ページの先頭です

カーボンプライシングに関する世界の潮流とビジネスへの影響(1/2)

  • *本稿は、『みずほグローバルニュース』 Vol.113 (みずほ銀行、2021年3月発行)に掲載されたものを、同社の承諾のもと掲載しております。

みずほリサーチ&テクノロジーズ 環境エネルギー第1部
課長 元木 悠子、コンサルタント 津田 啓生

はじめに

2020年10月26日、菅首相は温室効果ガス2050年実質ゼロをめざすと宣言し、脱炭素社会の実現に舵を切った。そして2021年1月18日の施政方針演説では、COP26(第26回気候変動枠組み条約締約国会議)までに意欲的な2030年目標を表明することや、成長につながるカーボンプライシングにも取り組んでいくことを宣言した。

このように、カーボンプライシングを巡って、日本は今大きな転換点を迎えている。本稿では、カーボンプライシングの国際的な潮流を整理するとともに、日本における議論の見通しとビジネスへの影響について解説したい。

カーボンプライシングに関する世界の潮流と日本における議論の動向

(1)カーボンプライシングとは何か

カーボンプライシングとは、炭素に価格を付けて排出コストを「見える化」することである。主な手法に炭素税と排出量取引制度があり、それぞれ次の特徴がある*1

炭素税(Carbon Tax)は、炭素の排出1トンあたりの課税で、価格が安定する、幅広い主体に価格シグナルを付与できる、排出量に応じた負担のため公平性に優れる、政府に税収をもたらす等の長所がある。一方、確実な削減量を見通せない、価格転嫁(販売価格への上乗せ)の度合いによって効果が左右される等の短所がある。

それに対して排出量取引制度(Emission Trading System)は、企業の一定期間の排出量に上限(キャップ)を定め排出枠の取引を認める制度である。国としての総量削減を確実に達成できる、企業が削減手段を自由に選択できる、企業に排出枠の売却益や政府にオークション収入がもたらされる等の長所があるが、価格が変動し企業が長期的な投資計画を立てにくい、義務遵守のモニタリングが必要となり中小事業者を対象とすることが困難、キャップの設定や排出枠の割り当てに係る行政コストが高い等の短所がある。

このように価格と排出量の設定方法に違いがあるものの、いずれも価格シグナルを通じて、消費者の行動をより脱炭素に導くとともに、企業や投資家に脱炭素技術への投資を促し、イノベーションを後押しする役割が期待されている。

(2)世界に広がるカーボンプライシング

世界銀行の『State and Trends of Carbon Pricing 2020』によれば、2020年4月時点で、世界の46ヵ国・32地域でカーボンプライシングが導入されている。

欧州では、1990年代の北欧諸国を皮切りに、多くの国で炭素税の導入が進み、2005年からはEU-ETS(欧州連合域内排出量取引制度)が開始。スイスやEU離脱後の英国も独自の国内排出量取引制度を創設している。

北米では、カナダブリティッシュコロンビア(BC)州の炭素税の他に、RGGI(米国北東部州地域GHGイニシアチブ)、米国カリフォルニア州、カナダケベック州等が排出量取引制度を導入している。加えてカナダでは、国の定める水準(2019年20カナダドル/トンから2022年50カナダドル/トンに徐々に引き上げ)を満たさないすべての州・準州に、連邦政府の定めるカーボンプライシングを2019年から適用している。

アジアでは、韓国が排出量取引制度を導入している。2060年カーボンニュートラルを宣言した中国では、北京市など2省・5市で実施中の排出量取引制度のパイロット事業の経験等も踏まえ、2021年2月から全国排出量取引制度を開始。当面は発電部門を対象とし、徐々に対象業種を拡大していく予定である。このほか、ベトナム、タイ、インドネシア、台湾等でも、自国の削減目標を達成するための手段として、カーボンプライシングの導入を決定、または検討を進めている。

(3)EUの動向

脱炭素社会の実現に向けて世界をリードするEUの動向について、より詳しく見ておきたい。欧州委員会は2019年12月に欧州グリーンディールを発表し、2050年気候中立(排出実質ゼロ)を法定化した欧州気候法の制定、2030年削減目標の引き上げ(2020年12月に55%削減で合意)、EU-ETS指令などの立法措置改正、そしてEU域外企業に対する炭素国境調整措置(炭素規制が緩い域外からの輸入品に新たな関税等を課す制度)の新規導入を進めていくと宣言した。

