Mizuho RT EXPRESS
骨太の方針2024を読む ①
─ 成長促進に欠かせない労働市場改革と中堅・中小企業活性化 ─
2024年6月13日
調査部 経済調査チーム 主席エコノミスト 服部 直樹
naoki.hattori@mizuho-rt.co.jp
骨太の方針2024の原案が公表
2024年6月11日、政府は「経済財政運営と改革の基本方針2024」(以下、骨太の方針2024)の原案を公表した。今後、政府・与党で内容を調整した上で6月中に閣議決定する方針だ。
今回の原案を概観すると、まず第1章では日本経済の現状と先行きの指針として、いま「デフレから完全に脱却し、成長型の経済を実現させる千載一遇の歴史的チャンスを迎えている」こと、そして今後も長期的に経済成長を維持するため、生産性向上などにより潜在成長率を高め、「(物価変動を除く)実質1%を安定的に上回る成長を確保する必要がある」ことが記されている。日本の潜在成長率が目下0.5%程度であることを踏まえると、今後人口減少が一段と加速するなかで「実質1%」の成長率を確保するのは、野心的な目標と言えるだろう。
第2章では、先行きの持続的な経済成長を実現するための具体的な方策として、所得増加・賃上げ、人的資本投資を含む労働市場改革、中堅・中小企業の活性化、民間・政府のDX(デジタル・トランスフォーメーション)、GX(グリーン・トランスフォーメーション)、エネルギー安全保障、スタートアップ企業支援、デジタル田園都市国家構想、地域活性化といった多岐にわたる政策方針が盛り込まれている。
また第3章では、中期的に持続可能な財政方針として、「2025年度の国・地方を合わせたPB黒字化を目指す」方針が示された。国・地方のPB(基礎的財政収支、プライマリーバランス)の黒字化を骨太の方針に明記するのは、2021年以来3年ぶりである。3月に日本銀行がマイナス金利政策を解除し、今後の利上げや国債買入の縮小により金利上昇が視野に入る中、「金利のある世界への移行による利払費増加の懸念」が意識された格好だ。
本稿ではこのうち、先行きの持続的な成長実現に向けて重要度が高いと考えられる労働市場改革、中堅・中小企業の活性化に着目し、骨太の方針2024の内容を評価する。なお、本稿の記載は6月11日に公表された原案に基づくものであり、今後閣議決定される最終版では内容が修正される可能性がある点に留意されたい。
人材活性化に向けた三位一体の労働市場改革
骨太の方針2024では、第2章冒頭の「豊かさを実感できる「所得増加」及び「賃上げ定着」」の項目の中に、「三位一体の労働市場改革」が盛り込まれた。三位一体の労働市場改革は、前回の骨太の方針2023で打ち出された労働市場政策の指針である。もともと、岸田政権が成立した後初めて策定された骨太の方針2022で「人への投資」(リスキリング等の人的資本投資)を重視する姿勢が示されたが、2023年に「個々の企業の実態に応じた職務給(ジョブ型人事)の導入」と「成長分野への労働移動の円滑化」が付け加えられて「三位一体」となり(服部(2023))、今回の原案でもそれが踏襲された格好だ。
今回の原案では労働市場改革の具体策として、主に人的資本投資の観点から、教育訓練給付の給付率の引き上げ(最大70%→80%)、教育訓練休暇中の生活を支える新たな給付金の創設、団体等検定制度の活用促進、産学連携の経営者向けリスキリングプログラム創設といった施策が盛り込まれた。人的資本投資支援策に関する金額規模は明記されなかったが(骨太の方針2022では3年間で4,000億円、同2023では5年間で1兆円と記されていた)、人的資本投資支援のフェーズは、規模策定の段階から個人・企業の具体的な施策を進める段階に移りつつあり、原案の記載もそうした動向を反映したものとみられる。
骨太の方針において「三位一体」と表されているように、労働市場改革の取り組みは労働市場全体を俯瞰して必要な方策を講じることが重要だ。労働市場では様々な主体が複雑な相互関係をもっており、一部だけを変えようとしても上手くいかないためである。図表1はそうした労働市場の構造を踏まえ、人的資本投資の拡充や労働移動の円滑化による人材活性化に向けた労働市場インフラ整備の在り方についてイメージを示したものだ。今回の原案に盛り込まれた施策は図中の①(給付率引き上げ、生活を支える給付金)、②(団体等検定制度)、③(経営者向けリスキリングプログラム)にそれぞれ対応しており、持続的な経済成長に資する人材活性化を促進するうえで有用であると考えられる。
図表1 人材活性化に向けた労働市場インフラ整備のイメージ
(出所)山田久(2016)、小林祐児(2023)等より、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成
このように、今回の原案に盛り込まれた労働市場改革に関する施策は何れも方向性として妥当なものであると評価できる。今後、労働市場改革を一段と進展させる上では、これらの施策に加えて実地訓練やキャリアコンサルティングの拡充、ジョブカードの普及促進といった取り組みにも踏み込む必要があるだろう1。
