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Mizuho RT EXPRESS

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防衛力強化は欧州経済の福音になるか

─ 設備投資増加や技術進歩による成長力向上に期待 ─

2024年5月20日

調査部 経済調査チーム エコノミスト 川畑大地
同 エコノミスト 諏訪健太
daichi.kawabata@mizuho-rt.co.jp

欧州で強まる防衛力強化の機運

ロシアによるウクライナ侵攻開始から2年以上経つが、戦争は未だ収束が見通せない。こうした中、欧州では防衛・安全保障戦略見直しや防衛力強化の機運が高まっている。

EU(欧州連合)には、安全保障に関する活動を行うための共通安全保障・防衛政策(CSDP)が存在するが、EUの領域防衛という観点では、EU加盟国の多くが同時にNATO(北大西洋条約機構)に加盟していることもあり1、実際はNATOに依存してきた。しかしながら、EUと地続きのウクライナがロシアに侵攻されたことは、欧州各国に安全保障上の脅威を痛感させると同時に、ウクライナ支援の過程で露呈した欧州防衛産業の生産能力の低さや安全保障戦略上の課題も浮き彫りにし、欧州では防衛力強化を図る動きが活発化している2

欧州委員会は今年3月に、兵器や弾薬の増産に向けたEUレベルでの資金支援や2030年までに防衛装備品の少なくとも4割を共同調達する目標を示した初の防衛産業戦略を公表した。また、今年10月で任期満了となるフォン・デア・ライエン欧州委員長は、続投した場合、防衛担当の欧州委員を設けると発言するなど、安全保障分野への注力を示唆している。さらに、同氏が所属し、6月の欧州議会選挙で第一会派になる見込みのEPP(欧州人民党)や、第二会派になるとみられるS&D(社会民主進歩同盟)も選挙公約に防衛力強化を盛り込んでいる3

加えて、米国のウクライナ支援停滞や、今年の同国大統領選挙で勝利を目指すトランプ氏が、欧州のNATO加盟国が防衛費をさらに負担しなければ、米国はロシアによる攻撃からNATO加盟国を防衛しないと改めて述べたことも、欧州の防衛意識を高める一因になっている。かねてよりEUの「戦略的自律」の重要性を強調してきたマクロン仏大統領は、4月25日の講演で、ロシアの脅威を念頭に欧州が滅亡するリスクに言及し、欧州が生き残るためには米国に依存しない独自の防衛戦略を構築する必要があると発言した。また、EPPの欧州議会選挙公約では、米国から安全保障上の支援が得られなくなるシナリオに備えた防衛力強化の必要性が明記されている。

こうしたEU全体の動きだけでなく、各国レベルにおいても徴兵制復活や防衛費増額の動きが見られるなど、欧州では現在、国防・安全保障が最重要課題の一つに位置付けられている。本稿では、欧州の防衛力強化が経済に与える影響について考察する。

防衛費増額は欧州のGDP押し上げに寄与

昨今の安全保障環境の変化を受けた欧州の防衛意識の高まりを踏まえれば、欧州では今後、軍事関連支出の増加(防衛産業への投資拡大)と、それに伴うGDPの押し上げが期待される。

防衛省(2023)は、冷戦終結以降、欧州の多くの国では国家による大規模な侵攻の脅威は消滅したと認識されてきたが、2014年以降のウクライナ情勢緊迫化を受けて、力による一方的な現状変更等への対応の必要性から、既存の安全保障戦略の再検討や新たな戦略立案を迫られていると指摘している。ストックホルム国際平和研究所の統計によれば、EU加盟国の平均的な軍事支出対GDP比は、冷戦終結後、低下傾向にあったが、2014年のクリミア危機を境に再び上昇に転じ、2022年のロシアによるウクライナ侵攻を受けて足元では一段と規模が拡大している(図表1)。冷戦期に各国が抱いていた第三国による領土拡大の脅威が再燃したことが、軍事費の増加につながっているとみられる。

図表1 軍事費対GDP比の EU加盟国平均

(注)各時点でデータ取得可能な国の平均値を使用
(出所)ストックホルム国際平和研究所より、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成

もっとも、対GDP比で上昇に転じたとはいうものの、その増加幅はまだ小さく、欧州各国の軍事支出にはまだ拡大の余地があると言えそうだ。EU加盟各国の軍事支出対GDP比(2023年時点)をみると、多くの国でNATOの掲げる目標(同2%)を下回っていることがわかる(図表2)。EU加盟国の多くがNATOのメンバーであることを踏まえれば、今後、NATO目標を一つの目安として各国が軍事費を増額していくことが予想される。

