ページの先頭です

マテリアルズ・インフォマティクスの最新動向と今後の展望(1/3)

  • *本稿は、『産業洗浄』No.28(日本産業洗浄協議会、2021年11月発行)に掲載されたものを、同編集部の承諾のもと掲載しております。

みずほリサーチ&テクノロジーズ
情報通信研究部 玉垣 勇樹
環境エネルギー第1部 森 涼子、井上 知也

1.はじめに

材料工学が網羅する領域は非常に広い。鉄鋼や合金などの金属材料をはじめ、半導体や絶縁体に利用されるセラミックス材料、エンジニアリングプラスチックやハイドロゲルに利用される合成高分子材料や添加される低分子材料、さらには再生医療に利用される細胞も材料として見なされている。

マテリアルズ・インフォマティクス(Materials Informatics、MI)は、このような幅広い領域に跨る材料工学において、材料の効率的な開発や安全性の評価などを目的として情報工学の技術を導入するものであり、データ駆動型人工知能(Artificial Intelligence、AI)の発展と国家戦略・成長戦略としての「デジタルトランスフォーメーション(Digital Transformation、DX)」*1 *2が相まって、材料工学分野の変革技術として大きな注目を集めている。先日公表された産業競争力強化法に基づく指針(2021年8月2日施行)では、化学産業において、研究者の勘と経験に頼る従来の方法からAIなどを活用したMIへの移行の取り組みの重要性が言及され*3、また、化学工業日報社が2021年6月に化学企業45社に対して実施したアンケートにおいては約8割の企業が「研究開発」を中心にDX投資を拡大すると回答しており、その最重点にMIが挙げられている*4。今後、材料開発におけるMIの活用はより進んでいくものと予想される。

本稿では、新規材料開発における国内外のMIの活用動向について解説し、MI活用の今後の展望について述べた後、最後にAIの理解のために役立つ情報を参考として紹介する。MIの活用動向は、機能性を有する材料探索などの「機能性の側面からのMI活用動向」、および、上市判断で必要となる安全性予測などの「安全性の側面からのMI活用動向」の2つについて、事例を中心に解説する。一般的には前者(機能性の側面からのMI活用)が知られているが、今後、後者(安全性の側面からのMI活用)についても重要度を増していくものと筆者らは考えている

2.機能性の側面からのMI活用動向

2.1.開発競争のはじまりと画期的成功事例

MIにとって2010年代初頭は大きな転換期であった。2011年6月、米国のオバマ大統領が「材料ゲノムイニシアティブ(Materials Genome Initiative、MGI)」を国家プロジェクトとして立ち上げ、初めの5年間で5億ドル以上の予算を投じた。このことが火付け役となり世界中でMIの開発競争がスタートした。

このMI開発ブームの中、2012年1月に画期的な研究成果が発表された。韓国サムスン電子と米マサチューセッツ工科大学がChemistry of Materials誌で発表*5した、次世代Liイオン2次電池の有力候補とされている全固体電池の材料探索の事例である。この研究では、計算機によるシミュレーションによって超イオン伝導体となる硫化物系材料(Li10GeP2S12)を僅か数ヶ月で発見した。実験的アプローチをとった東京工業大学とトヨタ自動車の共同研究グループが同じ組成の材料を見つけ出すのに約5年を費やした(2011年5月特許出願、2012年5月公表)ことと比較し、MIの活用により材料探索に要する期間を飛躍的に短縮した画期的な成功事例であり、今後の材料探索競争の勝敗にMIの活用が大きく影響することを示したと言える。

以降では、機能性の側面からのMI活用動向について、新たな組成・構造の材料を開発する「材料探索」と、既存材料を新たな用途に転用する「用途探索」の2つに分けて解説する。

2.2.海外のMI活用動向(実用化例含む)

(1)材料探索

①米国

米国では先に挙げたMGIの取り組みが有名である。2011年に米国国立標準技術研究所(NIST)を中心に始まったMGIは、MI開発において多くの成果を上げた*6。代表的な事例は分子モデリングとX線小角散乱実験および進化的最適化手法を組み合わせ、ジブロック共重合体のミクロ相分離構造を詳細に推論した研究である*7。他にも、極性金属*8や有機発光ダイオード*9の材料に対しても成功を収めている。

民間においては、2016年に、農業分野向けのバイオ分子探索を目的として、米Dow AgroSciencesがバイオテクノロジーに関するソフトウェア開発企業である米TeselaGenとの事業提携を発表した*10。また、2017年には、機械学習を用いた材料・化学物質探索を目的として、米Dow Chemicalが量子コンピュータ技術で有名なカナダの米1QB Information Technologiesとの事業提携を発表している*11

②欧州

欧州ではHorizon 2020(2014~2020年)におけるNovel Materials Discovery(NOMAD)プロジェクトおよびスイス独自のプロジェクトであるMaterials Revolution Computational Design and Discovery of Novel Materials(MARVEL)が代表的な取り組みとして挙げられる。NOMADではMIのためのビックデータ分析ツールが開発され、NOMAD Laboratory*12上でインターフェースが提供されている。NOMAD Laboratoryでは計算材料科学のデータの収集と共有も実施しており、世界中からデータを集積している。共有するデータにはDOI(Digital Object Identifier)を付与することができ、データ作成者の権利を守りつつオープンイノベーションを進めることができる。MARVELは量子シミュレーションデータを用いた新材料開発を目指し、MIのフレームワークのひとつであるAiiDa(Automated Interactive Infrastructure and Database for Computational Science)*13にデータを収載している。