労働者の実務スキルを向上させることを目的とした実地訓練支援(訓練受入企業に対する賃金助成)は、雇用促進や賃金押し上げの効果が高いことが積極的労働市場政策に関する海外の大規模研究で明らかになっている2。座学中心のリスキリングと実地訓練の二本柱で人的資本投資を推進していくことが、身に着けたスキルの実践や就労への橋渡しといった観点で望ましいと考えられる。
キャリアコンサルティングについては、キャリア相談を利用した労働者は職業生活設計の自主性が高い傾向があり(厚生労働省(2022))、自律的なキャリア形成やリスキリングへの意識を高める上でキャリアコンサルティングは欠かせないツールである(服部ほか(2022))。しかし、厚生労働省「能力開発基本調査」によればキャリア相談を利用した労働者は全体の1割程度(2021年度実績)と少なく、しかもそのほとんどが職場の上司・管理者への相談であり、専門的なキャリアコンサルティングを受ける機会は限られているのが実情だ。企業内外で専門的なキャリアコンサルティングを受ける機会を拡充し、労働者一人ひとりのキャリア形成を支援するとともに、キャリア形成に資するリスキリングを促すことが求められる。
ジョブカードは労働者のキャリアプランニング・職業能力証明の公的ツールとして2008年に導入されたが、現状では十分活用されているとは言い難い。労働者のリスキリングや資格取得の成果を一元的に管理するツールとして有用であるほか、労働者のスキルを可視化し、人手不足が一段と深刻化する中で企業と労働者のマッチング効率性を改善させる上でも普及促進が期待される。
こうした追加的な施策もあわせて三位一体の労働市場改革をさらに発展させ、リスキリングや労働移動の促進が企業業績の改善を通じて経済成長に資する仕組みを構築していくことが必要であると言えよう。
企業の優勝劣敗が進む中、重要性を増す中堅・中小企業の活性化
労働市場改革に加え、持続的な経済成長にとって重要なのが中堅・中小企業の活性化である。企業規模を資本金の金額に応じて簡易的に分類すると、日本の就業者のうち大企業(資本金10億円以上)で働く人の割合は17%に過ぎず、それ以外の83%の人は中堅企業(資本金1~10億円、14%)と中小企業(資本金1億円未満、69%)で働いている計算になる。前述した労働市場改革が十分な効果を発揮して経済成長につながるためには、多くの労働者を雇用する中堅・中小企業の活性化が不可欠だ。
今回の原案では中堅・中小企業の活性化に向けた具体策として、省力化投資に対する集中的支援、企業情報・支援ニーズを集約したマッチングプラットフォーム開設、中小企業活性化協議会による経営改善・再生・再チャレンジ支援、事業継承・M&Aの環境整備、中堅企業や成長志向の中小企業を対象とした設備投資・M&A支援といった内容が盛り込まれている。必ずしも目新しい施策ばかりではないが、小規模企業の保護一辺倒ではなく、企業部門における新陳代謝を促して成長力を高めることを目的とした施策として一層の推進が期待される。
2022年以降の商品価格高騰や円安を受けた輸入コストの上昇、賃上げ率の高まりによる人件費の増加に加えて、足元では日本銀行の金融政策修正に伴い先行きの金利上昇も視野に入る中、企業部門では省力化投資や人的資本投資を拡大して収益力を高められる企業と、そうした投資が難しい企業の間で優勝劣敗が進みつつある。収益力向上が難しい企業では最終的に倒産に至る圧力が強まっているとみられ、実際に2024年5月の企業倒産件数は1,009件と2013年7月以来の1カ月当たり1,000件超えとなった(図表2)。
図表2 企業倒産件数
(出所)東京商工リサーチより、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成
企業の優勝劣敗は新陳代謝のプロセスの一つではあるが、倒産が急速に増えると失業者の急増により円滑な労働移動が妨げられる可能性があるほか、家計の所得環境が悪化して景気にも悪影響を与えかねない。そうした状況で求められるのが、今回の原案にも盛り込まれた経営改善支援や事業承継・M&A支援である。企業が倒産・廃業に至る前に、事業再生・再構築や事業承継・M&Aによって「秩序ある再編」を進め、企業部門全体として人材やノウハウといった経営リソースを生産性が高いセクターに移動させることが重要だ(服部ほか(2024))。
日本では2000年代以降、中小企業活性化協議会3等の支援機関が設置され、中小企業の事業再生・再構築に向けた枠組みが構築されてきた。しかし、中小企業活性化協議会が支援して再生計画の策定に至る企業は年間1,000件程度(2003~2022年度累計で約1.8万件、前身機関分も含む)であり、事業再生・再構築を必要とする企業がさらに多い4ことを踏まえると、対策は未だ道半ばであると言えよう。
