農業は自然資本に強く依存し、同時に大きな影響を与えている産業の一つである。肥沃な土壌や豊かな水などに支えられている一方で、化学肥料・化学農薬の過剰な使用、地下水のくみ上げなどを通じて潜在的に負の影響を与える可能性がある。こうした自然への依存と負の影響は、自然資本のみならず作物生産の持続可能性をも危うくしており、土壌劣化に伴う収量低下や、大規模灌漑農業における地下水位低下などが各地で顕在化し始めている。企業にとって安定的に農作物原料を調達し続けるうえでも、農業をネイチャーポジティブ、すなわち自然の劣化を止め、回復に転じさせる方向に転換していくことが重要になっている。そこで本稿では、農業のネイチャーポジティブに向けた転換に必要な企業の取組のポイントを整理する。
農業のネイチャーポジティブを実現する具体的手法 -圃場スケールの手法と景観スケールの手法
農業における自然への影響を低減し、農地に生息する生物多様性の保全を進めるには、具体的にどのような手法があるだろうか。大きく分けると、「圃場スケールの手法」と「景観スケールの手法」の2つがある*1(図1)。
図1. 圃場スケールの手法と景観スケールの手法

「圃場スケールの手法」とは、化学農薬・化学肥料や水資源などの作物生産に伴う圃場内への投入物を、低減したり代替物に置き換えたりすることで、影響の低減や土壌の健全性の維持・向上などを目指すアプローチだ。化学農薬・化学肥料の使用量削減や影響が低いものへの置き換え、草刈り頻度の低減、有機肥料の使用、カバークロップの導入、不耕起栽培などが挙げられる*2。
他方で、農地の生物多様性のためには、作物生産に伴う圃場内への投入物だけではなく、野生生物の”生息の場”に着目したアプローチが不可欠だ。そこで重要なのが「景観スケールの手法」だ。具体的には、圃場の周辺にビオトープを創出したり、花粉媒介者が生息できる草地を用意したりすることが挙げられる。また、農地景観全体における土地利用の多様性を高めることも、生物多様性の保全に大きく貢献することができる。多様な生息環境を用意することでそれぞれの環境に様々な生物が生息し、さらに複数の環境を利用する生物も生息できるようになるためである。多くの野生生物は1つの圃場だけではなく、周囲の土地利用を行き来して生活しているため、圃場だけでなく圃場外も含めた農地景観全体でのアプローチが必要なのである。
これまでは、どちらかと言えば「圃場スケールの手法」の取組が進んできた。使用量〇%削減などの形で指標化して管理しやすいため、政策や認証制度に多く取り入れられ、企業も取り組みやすいからである。しかし、単に自然への影響を低減することだけでなく、ネイチャーポジティブを目指すのであれば「景観スケールの手法」も重要であり、両方の手法を作物特性や地域特性に応じてベストミックスで導入していくことが必要になる。また、「圃場スケールの手法」は作物生産に必要な投入物に関わる取組であるため、生産性を犠牲にしなくてはならないことも多いが、両方の手法を最適な形で組み合わせれば、ネイチャーポジティブと生産性の両立を図れる可能性もある。
農業のネイチャーポジティブを実装する際のポイント
上記のように、農業のネイチャーポジティブに必要な手法は、科学的にも整理されつつある。これらの手法を実際の農地に実装し、それを企業としてサポートしていく際に意識すべきポイントを4つ述べたい。
①作物・地域・影響の優先順位付け
1つ目は、作物ごと・地域ごとの特性を踏まえて優先順位付けすることである。限られた経営資源を効果的に投下するには、自社のバリューチェーン全体を俯瞰して自然資本への依存度と影響度の高い「重点作物」と「重点地域」を特定する必要がある。さらに、農業における自然への影響は多面的であるため、その作物・その地域において特に対処すべき重要な影響を特定することが重要だ。
TNFD枠組に沿った情報開示に際して、ENCORE等のツールで自然への影響の重要度を、IBAT等のツールで農地周辺の地域の自然の特徴を評価している企業も増えてきたが、こうした汎用ツールだけでは作物ごとの詳細な特徴や、農地景観ならではの地域の自然の特徴を捉えきれないことも多い。農地生態系に関する学術論文の情報なども組み合わせて、自社にとって重要な作物・地域・影響を正確に把握するプロセスが不可欠だ。
②アウトカムの重視
2つ目は、社会・環境へのアウトカム(成果)を重視して取組を進めていくことである。これまでの持続可能な農業の取組は、どちらかと言えば「どんな農法を採用したか」「どれだけ化学農薬・化学肥料を低減したか」という行動ベースで評価され、推進されてきた。しかし、持続可能な農業の取組の効果は不確実性が高く、地域や作物によってその効果の有無や方向は異なる。そのため、ネイチャーポジティブに向けた農業の転換に向けては、行動に囚われすぎず、「実際に農地の生態系や生物多様性の保全・向上につながっているか」というアウトカムに重きを置いて取組を進めることが重要だ。
近年話題となっている再生農業(Regenerative Agriculture)も、アウトカム志向の考え方を採用していることに特徴がある。WBCSDは再生農業を、「農産物を生産しながら、農場および景観レベルで土壌の健康、生物多様性、気候、水資源、農業の計に目に見えるプラスの影響を与える、総合的でアウトカムベースの農業アプローチ」と定義している*3。つまり、再生農業は特定の手法のことではなく、様々な手法を用いて結果的に社会・環境にプラスのアウトカムをもたらす農業を指している。企業が農業のネイチャーポジティブを進める際には、すべての地域・作物に一律でカバークロップの導入などを求めたりするのではなく、アウトカム志向を取り入れ、「農地のの土壌や水、生物多様性を維持・改善するにはどうすればよいか」を地域別・作物別に考えて、様々な手法を組み合わせて実践していくアプローチが重要だ。
③ICT技術の活用
