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社会動向レポート

SBTiによる新基準開発

企業に求められるネットゼロ目標とは?(2/3)

環境エネルギー第2部 主任コンサルタント 森 史也

3.SBTiによるネットゼロ基準

(1)SBTiの基準開発

企業間で大きな差異のあるネットゼロ目標において、統一的な基準をつくろうと動き出したのが、先に紹介したSBTiである。SBTiは以前から、パリ協定に整合するGHG削減目標「SBT」を開発していたが、これは現在から5~15年先を目標年とする、短・中期的な目標であった*9。加えて目標の対象もGHG排出量の「削減」のみであり、「除去」については検討の対象外としていた。そのままでは、2050年までを視野に入れ、「除去」も加味してGHG排出の実質ゼロ化を目指すネットゼロの基準とはならない。そのために、SBTiは、既存の「SBT」とは別に、2050年までを視野に入れたネットゼロの基準開発に取組むことにしたのだ。

SBTiは、2019年9月からネットゼロ基準の開発を始め、2020年9月に「基礎的な考え方」を示すレポートを発表した。その後、2度のドラフト提示とパブリックコンサルテーション、そして企業が実際に参加するロードテストを経て、2021年10月28日に、SBTiとしてのネットゼロ基準「SBTiCorporate Net-zero StandardVersion 1.0」(以下、SBTiネットゼロ基準Ver.1.0)を公表した。

SBTiのネットゼロ基準はどのような内容なのか。ここでは、SBTiネットゼロ基準Ver.1.0において提起された、ネットゼロが満たすべき2つの条件と、ネットゼロ目標を構成する4つの要素を中心に解説したい。

(2)ネットゼロの2つの条件

SBTiはネットゼロを企業レベルで実現し、かつ科学と整合させる条件として、以下の2つを挙げる。

  1. 【条件1】バリューチェーン全体について、オーバーシュート*10なし、または限られたオーバーシュートで温暖化を1.5℃以内に抑える排出経路における削減の深さと整合した排出削減の規模を達成する。
  2. 【条件2】削減できずに残る残余排出量の影響について、その同等量の大気中のCO2を恒久的に除去することで、「ニュートラル化(Neutralization)」する。

1)設定する「目標対象年」

【条件1】では、温暖化を1.5℃以内に抑える排出経路に沿う排出削減の達成を求めている。SBTiはこれを、「2050年までのネットゼロ達成」と定義していることから、目標対象年はあくまでも「2050年」であり、2040年などに前倒しする考え方は採用していない。先に挙げたネットゼロの論点①「目標対象年」に対して解が示されたことになる。

2)排出量の「対象範囲」

まず注目されるのは、【条件1】の冒頭に「バリューチェーン全体」とある点である。SBTiは、ネットゼロ実現の対象を、自社排出量に相当するスコープ1・2排出量のみならず、サプライチェーン排出量にあたるスコープ3排出量にまで拡大しているのだ。既に宣言された内外企業のネットゼロ目標の多くは、スコープ1・2排出量のみを対象としている。SBTiのネットゼロ基準が影響力を持てば、これらの先行ネットゼロ目標は見直しを迫られるかもしれない。先に挙げたネットゼロの論点②「対象範囲」に対して解が示されたことになる。

3)除去以前に求められる「削減水準」

また、【条件1】における、1.5℃水準の排出経路に沿う排出削減の達成について深堀する。ここで排出経路とは、「除去」による相殺効果を加味した「ネット」の排出量ではなく、「除去」を加味する前の「グロス」の排出量が辿る経時的な経路である。また、SBTiは、1.5℃水準の排出削減を別途「2050年までに90%削減」と定義している。すなわちSBTiは、「除去」に頼ることなく、グロスのGHG排出量を、2050年までに90%削減するよう要求していることになる。「除去」を活用できるのは排出量の10%以内に限定される。先に挙げたネットゼロの論点③「削減水準」に対して解が示されたことになる。

なお、「除去」によって実質ゼロ化してよい排出量を、現状の10%に制限した背景には、他の環境問題への悪影響が懸念されるためであろう。炭素除去の手段は、林業や農業など土地を利用するものが多い。これらが大規模に展開された場合、土地の劣化や自然生態系の損失等、別の環境問題に悪影響をもたらす可能性がある。また、「除去」に頼ってしまい、多排出型のビジネスが変革されないまま残ることに対する批判も想定されている。これは脱炭素化社会において好ましい状況ではない。炭素除去による実質ゼロ化の適用範囲を制限する基準が設けられた背景には、こうした議論が存在していると考えられる。