民間においては、独BASFが、計算機メーカの米Hewlett Packard Enterpriseと世界最大級の工業化学研究用スーパーコンピュータを共同開発し、シミュレーションを用いた新規ポリマー設計の高速化などに取り組むと2017年に発表した*14。さらに2018年には、新規触媒の開発に向け、MIの先端企業である米Citrine Informaticsとの事業提携を発表した*15

③中国

中国では、2015年に中国科学技術部がMGIと同様の思想に基づく研究プロジェクトとして「材料遺伝子工学のキーテクノロジーとサポートプラットフォーム」に関するキープロジェクト(Materials Genome Engineering、MGE)を立ち上げ、現在に至るまで材料の基礎理論、キーテクノロジー、サポートプラットフォームに関する研究開発を継続している*16。既に数多くの新規材料開発が行われており、例えばフェーズフィールドシミュレーションとそのシミュレーションデータを利用した機械学習により、ポリマー系誘電体の絶縁破壊を定量的に計算するための計算モデルを構築し、誘電体の絶縁破壊に対して最適化した材料設計をすることで絶縁破壊電界強度を最大43%向上させたとしている*17。MGEは第11次5カ年計画(2006~2010)に構築された材料データベースMaterials Scientific Data Sharing Network(MSDSN)やNational Environmental Corrosion Platform(NECP)が開発したポータルWebサイトChina Gateway to Corrosion and Protectionに収載されたデータを活用するなど、中国全土の研究拠点でデータ駆動型AIを活用した材料開発を強力に推進していることも特徴である*18

(2)用途探索

米国では、米国環境保護庁のExpoCastプロジェクトにおいて、化学物質の用途を探索する取り組みが行われている。具体的には、インターネット上で収集した化学物質の化学構造情報と用途情報から用途情報データベースを構築し、そのデータベースと機械学習を活用して41の用途予測((Quantitative) Structure-Use Relationship、(Q)SUR)モデルを開発し(8用途の予測モデルは性能基準に達しなかったため内数に含めず)、予測対象の化学物質がそれぞれの用途で使用できる「確率」を計算できる*19。用途予測の研究は継続的に行われ、CompToxプロジェクトの統合データベース(CompTox Chemical Dashboard)*20で予測結果が公開されている。

2.3.日本のMI活用動向(実用化例含む)

(1)材料探索

日本では、2015~2020年度に国立研究開発法人科学技術振興機構イノベーションハブ構築支援事業の一環として発足した「情報統合型物質・材料開発イニシアティブ」プロジェクト、および2014~2018年度の戦略的イノベーション創造プログラム(Cross-ministerial Strategic Innovation Promotion Program、SIP)「革新的構造材料のマテリアルズインテグレーション」が代表的なものとして挙げられる。前者では、機械学習やシミュレーション計算を活用した蓄電池材料*21や磁石材料の新規探索・材料最適化*22の成果が得られた。後者では、日本の産学官が連携して、MIのコンセプトを基に「マテリアルズインテグレーション」の技術基盤を開発し、さらにSIP第2期(2018~2022年度)ではこの技術基盤を活かした統合型材料開発システムの開発が進行中である*23

民間においては、三井化学と日立製作所が連携して、MIを活用した新規材料開発の実証実験を開始することを2021年6月に発表した*24。なお、この実験に先立ち三井化学の有機材料開発データを用いて日立製作所の新規MI技術を検証したところ、従来のMIと比較して実験回数が約1/4に削減されたと報告された。日立製作所の新規MI技術では、膨大なデータを用いて「教師なし学習」を実施した上で、少ない実験データで「教師あり学習」を行う「半教師あり学習」を用いた入子型のVariational Auto-Encoderモデルが採用されているとされる*25。また、旭化成はMIの導入により、自動車部品に使われるエンジニアリングプラスチックのコンパウンドの開発期間を約1/3に、石油化学製品の製造に使う触媒の開発期間を1/5~1/10に短縮できたと発表した*26

(2)用途探索

環境省では、化学物質のライフサイクル全体のフロー・ストック量を構造情報のみから推定することに取り組んでいる*27 *28。化学物質の販売サイト・特許情報から用途情報を収集し、化学構造を同定した上で、機械学習を活用して40用途の(Q)SURモデルを構築した。外部評価を実施したところ、Balanced Accuracy(BA)が12用途で80%以上(及第点)、12用途で70~80%(もう一歩)、16用途で70%未満(精度低)という結果となった。また、機械学習の精度向上と説明性の向上のため、分類した用途毎に(Q)SURモデルとは別に二分木モデルを構築し、各用途において「どのような部分化学構造がその用途において特徴的なのか」を目視に基づいて確認し、予測精度の攪乱要因となっているデータを特定・修正するなどの地道な作業を行っている。

民間においては、トヨタ自動車が自動車材料開発の知見・ノウハウを活用した自動解析アルゴリズムの導入支援までをソリューションの形で提供するという動き(2021年3月発表)*29や、三井化学が既存材料の新規用途探索のために素材物性と用途の関係性、市場動向、特許や論文などの情報を収集しIBMのAI「ワトソン」の機能と組み合わせるという動き(2021年5月発表)*30がある。特に後者は、国内の化学業界で新規用途探索にAIを使う初めての事例とされている*30

ページの先頭へ