図表2 EU加盟国の軍事支出対GDP比

(注)2023年時点。冷戦期はデータ取得可能な1960年~1989年
(出所)ストックホルム国際平和研究所より、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成

軍事関連支出の増加は、防衛産業への投資拡大等を通じて、経済の押し上げ要因となる。一定の仮定のもとで4、軍事費増加の経済押し上げ効果を試算した結果が図表3だ。まず、EU加盟国のうち、2023年時点でNATOの軍事費目標未達の国が、目標達成に必要な軍事費の増額を行った場合(EU全体では24%程度の軍事費増加を想定)、EU全体のGDPを約+2.1%、ユーロ圏のGDPを約+2.3%押し上げると試算される。また、前述の通り、他国による領土拡大の脅威が再燃している点で安全保障環境が冷戦期に逆戻りしつつあることを踏まえて、仮にすべてのEU加盟国が冷戦期の西欧諸国並み(同2.7%)5に軍事費を拡大したケースを想定すると、EU全体のGDPを約+4.5%、ユーロ圏のGDPを約+4.9%押し上げる計算になる。

図表3 軍事支出増加によるGDP押し上げ効果

NATO目標を達成した場合

冷戦期並みの軍事費を実現した場合

  • (注)各国の軍事費対GDP比がNATO目標(2%)や冷戦期並みの規模(2.7%)に達するために追加的に必要な防衛費増加率を使用し、波及効果を試算
  • (出所)ADB、ストックホルム国際平和研究所より、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成

軍事費増加の恩恵は幅広い業種に波及するとみられる。各国は第三国による侵略を想定し、自国領土の防衛力を強化する必要に迫られていることから、陸海空の伝統的な三領域の軍事力強化はこれまで以上に重要な位置を占めるだろう。それを踏まえれば、戦闘機や装甲車、艦船、武器・弾薬等への需要が高まることで、これらを製造する機械系業種のほか、防衛装備品製造に不可欠な鉄鋼や非鉄金属、化学製品等を生産・提供する素材系業種や卸売業等への恩恵が大きくなることが想定される。加えて、各種防衛システムのほか、サイバー空間や宇宙空間に代表される「新領域」の安全保障で重要な役割を担うサービスを提供する情報通信や専門サービス、各種施設や基地建設等での恩恵が見込まれるインフラ関連や建設、不動産等の非製造業においても需要が増加するだろう。

中長期的な成長力向上のほか、一部の日本企業にはビジネスチャンスも

以上の分析から、防衛産業への投資増加は直接的に欧州全体のGDPを押し上げることが示唆されるが、中長期的観点からも欧州経済にとってプラスになる可能性があるほか、一部の産業では日本企業への恩恵も期待される。

まず、軍事費の増加に伴い、関連する産業での設備投資拡大と生産能力の向上が見込まれる。欧州の一部の国、特にドイツでは、ウクライナ侵攻後のエネルギーコスト増加や高齢化に伴う人手不足等を背景とする立地競争力の低下により、国内への投資慎重化と生産拠点の海外移管(製造業の空洞化)の動きがみられる6。実際、ドイツの製造業の生産能力は足元で大きく低下している(図表4)。軍事関連支出の増加は、防衛装備品製造のための生産ライン増設などを通じて、低下した製造業の生産能力を一部回復させる要因になるだろう。

図表4 ドイツの生産能力指数

(注)鉱工業生産指数を欧州委員会のサーベイから得られる稼働率で除して算出
(出所)Eurostat、欧州委員会より、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成

加えて、長期的には技術革新による生産性の押し上げも期待される。Moretti(2019)は、防衛関連のR&D(研究開発)投資増加は、TFP(全要素生産性)を上昇させる効果があると指摘している7。近年重要性が増しているサイバー空間や宇宙空間等の「新領域」の防衛には、最先端の技術を要するが、こうした分野での研究が官民で行われ、技術革新が進展すれば、民生分野への技術転用(スピンオフ)等を通じてマクロの生産性上昇をもたらす可能性がある。

ユーロ圏では主要国を中心に今後数十年にわたって人口減少が予想されており(図表5)、労働投入の減少による潜在成長率の下押しが懸念される。こうした中での防衛産業への投資増加は、資本投入やTFPの上昇をもたらし、労働力減少による潜在成長率の下押しを緩和する効果を期待できるだろう。