4)認められる「除去」の手段

【条件2】で注目されるのは、SBTiの認める排出量を実質ゼロにする手段が、炭素除去のみであることが明記された点であろう。これは、IPCCのネットゼロの概念と整合するものである。炭素除去のみが認められたことは、排出回避型の炭素クレジットや削減貢献量は、排出量を実質ゼロにする手段として排除されたことを意味する。先に挙げたネットゼロの論点④「実質ゼロ化の手段」に対して解が示されたことになる。

ただし、排出回避型の炭素クレジットが、SBTiのネットゼロ基準において完全に排除された訳では無い。これについては、次節(3)ネットゼロの4つの構成要素で後述したい。

【条件1】と【条件2】を合わせて考えると、1.5℃水準で排出量を削減(90%削減)し、削減しきれず残ってしまう残余排出量(残りの10%)に相当する炭素除去量が必要ということである。

以上のことから、SBTiのネットゼロ基準のコンセプトは下記のように整理できる。

  1. 目標対象年:2050年
  2. 対象とする範囲:スコープ1・2・3排出量全て
  3. 排出量を実質ゼロにする手段:炭素除去のみ
  4. 必要な削減量:1.5℃水準の削減経路に整合する2050年までにグロスの排出量を90%削減(残り10%は炭素除去を適用可能)

(3)ネットゼロの4つの構成要素

以上の2つの条件によって、SBTiのネットゼロ基準は、ほぼ明らかになった。しかし、SBTiは検討をここで終えず、更にネットゼロを構成する4つの要素を提起する(図表5参照)。これらにより、SBTiは2つの条件によって規定されたネットゼロを、より実務的な形に落とし込んだのだ。

SBTiが提起するネットゼロの構成4要素を、以下に示す。

  1. Near-term SBT:5年から10年先を目標とする1.5℃水準の排出削減目標
  2. Long-term SBT:2050年までに1.5℃水準と整合する残余水準まで削減する目標
  3. Beyond Value Chain Mitigation(BVCM):ネットゼロへの移行に向け企業がバリューチェーンを超えて取組む緩和活動
  4. Neutralization:大気中から炭素を恒久的に除去、隔離することでLong-term SBT達成時の残余排出量と釣り合わせる

図表5 SBTi によるネットゼロ基準の4要素
図表5

  1. (資料)SBT Corporate Net-Zero Standard Ver1.0より

1)Near-term SBTとLong-term SBT

まず説明したいのは、① Near-term SBTと② Long-term SBTである。「2050年までに90%削減」というグロス排出量の削減目標であるが、実務的には、短期(Near-term)と長期(Longterm)で異なる基準が指定された。

短期(5年~10年先)では、スコープ1・2排出量については基準年排出量の4.2%相当の削減が毎年求められる。これは「SBT」における1.5℃水準目標に相当する。スコープ3排出量については2.5%相当の削減が必要とされる。これは「SBT」における2℃を十分下回る(well-below2℃)水準目標に相当する。これに対して、長期では、毎年の削減幅は指定されておらず、「2050年までに90%削減」のみが求められる。

なぜ、削減目標が短期と長期に分けられるのか。筆者はここに、SBTiの理想主義と現実主義を見る。「2050年ネットゼロ」の宣言をしておきながら、向こう10年・20年を無為に過ごされては困る。短期において毎年の削減幅を指定するのは、目標宣言企業に早い段階での確実な削減を求める発想であろう。一方、長期において毎年の削減幅の指定が消えるのは、社会実装される削減技術等が十分に見通せない10年先の未来において、そうした細やかな要求が無意味であることを、SBTiも認識しているためではないか。

加えて、短期において、スコープ1・2排出量とスコープ3排出量で、求められる毎年の削減幅が異なるのも、SBTiの理想主義と現実主義の現れではないか。スコープ1・2排出量の削減は比較的容易である。特に、購買電力に由来する排出量を計上するスコープ2排出量は、電力契約を再生可能エネルギー指定に切り替えることで削減可能である。短期でスコープ1・2排出量に求められる年次の削減幅が大きい(基準年排出量の4.2%相当)のは、「今できることは後回しにするな」という理想主義的な発想によるものと見てよいだろう。他方、スコープ3排出量の年次の削減幅が小さい(基準年排出量の2.5%相当)のは、この排出量の削減が困難であり、本格的な成果が得られるまでに時間がかかる*11という現実を、SBTiとして受け入れていることの証左であろう。

