ページの先頭です

マテリアルズ・インフォマティクスの最新動向と今後の展望(2/3)

  • *本稿は、『産業洗浄』No.28(日本産業洗浄協議会、2021年11月発行)に掲載されたものを、同編集部の承諾のもと掲載しております。

みずほリサーチ&テクノロジーズ
情報通信研究部 玉垣 勇樹
環境エネルギー第1部 森 涼子、井上 知也

3.安全性の側面からのMI活用動向

3.1.安全性評価におけるMI活用への期待の高まり

化学物質の利用にあたっては、人体に直接摂り込まれる食品、医薬品、農薬などの物質は勿論のこと、工業用品などに利用される物質についても地球環境への影響を踏まえた安全性の評価が必要であり、これまでは主に動物試験をおこなってきた。しかしながら、動物試験は費用と時間を要するため、機能や用途毎に生成した様々な新規化学物質に対して動物試験をおこなうことは企業にとって負担が大きい。加えて、欧州化粧品規則により、2013年3月以降、動物試験をおこなった化粧品の販売が欧州市場で禁止されるなど、動物試験廃止に向けた動きが加速している。このような背景から、情報工学の技術を活用し、動物試験ではなく計算機上で安全性を評価する予測モデルの構築・導入が急務となっている。

3.2.海外のMI活用動向(実用化例含む)

(1)EU-ToxRiskプロジェクト(欧州)

欧州では、ヒト細胞の応答および化学物質の有害性影響発現の包括的メカニズムに基づいた試験管内試験(in vitro)の評価手法構築を目的として、3000万ユーロの予算を投じ、EU域内の13か国39機関が参加する大規模プロジェクトが進行している(2016~2021年)。このプロジェクトは規制当局と対話しながら評価手法を構築していくことに特徴がある。開発した予測手法を用いたケーススタディを規制当局と対話して予測手法をブラッシュアップし、得られた経験知を規制当局のガイダンスに落とし込むことで、欧州に現在上市されている/今後上市され得る多種多様な化学物質の安全性評価を効率化することを目指している。

(2)Tox21プロジェクト(米国)

米国では、詳細評価が必要な化学物質を優先順位付けすることを目的として、毒性を発現するメカニズム(作用機序)を特定した動物試験(in vivo)データの予測モデル開発を米国内5政府機関による共同で実施している(2008年~)。このプロジェクトの特徴は、ロボットを用いた自動実験体制の構築とデータ公開である。公開されたデータは、毒性予測モデルの精度を競うコンペティション「Tox21 Data Challenge 2014」に用いられ、世界各国の研究者らの40チームが参加し、378の予測モデルが提出された。それらを集約・構築したコンセンサスモデルでは、個別モデルよりも高い精度が得られたとしている*31

3.3.日本のMI活用動向(実用化例含む)

(1)創薬支援推進事業 ―創薬支援インフォマティクスシステム構築―(国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED))

AMEDは、日本の創薬支援の基盤強化を目指し、医薬品や化学物質に関する情報を格納した統合型データベースの構築、および、新規化学物質の代謝・毒性・薬効領域を予測する多元的構造活性相関の手法開発を目的とする「創薬支援インフォマティクスシステム構築」プロジェクトを実施した(2015~2019年度)*32。国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所および国立研究開発法人理化学研究所が中心となって手法開発をおこない、プロジェクトの成果としてDruMAP(薬物動態)、AMED Cardiotoxicity Database(心毒性)、DILI-cSEARCH(肝毒性)などのデータベース、および、hERG予測モデルやDILI-PANELなどのモデルが公開された。2021年3月には国内製薬企業7社が社内データと公開された予測モデルを共有するなど、先進的な産学連携が進んでいる*33

(2)省エネ型電子デバイス材料の評価技術の開発事業(機能性材料の社会実装を支える高速・高効率な安全性評価技術の開発)(経済産業省)

