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社会動向レポート

化学物質による労働者のリスク低減を目指して(1/3)

環境エネルギー第2部 チーフコンサルタント 貴志 孝洋

2016年6月、改正労働安全衛生法に基づき事業者は、化学物質のリスクアセスメントを実施することが義務付けられた。本稿では、化学物質のリスクアセスメントの考え方について述べるとともに、化学物質による労働者のリスクを低減するための重要なポイントを解説する。

はじめに

化学物質は、我々の暮らしの中で非常に重要な役割を担っており、我が国の産業や経済活動において多くのベネフィットをもたらしている。その一方で、化学物質はしばしば環境汚染の要因として挙げられることもある。例えば、セベソ事故(1)やボパール事故(2)のように、化学物質には甚大な災害を引き起こすなどのリスクも併せ持っている。そのため、適切な管理が求められており、我が国では労働安全衛生法のほか様々な法規制などにおいて化学物質の管理がなされている。

そのような中、2016年6月に、化学物質のリスクアセスメントの義務化などを含む改正労働安全衛生法(以降「改正安衛法」という)が施行された。この改正は、2012年に大阪府のオフセット印刷会社の従業員等が胆管がんを発症するといった重大な労働災害事例が発生したことがきっかけとなった。

2012年当時はまだ労働安全衛生規則や特定化学物質障害予防規則などの特別規則の対象外であった1,2-ジクロロプロパン(DCP)やジクロロメタン(DCM)などを含有する塩素系有機溶剤を洗浄剤として使用していた当該事業者の少なくとも16名の従業員及び元従業員が、胆管がんにり患し、9名が死亡する(2020年1月現在)という重大な労働災害が発生した。この労働災害(いわゆる「胆管がん事案」)をきっかけにして、ハザード管理を中心とした従来の化学物質規制のやり方では、健康を害する危険性から十分に労働者を守ることができないのではないかという意見が広がり、化学物質によるリスクを事前に察知して対応する必要性(リスク管理の必要性)が指摘されることとなった。

そこで厚生労働省は、労働災害を未然防止するための仕組みを充実させるため、労働安全衛生法の見直しを進め、第186回国会(2014年)において「労働安全衛生法の一部を改正する法律」(いわゆる「改正安衛法」)が成立し、同年6月に公布された。

改正安衛法では、一定の危険有害性を有する化学物質(SDS(3))交付義務対象物質)を製造または取扱うすべての事業者は、リスクアセスメントを実施することが求められることとなった(詳細は後述する)。さらに、これまで薬瓶などへのラベルの表示義務は、特別規則に該当する化学物質のみが対象となっていたところであるが、この改正により対象範囲が拡大し、SDS交付義務対象物質を別の事業者などに譲渡提供する場合も容器にラベルを表示することが求められるようになった(図表1)。

このように、改正安衛法の施行とともに、我が国の化学物質管理のあり方が大きく変わることとなったが、その一方で化学物質のリスクアセスメントは専門性が求められる。そのため、厚生労働省は、「化学物質等による危険性又は有害性等の調査等に関する指針」(以降、「指針」という)などを公表し、リスクアセスメントの実施を支援しているところであるが、多くの事業者ではその対応に苦慮している状況にある。

なお、SDS交付義務対象物質として、「労働安全衛生法施行令」別表第9および別表第3第1号に2020年1月現在で673物質が掲げられている(施行当初は640物質挙げられていた)。


図表1 労働安全衛生法の改正概要
図表1

  1. (資料)厚生労働省「労働安全衛生法の一部を改正する法律(平成26年法律第82号)の概要」を基にみずほ情報総研加筆

1.改正安衛法の主なポイント

(1)対象となる事業者

改正安衛法では、SDS交付義務対象物質を製造または取扱う「すべての」事業者に対して、リスクアセスメントの実施を求めている。さらに、業種や規模による限定はないことから、一般的に化学物質のリスクアセスメントとは無関係に思えるような第3次産業や第1次産業などに該当する事業者もリスクアセスメントを実施する義務が生じている。つまり、例えば製造業などと比較すると取扱量が少なくても、アセトンを原料とする除光液を用いるネイルサロンや2-アミノエタノールなどを含む洗浄剤を用いるビルメンテナンス業などもリスクアセスメントを実施することが求められていることになる。さらに、病院や大学の研究室などもSDS交付義務対象物質を使用していればリスクアセスメントを実施する必要がある。