3つ目は、ICT技術の活用である。ICT技術は、生産性を第一に考えた大規模集約的な農業の生産性向上を目的として利用するものと思われるかもしれないが、ネイチャーポジティブに向けた農業の転換にも大きく寄与し得る。ICT技術の活用による農業のネイチャーポジティブの実現には2つのケースがある。1つは、ICT技術を用いた生産性向上がそのまま環境負荷の削減につながるケースである。例えば、センサーに基づく施肥や灌漑の最適化が、肥料や水資源の使用量削減に寄与することなどが挙げられる。もう1つは、農業のネイチャーポジティブ対応により追加的に必要となる作業を、ICT技術で効率化するケースである。除草剤の不使用によって増える除草の負担を、除草ロボットの活用によって軽減することなどが該当する。企業事例としては、「コウノトリ育む農法」による米の生産を水位管理のセンサーシステムで支えているKDDIの取組などが挙げられるだろう*4。農林水産省もこうした取組を「環境保全型スマート農業」などと呼称し、みどりの食料システム戦略の実現に向けて推進している。
④生産者と消費者へのエンゲージメント
4つ目は生産者(農家)と消費者へのエンゲージメントである。生産者に対して環境負荷低減を一方的に要請するのではなく、ガイドライン策定や技術支援を行ったり、取組状況をモニタリングしたりして、生産者と一緒に取組を進めていくことが重要だ。例えばDanoneは社内独自の再生農業の基準を策定している。土壌・水・生物多様性・肥料の4つのトピックに沿って評価項目が設けられており、スコアリングした結果に基づいてInitiated/Advanced/Best in Classの3段階で評価する仕組みになっている*5。こうした社内独自の基準・フレームワークを作り、生産者の取組を見える化してモニタリングできれば、生産者と協力し合いながら取組を進める体制を整えることができるだろう。
生産者だけでなく、消費者へのエンゲージメントも重要だ。農業のネイチャーポジティブ対応にはコストがかかるため、その取組の価値を消費者が理解し、一定のプレミアムを受け入れてくれるように、働きかけることが重要となる。どのようなメッセージやストーリーテリング、パッケージ表現であれば、消費者が農業の生物多様性の取組の価値を理解して購入してくれるかについては、学術知見が蓄積されつつあり*6、環境省もその社会実装に取り組んでいる。ネイチャーポジティブの取組を実施した農業由来の食品製品を販売するのは容易ではないが、マーケティングの工夫で少しでも消費者の購買を促進することができるとよいだろう。
終わりに
農業のネイチャーポジティブには、絶対的な方法論があるわけではなく、農地生態系の保全というアウトカムを重視し、その達成のために各地域・各作物の特徴を踏まえて効果的な農法をベストミックスで組み合わせる発想が重要である。実装の際には、コストや作業効率などの様々な課題になるが、ICT技術の活用や、生産者や消費者へのエンゲージメントなどをカギにして取組を推進していくとよいだろう。こうした取組は一朝一夕にできるものではない。まずは、作物・地域・影響要因の優先順位付けや、生物多様性保全に効果のある農法のロングリストの整理などを机上で進め、生産現場への取組実装に向けた準備から着手してはどうだろうか。
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*1Tscharntke, T., Batáry, P., & Grass, I. (2024). Mixing on-and off-field measures for biodiversity conservation. Trends in Ecology & Evolution, 39(8), 726-733.
https://doi.org/10.1016/j.tree.2024.04.003 -
*2Cozim-Melges, F., Ripoll-Bosch, R., Veen, G. F., Oggiano, P., Bianchi, F. J., Van Der Putten, W. H., & Van Zanten, H. H. (2024). Farming practices to enhance biodiversity across biomes: a systematic review. npj Biodiversity, 3(1), 1.
https://doi.org/10.1038/s44185-023-00034-2 -
*3One Planet Business for Biodiversity・WBCSD「OP2B’s Framework for Regenerative Agriculture」
https://www.wbcsd.org/resources/op2bs-framework-for-regenerative-agriculture/ -
*4
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*5DANONEウェブサイト
https://regenerative-agriculture.danone.com/ -
*6例えば以下の論文などが挙げられる。
Mameno, K., Kubo, T., Ujiie, K., & Shoji, Y. (2023). Flagship species and certification types affect consumer preferences for wildlife-friendly rice labels. Ecological Economics, 204, 107691.
https://doi.org/10.1016/j.ecolecon.2022.107691
Tokuoka, Y., Katayama, N., & Okubo, S. (2024). Japanese consumer's visual marketing preferences and willingness to pay for rice produced by biodiversity‐friendly farming. Conservation Science and Practice, 6(3), e13091.
https://doi.org/10.1111/csp2.13091
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