経済産業省において、毒性学とAIの研究者が連携して人健康の安全性を予測することを目的とした省エネ型電子デバイス材料の評価技術の開発事業(機能性材料の社会実装を支える高速・高効率な安全性評価技術の開発)としてAI-SHIPS(AI-based Substance Hazard Integrated Prediction System)*34プロジェクト(2017~2021年度)が進行中である。このプロジェクトの最大の特徴は、化審法や欧州REACH規則で提出・登録された既存のin vivoデータを活用すると共に、in vitro試験結果やその予測値を利用することで毒性発現機構を考慮した毒性予測を行う点にある。また、消化管からの吸収や蓄積性など体内動態についても予測することとしている。既存の(定量的)構造活性相関((Quantitative) Structure-Activity Relationship、(Q)SAR)モデルでは難しい「毒性発現作用機序情報」を提示することも目指しており、多数の化学物質に対して様々な種類のin vitroデータを取得し、AIの力を借りて説明性を高めることに取り組んでいる。

4.今後のMI活用の展望

これまでの新規材料開発におけるMI活用は、日本よりも海外が先行している感が否めないものの、日本においても成長戦略・国家戦略としてデジタル化やデジタル技術の強化が位置付けられ、研究が加速していくものと思われる。本稿で紹介した事例も踏まえ、国内外のMI活用にかかわる今後の流れについて展望する。

(1)企業におけるMI活用の進展

MI活用を経営戦略に取り入れるなど、より強力にMIを推進する企業が増えている。特に、製造業では「モノ売りからコト売りへ」とビジネス変革が叫ばれる中、MIの導入によって新たな事業展開・企業価値の獲得につなげようとする取り組みが目立つ。先鋭的な企業については、MI活用による成果を出しつつあるように見受けられる。

(2)企業間でのデータシェアの進展

MIの質的向上にあたっては多くのデータが必要と考えられるが、企業単独ではビックデータと呼べるほどのデータを有していない場合が多い*35。MIの質的向上に向け、門外不出であった自社データを「競合他社」と共有するデータシェアが進展していくことが予想される。実際、物質・材料研究機構(NIMS)が中核となって、三菱ケミカル・住友化学・旭化成・三井化学と共同で化学マテリアルズ・オープン・プラットフォーム(Materials Open Platform、MOP)を設立し、企業間でデータをシェアするという、従来では考えられなかった取り組みが始まっている*36

(3)IT企業などとの協働の進展

特にMIの導入期においては、必要となるITノウハウが不足していることから、メーカとIT企業などの異分野との協働が増えていくと思われる。協働により研究開発の加速が可能となる反面、自社データがIT企業に流れ、近い将来にはメーカがIT企業の下請けとなることを危惧する声もあるものの*37、情報管理を含めてきちんとガバナンスを設計することで、この危惧は回避できるものと思われる。

(4)安全性(毒性)予測技術の進展

言うまでも無く、新材料の上市に向けては安全性の確認が重要であり、場合によっては企業の存亡にもかかわる。加えて、動物試験の新規取得が禁止されるという、ひと昔前には考えられなかった時代に突入し、動物試験に依存しない安全性(毒性)予測技術の開発は喫緊の課題である。現時点での予測精度は十分とは言えないものの、前述の通り産官学での研究開発への取り組みも強化されており、今後の予測技術の進展に期待したい。

菅総理大臣が「2050年までに温室効果ガスの排出実績ゼロ(カーボンニュートラル)を達成」すると宣言し、また、脱炭素に係る問題が日々ニュースで取り上げられるようになった。このように脱炭素は我々の身近なものとなったが、現在の技術水準では達成困難との見方も強く、複数の分野での(破壊的な)イノベーションが期待される。材料産業においても、これまで以上に高い耐久性能や高い環境性能を有する材料を求める声が強まると予想される。現時点では材料産業にとってピンチと言える状況であるが、逆に、イノベーションを果たすチャンスと捉えることもできる。MIの活用はその大きな力になり得ると信じている。

ページの先頭へ