃
2100年時点の温度上昇を1.5℃以下に抑えられる確率が約66%
毎年
4.2%
削減

※ 国際エネルギー機関 エネルギー技術展望
出典:SBT「Target Validation Protocol version 1.0」よりみずほ情報総研作成

企業がSBTに参加する動機

では、なぜ企業はこのような厳しい仕掛けに参加するのだろうか。

SBT事務局は、SBTを設定することで、「世界的に加速している低炭素経済への移行のなかでも、低炭素で将来性のある成長の軌道に乗ることができる」としている。パリ協定の採択により世界が目指すこととなったWB2℃社会、この移行に際しあらゆる市場のあらゆる業種が変化を求められている。そのようななか、企業においてWB2℃に向けた社会変化に対応できているのかを判断する一つのKPIがGHG排出量だ。SBTの参加企業は、パリ協定と整合するGHG排出量削減目標、ひいてはその実現に資する事業目標を検討するための手段として、SBTを利用していると考えられる。

また、SBTは、パリ協定に整合する持続可能な企業であることをステークホルダーに対してわかりやすくアピールする手段でもある。例えば、SBT水準の目標を掲げることで、従業員に対して積極的な削減取組や画期的なイノベーションに向けた機運を高めたり、投資家に対してCDPのスコアを向上させることで企業評価を高めたり、リスク意識の高い顧客に対してビジネス展開上のリスクの低さを示すことで潜在顧客等の機会獲得等にも寄与したりする。実際、SBT事務局が実施したSBTコミット*企業のうち185社の企業役員によるアンケート結果(表2)によれば、多数の企業がそのメリットを感じていることがわかる。

また、SBTの設定方法の一つ「サプライヤー・カスタマーエンゲージメント」も、参加動機の一つだろう。SBTは、Scope3排出量(自社の調達物品の製造工程や製品の使用段階などによる排出量)に関しても削減目標の設定を要求しているが、その実排出者は目標設定企業のサプライヤーや顧客であり、目標設定企業の一存では削減の意思決定ができないため、削減目標値を設定しづらい。そこで、サプライヤーや顧客に働きかけて、各社にSBT水準の目標を設定させることをもって、目標設定企業のScope3排出量に関する削減目標とみなす、サプライヤー・カスタマーエンゲージメントという手法が認められている。このような顧客からのエンゲージメントに対応することを目的に、サプライヤーなどに波及しているものと思われる。


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表2 SBTコミット企業役員によるアンケート結果
SBTコミットにより
得られるメリット
ステークホルダー 実感企業の割合
社内イノベーションを加速 社内 63%
規制による不確実性の低減 社内、政府 35%
投資家の信頼獲得 投資家 52%
競合に対する優位性の獲得 社内、顧客 55%

出典:SBTホームページよりみずほ情報総研作成

SBTは企業経営戦略検討のための道しるべ

従来、CSRなどの文脈で語られる企業の環境対応は、純粋な追加コストとして認識され、企業の経済性とは相反関係にあったように思われる。しかし、パリ協定の採択やTCFD最終報告書の発行などを受け、気候変動は企業の経営戦略のなかに取り込まれ、環境対応は企業の生存戦略として不可分になりつつある。

その機運を受け、2019年5月現在、550社を超える企業がSBTにコミットし、うち200社以上がSBT認定を得ている。この機運は更に拡大していくだろう。パリ協定が目指す社会の実現に向け、企業はいま、大きな変容のときを迎えている。


  • *2年以内にSBTを設定することを約束するもの
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