ページの先頭です

新ガイダンス徹底解説:ネットゼロへ、7つの指標示せ

  • *本稿は、『日経ESG』2022年1月号(発行:日経BP)に掲載されたものを、同編集部の承諾のもと掲載しております。

みずほリサーチ&テクノロジーズ 環境エネルギー第2部
上席主任コンサルタント 大山 祥平
主任コンサルタント 今井 優里

気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)は2021年10月、「指標、目標と移行計画に関するガイダンス」を公表した。新ガイダンスは、TCFDが17年6月に発表した「提言」において企業に情報開示を求めた「指標と目標」を中心に、より具体的な開示方法を示し、「移行計画」という新しい概念を導入した。併せて、TCFD提言の「附属書」に記された推奨開示事項も改訂された。

ここでは、新ガイダンスの概要と附属書の主な変更点や企業が対応する上でのポイントを解説する。

TCFDには4つの開示項目があるが、今回改訂が加えられたのは、「戦略」と「指標と目標」の2項目である。

戦略には、新たに「組織に与える実際の財務上の影響」と「低炭素経済に移行するための組織の計画(移行計画)」が追記された。

前者について、TCFDは従来から気候変動が企業に与える財務的影響の開示を求めていたが、改訂版ではより具体的に、「財務パフォーマンス(売り上げや費用など、損益計算書=P/Lに影響)」と、「財務ポジション(資産や負債など、貸借対照表=B/Sに影響)」に分けて開示することが推奨されている。また、後者の「移行計画」は今回の改訂の目玉と言えるため、詳しく解説したい。

続いて、指標と目標では「産業横断的な気候関連指標カテゴリー」が提示され、温室効果ガス排出量の開示についても、文言の修正が行われた。いずれも重要な変更である。


左右スクロールで表全体を閲覧できます

表1 TCFD提言「附属書」の改訂内容
  変更点
ガバナンス 変更なし
戦略
  1. a:変更なし
  2. b:組織に与える実際の財務上の影響と、低炭素経済に移行するための組織の計画(移行計画)の主要な情報を、より明確に開示するよう改訂
  3. c:潜在的な財務影響をより明確に開示するよう改訂
リスク管理 変更なし
指標と目標
  1. a:産業横断的な気候関連指標カテゴリー(表2参照)と整合性のある指標をより明確に開示するよう改訂。必要に応じ、現在・過去・および将来の期間について開示も求められる
  2. b:スコープ1、2の温室効果ガス排出量の開示を、マテリアリティ評価に関わらず行うよう改訂。スコープ3の開示は強く推奨
  3. c:産業横断的な気候関連指標カテゴリーと整合性のある目標を開示するよう改訂。中長期の目標を開示していて、可能な場合は、中間目標も開示するよう改訂

提言附属書の改訂内容のうち、金融セクター向けの変更点を除いて示した

出所:TCFD The Task Force on Climate-related Financial Disclosures _Implementing the Recommendations of the Task Force on Climate-related Financial Disclosuresに基づきみずほリサーチ&テクノロジーズ作成

リスク抱える資産の開示を

TCFDは、最終的に開示情報が産業横断的に比較可能となることを目指している。なかでも「指標と目標」は、特に投資家が求める財務影響を導き出すのに必要な定量的な情報であることから、当初から開示が推奨されてきた。

しかし、企業の多くがその開示に苦慮し、定量情報の開示が足りないという問題意識から、TCFDは今回、7つの気候関連指標カテゴリーを示した。その多くは、日本企業による開示があまり進んでいない。

企業にとって開示のハードルが特に高いのは、(2)移行リスクと(3)物理的リスクに関する指標だろう。

リスクにさらされている資産を開示することは、将来的に減損リスクや含み損を抱えることを示唆する。この項目の開示が投資家によるダイベストメントのきっかけにもなり得るため、慎重かつ戦略的な開示が求められる。例えば、移行リスクにさらされる事業活動の割合を開示する一方で、それ以上に移行に伴う機会が大きいことを示すのも一案だ。