図表2 化学物質のリスクの種類
図表2

  1. (資料)みずほ情報総研作成

(2)対象となるリスク

「化学物質によるリスク」と一言でいっても、化学物質が有する危険有害性に応じてリスクには様々なものが知られており、ヒトの健康への悪影響以外にも環境への悪影響や爆発・引火(火災)などのおそれも知られている(図表2)。

改正安衛法は、その法律の性質上、工場や職場などの事業場における作業者のヒト健康リスク(有害性)と設備や施設などの爆発や引火、そしてそれらに伴う爆発・火災リスク(危険性)が対象となっている。指針などでは「危険性又は有害性等の調査」と表現されているが、ここでの「又は」は、どちらか一方だけを対象にしてリスクアセスメントを実施すればよいという意味ではなく、原則、危険性と有害性両方が対象であり、「or」ではなく「and/or」と理解するべきである。


図表3 リスクアセスメントの流れ
図表3

  1. (資料)厚生労働省指針よりみずほ情報総研作成

(3)リスクアセスメントの定義

化学物質のリスクアセスメントは、JISをはじめ様々な定義がある。改正安衛法では、図表3の【STEP1】から【STEP3】までの一連の流れをリスクアセスメントとして定義している。

つまり、リスクが高い/低いなどと判断するだけではなく、その判断結果に基づいて、リスクを下げるためにはどのような対策を講じるべきかを検討してはじめてリスクアセスメントを実施したことになる。なお、リスクが小さいと判断された場合でも、対策の検討は必要である。

(4)リスクアセスメントの実施時期

リスクアセスメントは、図表4に該当する場合に実施することが求められている。


図表4 実施義務が生じる時期

左右スクロールで表全体を閲覧できます

  • 原料など取扱い物質の新規採用時や変更時
  • 作業の方法や作業手順の新規採用時や変更時(4)
  • 危険性・有害性情報を新たに入手した時

また、指針では図表5に該当する場合は、リスクアセスメントを実施する努力を求めている(努力義務)。


図表5 実施努力義務が生じる時期

左右スクロールで表全体を閲覧できます

法律上の実施義務
  • 労働災害発生時
  • リスクの状況に変化があったとき
  • 過去にリスクアセスメントを実施したことがない時

しかし、機械設備は時間とともに劣化し、また作業場によっては人員配置が流動的となることもあるため、リスクの状況などは日々変化している。そのため、定期的にリスクアセスメントを実施し、リスクの状況を把握することが望ましい。

2.リスク低減の主な方法

前述のとおり、改正安衛法では化学物質のリスクアセスメントが義務化されているところであるが、リスクアセスメントの本来の狙いは、事業場で働く作業員や従業員、つまり「仲間の健康と安全を守る」ことにある。言い換えれば、化学物質による労働者のリスクを低減することが目的であり、リスクアセスメントを実施することは、その目的を達成するための手段である。しかしながら、事業者へのヒアリングなどからは、一部の事業者において、リスクアセスメントを実施することが目的となってしまっており、手段が目的化している状況が生じているのではないかと考えられる。

リスクアセスメントは、化学物質による労働者のリスクを低減するための重要な手段であるが、同様に労働者の安全教育や適切な情報伝達も重要な手段である。これまで発生した化学物質に起因する災害事例において、化学物質の危険有害性に対する労働者自身の理解不足や、危険有害性情報が十分に伝達されていなかったことなどに起因する事例が多く報告されている。そのため、化学物質によるリスクを低減するためには、安全教育を通じた化学物質危険有害性に対する理解の促進や危険有害性情報を十分に共有することが重要である。

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