2)Neutralization(ニュートラル化)

Near-term SBTとLong-term SBTの達成によって2050年までにグロス排出量の90%削減を実現しても、それだけではネットゼロ目標とは言えない。削減取組みの末に、それでも残った排出量を炭素除去で相殺して、実質ゼロ化を果たすことで、ネットゼロは実現できる。SBTiはこれを、「Neutralization(ニュートラル化)」という概念で整理する。【条件2】で既に規定された通り、ニュートラル化に使用できるのは、炭素除去のみである。重要なのは、企業の手段として、炭素除去に由来する炭素のクレジットの使用が認められたことである。加えて、その例示に森林管理由来の炭素クレジットが示された点も注目される。企業にとって利用可能な炭素クレジットをある程度許容することを示したとみることができる。ただし、排出回避型の炭素クレジットや削減貢献量の利用を認める記載はない。

3)Beyond Value Chain Mitigation(BVCM)

最後に紹介するのが、③ Beyond Value ChainMitigation(BVCM)である。直訳すれば、「バリューチェーンを超えた緩和」であり、企業が自社のバリューチェーン外で行うGHG削減のための取組みや投資を指す。「バリューチェーン外」とはどういうことか。SBTiは、① NeartermSBT、②Long-term SBTをバリューチェーン内のGHG排出量(すなわちスコープ1・2・3排出量)に対する削減目標と位置付けている。③BVCMに「バリューチェーン外」を冠しているのは、これらとは別枠で行う活動であることを明示するためである。すなわち、BVCMは、スコープ1・2・3排出量の削減あるいは除去として効果が計上されない取組みを扱う概念ということになる。

BVCMを導入した理由について、SBTiは、バリューチェーン外の削減取組みも、社会全体のネットゼロへの移行を促進させるために有効であるため、と説明する。BVCMに該当する取組みについて、SBTiの記載は断片的ではあるものの、炭素除去に依らない排出回避型の炭素クレジットの利用も該当すると考えられる。SBTiとしても、現状の炭素クレジット市場において大きな割合を占める排出回避型について、当該企業のネットゼロ達成の手段としては認めないものの、一定の役割は認めた形と言えるだろう。

(4)炭素クレジット・削減貢献量の位置づけ

以上、2つの条件と4つの構成要素の切り口からSBTiによるネットゼロ基準の内容を解説したが、改めて炭素クレジットの位置づけについて整理したい。

まず、グロスのGHG排出量(スコープ1・2・3排出量)の削減目標であるNear-term SBTとLong-term SBTに関して、炭素クレジットの利用は明確に不可とされている。「2050年までにスコープ1・2・3排出量90%削減」は、除去型・排出回避型を問わず、炭素クレジットの使用無しで達成しなければならない。

一方、「2050年までにスコープ1・2・3排出量90%削減」を果たしても残ることになる10%の排出量に対するニュートラル化おいては、除去型のクレジットは使用が認められる。植林やDACCS由来の炭素クレジットを調達して炭素除去量として扱えることになる。

炭素クレジット全般の使用が認められると考えられるのは、ネットゼロの実現に直接的には関与しないBVCMである。BVCMとしての主張であれば、除去型だけでなく排出回避型の炭素クレジットも利用できると思われる。ただし問題は、BVCMそのものが任意の取組みと位置づけられており、ネットゼロの達成への寄与が無い点である。

削減貢献量についての位置づけは現状明確ではない。ただし、BVCMの例に高品質な炭素クレジットの調達を示していることから、制度で担保されない自主算定の削減貢献量はBVCM枠であっても使用・主張は認められない可能性が高い。

まとめると、SBTiによるネットゼロ基準において、炭素クレジットの位置づけは以下の通りである。


  • 除去型であれ、排出回避型であれ、「2050年までにスコープ1・2・3排出量90%削減」への使用は認められない。
  • 除去型であれば、ネットゼロ達成のためのニュートラル化の手段として認められる
  • 排出回避型は、ニュートラル化の手段としては認められないが、ネットゼロの実現に直接的には関与しないBVCMの枠での使用・主張は認められる。
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