なお、これらの指標は現在、投資家や金融機関によるポートフォリオのリスク開示に使われるのが一般的であり、今後、事業会社による開示事例が増えることも期待したい。

(5)資本配備も開示が難しい。支出額や投資額の開示は企業秘密に触れる可能性がある上、企業が経営に気候変動対策を組み込んでいることが前提となる。そのため、開示のハードルは高いが、例えば中期経営計画の投資予定額のうち何割を気候変動対策に充当するかや、収益の何割を気候変動対応の研究開発に投下するかといった開示が考えられる。

また、こうした投資の意思決定の際、「社内炭素価格(ICP)」を活用していれば併せて開示することでカテゴリー(6)の開示も満たせる。なお、ICPの導入・活用については、「日経ESG」21年12月号にみずほリサーチ&テクノロジーズが寄稿した記事*で詳しく解説している。

(7)報酬については、役員個人の報酬額に影響する項目であるため、経営層が気候変動対応に本気で取り組む覚悟が必要だ。それゆえ、投資家にとっても経営層の本気度を測る判断基準になり得る。開示例には、温室効果ガス排出削減目標の達成状況やESG外部評価と報酬額との連動の有無の開示などが考えられる。

(1)温室効果ガス排出量は比較的取り組みやすいだろう。温室効果ガス排出量のうちスコープ1、2は、世界的にも開示が進んでいることから、今回の改訂でマテリアリティ評価に関わらず全ての企業に開示が求められることになった。

スコープ3の開示は必須ではない。TCFDは算定方法に技術的な課題があると認めながらも、投資家からの開示要請は依然高いため「強く推奨する」とした。

同様に手を付けやすいのは、(4)気候関連の機会だ。ここで求められるのは機会につながる収益、資産、事業活動の割合などだが、リスクの開示に比べて前向きなアピールにもなるためハードルは相対的に低いだろう。多くの日本企業が環境配慮製品の売上高などの開示を進めており、こうした開示を活用できる。

TCFDは7つの指標全ての開示を初めから必須としているわけではないが、いずれも今後、投資家などからの期待が高まると予想される。


左右スクロールで表全体を閲覧できます

表2 7つの気候関連指標カテゴリー
気候関連指標カテゴリー 概要
(1)温室効果ガス排出量 スコープ1、2、3の絶対排出量、排出原単位
(2)移行リスク 移行リスクに対して脆弱な資産または事業活動の量と範囲
(3)物理的リスク 物理的リスクに対して脆弱な資産または事業活動の量と範囲
(4)気候関連の機会 気候関連の機会に繋がる収益、資産、事業活動の割合
(5)資本配備 気候関連のリスク・機会に向けて配備された資本支出、資金調達、投資の総額
(6)ICP(内部炭素価格) 組織内で使用される温室効果ガス排出量1t当たりの価格
(7)報酬 気候配慮に連動する役員報酬の割合

出所:TCFD The Task Force on Climate-related Financial Disclosures _Guidance on Metrics, Targets and Transition Plans October 2021に基づきみずほリサーチ&テクノロジーズ作成

キリンやBHPが「移行計画」

移行計画について、TCFDは「気候関連リスクと機会に対する組織の事業戦略の一部であり、低炭素経済への移行を支援する一連の目標と行動を示すもの」と定義している。企業が移行リスクと機会に備え、具体的にどのような目標設定や対応を行っているかが問われている。

従来のTCFD開示では、シナリオ分析を実施し、抽出したリスクと機会に対する対応策を説明することが1つのゴールとなっていた。しかし、世界全体が50年ネットゼロに向けて大きく変化するなか、投資家は企業が長期にわたる移行を成し遂げ、事業を存続できるかを判断する必要があり、より具体的な実行計画を求めたということだろう。この背景には、投資家や金融機関におけるネットゼロイニシアチブの台頭も影響していると考えられる。

TCFDは、移行計画の開示に当たり考慮すべき事項として、例えば戦略については、表3の内容を示した。「世界的な温度目標などとの整合」や「移行計画をサポートする財務計画などの説明」は重要であり、対応を検討する必要があるだろう。