コロナ危機からの復興においても、1.8兆ユーロの中期予算(2021~2027年)の3割を気候変動対策に充てるなど「グリーンリカバリーによる経済再建」の旗印を鮮明にしている。また、EU-ETSの強化や炭素国境調整措置による新たな収入を、2023年までに集中的に投入する復興基金(Next Generation EU)の返済資金に充てるとしている。EU-ETSの強化については、そのための改正案を2021年6月までに欧州委員会が策定する予定である。同改正案には、現在対象となっていない海運・建物・運輸への対象拡大、総排出枠の縮小(年次逓減率の引き上げ)、無償割当の見直しなどの制度強化が盛り込まれる見込みである。炭素国境調整措置については、同じく欧州委員会が2021年6月までに提案を行い、遅くとも2023年1月までに制度が導入される見込みである。

こうしたEUの2050年気候中立に向けての制度強化の動きを受け、EU-ETS排出枠(EUA)の取引価格はコロナ危機直後の大幅下落からV字回復し、2020年末に30ユーロ超を記録した(図表1左)。では取引価格は今後どうなるか。英国スターン らが共同議長を務める炭素価格ハイレベル委員会の報告書*2によれば、パリ協定の2℃目標の達成のためには2030年までに100米ドル/トンの炭素価格が必要としている。実際、欧州の多くの炭素税導入国はその水準に向けて税率を引き上げている。スウェーデンのように既に100米ドル/トンを超えた国や、フランスやアイルランドのように将来の炭素税の引き上げ目標(2030年に100ユーロ/トン)を提示している国もある。こうした国際機関や国レベルの動きを踏まえると、排出枠の取引価格は今後さらに上昇すると考えられる。


図表1 EU-ETS排出枠の取引価格(左)と炭素税導入国の税率(右)
図

(出典)各国政府機関、Emission Spot Primary Market Auction Report 2020等より、みずほ情報総研作成

(4)日本におけるカーボンプライシングの議論の動向

日本では、炭素税に相当する税制(すべての化石燃料にCO2排出量に応じて課税する地球温暖化対策のための税)が、2012年10月に石油石炭税に上乗せする形で導入された。ただし、その税率は289円/tCO2と炭素税を導入している諸外国と比べてかなり低い水準である。排出量取引制度については、東京都と埼玉県でのみ導入されている。

冒頭で述べた通り、2021年に入り、菅首相は施政方針演説において「成長につながるカーボンプライシングにも取り組んでいく」として、カーボンプライシングの導入を示唆した。具体的な制度設計の議論はこれからとなる。現時点でその行方を見通すことは難しいが、制度を議論するうえでのポイントは「削減目標の達成」と「グリーン成長の促進」のバランスや優先度となるだろう。

削減目標の達成の観点からは、政府が排出量の上限を定め、企業が市場価格を見ながら自らの排出量と排出枠売買量を決定する排出量取引制度が有効である。日本は既に省エネ法(エネルギーの使用の合理化等に関する法律)および温対法(地球温暖化対策の推進に関する法律)で、原油換算で年間1,500kL以上のエネルギーを利用する事業者にエネルギー使用量や温室効果ガス排出量の報告を求めている。これらの制度によりエネルギー消費量ベースで産業部門の9割、業務部門の4割がカバーされている。この制度をベースに排出量取引制度を設計し、対象事業者の排出枠を徐々に引き下げることで更なる排出削減を促していくことが考えられる。

他方で、グリーン成長を促進するためには、再エネ(再生可能エネルギー)や脱炭素技術の開発・普及を促していく必要がある。この観点では、CO2排出量が多い製品の価格を上げ、再エネや脱炭素技術の価格競争力を相対的に高める炭素税が有効である。また、炭素税では、炭素価格が安定することから、投資判断を行う企業の中長期的な予見可能性を高め、脱炭素技術への投資を促進することも期待できる。加えて、炭素税収を脱炭素投資の原資として企業に再配分することも可能である。

日本政府は2021年予算で2兆円の脱炭素基金の創設を決定するとともに、最大1割の税額控除を通じて脱炭素投資を促す方針である。2050年脱炭素社会実現のための原資としてカーボンプライシングの役割は今後さらに高まっていくと考えられる。

ページの先頭へ