今回の原案でも一部言及されているが、中堅・中小企業の事業再生・再構築やM&Aを促進する上では、主要なプレーヤーの一つである地域金融機関に期待される役割が大きい。昨年実施された事業再構築補助金の第11回公募(2023年10月締切)について、企業の計画内容を確認する認定経営革新等支援機関の種類別に応募・採択状況を見ると、金融機関(銀行、地方銀行、信用金庫、信用組合、商工中金)は採択件数ベースで全体の35.3%と最も多く(特に地方銀行と信用金庫が多い)、採択率も金融機関が32.6%と最も高い(図表3)。地域金融機関が中小企業活性化協議会等の支援機関と緊密に連携し、対象企業に早い段階で経営改善のためのアプローチを行うなど、適切な支援を提供して地域経済の担い手である中堅・中小企業を下支えすることが求められる5。
図表3 事業再構築補助金の認定支援機関別に見た応募・採択状況
(注)金融機関は銀行、地方銀行、信用金庫、信用組合、商工中金。税理士等は税理士と税理士法人。その他は一般社団法人、公益財団法人、その他
(出所)事業再構築補助金事務局「事業再構築補助金第11回公募の結果について」より、みずほリサーチ&テクノロジーズ作成
少子高齢化・人口減少が進展する中で、日本経済の課題はこれまでのような需要不足から人手不足にシフトしつつある。今後、人手不足による供給面の制約が経済成長のボトルネックになる事態を回避し、中長期的に成長力を高めるためには、希少な労働力をいかに効率的に活用するかが鍵を握る。人的資本投資や省力化投資を通じた生産性向上の取り組みに加え、労働市場改革や中堅・中小企業の活性化により、経済全体の新陳代謝を進めていくことが重要であると言えるだろう。
[参考文献]
Card, D., Kluve, J., and Weber, A. (2018). "What works? A meta analysis of recent active labor market program evaluations." Journal of the European Economic Association, 16(3), 894–931.
Yeyati, E. L., Montane, M., and Sartorio, L. (2019) "What Works for Active Labor Policies?" CID Working Paper Series 2019.358, Harvard University, Cambridge, MA, July 2019.
厚生労働省(2022)「令和4年版 労働経済の分析―労働者の主体的なキャリア形成への支援を通じた労働移動の促進に向けた課題―」2022年9月
小林祐児(2023)『リスキリングは経営課題─日本企業の「学びとキャリア」考─』光文社
帝国データバンク(2024)「「ゾンビ企業」の現状分析(2023年11月末時点の最新動向)」2024年1月19日
服部直樹・風間春香・中信達彦(2022)「日本の職業訓練政策の現状と課題─成長と分配の好循環実現に向けた制度改革の方向性─」みずほリサーチ&テクノロジーズ『みずほリポート』2022年8月10日
服部直樹(2023)「労働移動で日本の賃金・生産性は上がるのか─日本の労働移動の現状把握と政策シミュレーション─」みずほリサーチ&テクノロジーズ『みずほリポート』2023年9月15日
服部直樹・酒井才介・河田皓史・坂中弥生・中信達彦・坂本明日香(2024)「変革を迫られる日本企業─ヒト・モノ・カネの変化で生じるリスクとチャンス─」 みずほリサーチ&テクノロジーズ 『みずほリポート』 2024年3月27日
山田久(2016)『失業なき雇用流動化─成長への新たな労働市場改革─』慶應義塾大学出版会
- 1なお、キャリアコンサルティングについては骨太の方針2023に「さらに、求職・求人に関して官民が有する基礎的情報を加工して集約し、共有して、キャリアコンサルタントが、その基礎的情報に基づき、働く方々のキャリアアップや転職の相談に応じられる体制の整備等に取り組む。」と記されている。実地訓練については2004年に開始された日本版デュアルシステムがその役割を担っているが、公共職業訓練全体に比べると規模が小さい(服部ほか(2022))。
- 2例えば、Card, Kluve, & Weber(2018)やYeyati, Montané, & Sartorio(2019)を参照されたい。
- 3中小企業活性化協議会は、中小企業再生支援協議会と経営改善支援センターを統合して2022年4月に設置された。
- 4帝国データバンク(2024)によれば、借入金等の利息支払い能力の観点で過剰な債務を抱える企業は、2022年度時点で約25万社あるとされている。
- 5日本経済新聞「東京の中小支援5機関、信金にノウハウ提供 倒産に備え」(2024年3月25日)では、東京の信用金庫の支店に中小企業の経営改善や事業承継支援、廃業支援などを手掛ける機関の担当者が集まり、経営が苦境に陥る取引先企業について支援策を議論した例が紹介されている。
(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC083IL0Y4A300C2000000/)