一方で、TCFDは移行計画を開示するための具体的なフォーマットを指定していない。海外企業における移行計画の開示事例が掲載されているが、これらも表3の全ての要素を満たしているとは言い難く、移行計画に関する開示が国際的にも発展途上であると見て取れる。

それでも一部の企業は既にTCFD開示に移行計画の要素を取り入れている。例えば、キリンホールディングスはシナリオ分析の結果を踏まえて環境ビジョンを改訂し、温室効果ガス排出削減目標の改訂や再エネへの投資拡大などの具体的な取り組みにつなげている。また、英豪BHPビリトンは21年9月に移行に向けたアクションプランを公表。再エネ導入の数値目標や脱炭素技術への投資額を開示している。こうした先進企業の開示は参考になるだろう。


左右スクロールで表全体を閲覧できます

表3 移行計画の構成要素(戦略)
戦略との整合性

組織は、移行計画と全体戦略を整合させる。移行計画には以下の事項を記載する

  • 活動:決められた期間内に目標を達成する方法
  • 温度目標:世界的な温度目標(例:1.5℃目標)、関連する規制上の義務、および/またはセクター別の脱炭素化戦略との整合
計画の前提 移行計画は組織の想定、特に移行経路の不確実性と実施上の課題について説明する。
前提条件は、組織が財務会計や資本支出、投資決定において使用しているものと一致している必要がある
優先順位の高い機会 移行計画は、世界が低炭素経済に移行する中、 組織が優先順位の高い気候関連の機会をどのように最大化しようとしているかについて説明する
アクションプラン 移行計画は、短期的・中期的な戦略上および運営上の計画を概説し、関連するアクションが温室効果ガス排出の重要な原因にどのように対処するかを説明する。移行計画には、気候関連のリスクを低減し、気候関連の機会を増加させるための現在と計画中の取り組みが含まれる
財務計画 移行計画は、それをサポートする財務計画、予算および関連する財務的目標を説明する
(例:脱炭素化戦略をサポートする資本支出とその他の支出額)
シナリオ分析 組織は、複数の気候関連シナリオを用いて、移行計画と関連する目標の達成可能性を検証する

出所:TCFD The Task Force on Climate-related Financial Disclosures _Guidance on Metrics, Targets and Transition Plans October 2021に基づきみずほリサーチ&テクノロジーズ作成

投資家が満足する開示を

TCFD提言の公表以来、多くの日本企業が開示に取り組んできた。特に、シナリオ分析への対応は決して容易ではなく、負担を感じながら取り組んできた担当者も多いだろう。そんななか、新ガイダンスをどう受け止めればよいだろうか。

今回、TCFDが示した方向性は大きく2つある。1つは、これまで企業ごとの裁量に任されていた開示指標について、具体的な7つのカテゴリーを示し、財務影響の定量化や比較可能性の向上を促したことである。これにより、シナリオ分析のさらなる詳細化が求められる。

もう1つは、新たに移行計画の開示を求めた点である。ここには、シナリオ分析を分析のままで終わらせず、具体的な計画や取り組みに落とし込むことで、その実行を確実にしてほしいという思惑がある。

いずれも、世界的なネットゼロへの移行の流れを受けていることは言うまでもない。これまで通用していた、「機会がリスクを上回っているので当社にはレジリエンスがあります」という説明では、もはや投資家は満足しないだろう。事業の継続性は確保しつつも、どのようにネットゼロを達成するのか、その道筋を示すことが求められている。

TCFD開示と並行して、多くの企業が50年ネットゼロ目標を公表し、具体的な削減プランの検討に着手している。こうしたネットゼロ戦略の検討材料としてもシナリオ分析は有用であり、また、策定した戦略を公表する場としてTCFDの移行計画を活用できる。これらの枠組みを有効活用し、戦略策定と情報開示を両輪で進めていくことが、今後ますます重要になるだろう。


関連情報

この執筆者(大山 祥平)はこちらも執筆しています

2021年2月
移行ファイナンス元年始まる
―ICMAガイダンス解説―
『日経ESG』 2021年2月号
2020年10月29日
世界が注目するTCFDで「攻め」の開示を
ページの先頭へ