図表5 ユーロ圏の生産年齢人口見通し

(注)各国の15~64歳人口の見通し
(出所)Eurostatより、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成

また、欧州の防衛力強化は、一部の日本企業にも恩恵を与える可能性がある。日本はロシアや中国、北朝鮮等の脅威を念頭に、今後数年間で防衛力強化を図る方針を打ち出している。こうした中で、英国とイタリアを含む三カ国で次期戦闘機を共同開発するなど、西側諸国と防衛分野での協力を強めている。戦闘機等の防衛装備品開発には時間と費用を要するが、複数国で共同開発・生産を行うことでリスクやコストを分散できるほか、プロジェクト参加国との安全保障・防衛協力の強化が進むメリットもあるため、防衛装備品の共同開発は国際的な潮流になりつつある。権威主義国家への警戒感が高まる中、欧州諸国にとって、民主主義国にしてアジア唯一のG7メンバーである日本の安全保障面での存在感は以前よりも高まっている。安全保障環境の変化により西側諸国間での協力関係が一段と深まる中での欧州の防衛力強化の動きは、防衛装備品開発などの分野で日本企業の参入余地を増やす可能性を高めるだろう。

このように、欧州での軍事費増は基本的に経済面でプラス効果が期待できるほか、一部の日本企業にとってビジネスチャンスにもなりうる。ただし、欧州諸国が軍事費をいかに捻出するかによって、マクロ経済への効果は多少変わってくる。軍事費を増やす一方で、その分だけ政府支出が削減されれば、当然ながらネットで見たGDP押し上げ効果は小さくなるだろう。増税によって軍事費を賄う場合も、民間需要にはマイナスに働く。軍事費増に対して歳出削減・増税を行わずに財政収支が悪化した場合でも、長期金利の上昇を通じて、結果的に民間需要を抑制するかもしれない。軍事費増の裏側で、EUや欧州各国がどのように財源を手当てするかという点にも注目していく必要があろう。

[参考文献]

川畑大地、山本武人、江頭勇太(2024)「今後5年を左右する欧州議会選挙~右派台頭・地政学踏まえEUは軌道修正~」、みずほリサーチ&テクノロジーズ『みずほリポート』、2024年4月30日

防衛省(2023)「令和5年版防衛白書」、2023年7月28日

川畑大地、山本武人、江頭勇太(2023)「不振が続くドイツ経済~エネルギー問題の長期化で懸念される製造業の「空洞化」~」、みずほリサーチ&テクノロジーズ『Mizuho RT EXPRESS』、2023年9月19日

江頭勇太、川畑大地、山本武人(2023)「再び「欧州の病人」と化すドイツ~経済の低迷は長期化へ。EU政策への影響も要注視~」、みずほリサーチ&テクノロジーズ『みずほインサイト』、2023年11月17日

Moretti, E. Steinwender, C. and Van Reenen, J (2019), “ The Intellectual Spoils of War ? Defense R&D, Productivity and International Spillovers ”, National Bureau of Economic Research, Working Paper No.26483.


  • 1EUに加盟する27カ国のうち23カ国がNATOにも加盟している
  • 2EUの安全保障戦略に大きな変化が生じているのは事実だが、国防・安全保障分野は機密性が高いことや加盟国それぞれで防衛政策や軍事戦略を掲げていることなどを背景に、EUで一致した行動をとるには課題が山積している。ウクライナ情勢緊迫化により、領域防衛という古典的な課題をこれまで以上に重視する必要に迫られたEUが、加盟国ごとの国防力を増強するのか、NATOから自律したEUという単一の安全保障アクターになるのか等、今後どのような安全保障の形を目指すのか注目される
  • 3欧州議会選挙の詳細については、川畑他(2024)を参照されたい
  • 4 各国の防衛費がNATO目標や冷戦期並みの規模に達するために追加的に必要な防衛費増加率を求めた上で、各国の防衛部門への政府消費支出及び総固定資本形成が同率増加した場合の波及効果を試算。機械的な試算の上、業種分類が粗く防衛部門には行政サービスの一部が含まれていることから、結果は幅を持って見る必要
  • 5データ取得可能な1960年~1989年の平均的な西欧諸国の軍事支出対GDP比
  • 6ドイツの製造業空洞化については川畑他(2023)や江頭他(2023)を参照されたい
  • 7政府主導の防衛関連R&D投資増加は、民間部門でのR&D投資を誘発し(クラウド・イン効果)、これがマクロのTFP上昇に寄与すると分析している
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