経営・ITコンサルティング部 武井 康浩
加齢に伴う運転能力低下と運転に対する不安
近年、テレビや新聞などメディアで、高齢運転者の交通事故に関してインパクトのある報道がなされていることもあり、多くの高齢者とその家族が自分事としてこの問題を捉え、運転することに不安を感じる人も増えている。身体能力の低下を実感し、若い時と同じように安全に運転する力を発揮できるか不安になっている高齢者自身やその家族も多いためであろう。
このような中、現在の運転免許制度では、自身の運転能力や身体機能を確認するとともに、自身の運転に関する気付きを得る機会として、高齢運転者に高齢者講習*1の受講が義務付けられている。その高齢者講習では教本等を活用した講習(座学講習)、運転適性の診断・指導(夜間視力検査・動体視力検査*2、視野検査)や実車指導などの実技講習がなされている。
一般に、加齢とともに人間の身体機能は低下し、若い時と同様の運転能力を維持することが難しくなることから、高齢者講習の受講を通じた気付きのほか、普段から自身の運転能力をしっかり認識することが高齢運転者には求められる。
そこで本稿では、運転者の身体機能の1つである視野(眼球を動かさないで見える範囲のこと)に着目し、安全に運転する能力に影響する視野機能の低下を運転者が自覚するための1つの手段として、デジタル技術の活用が期待されていることを紹介する。
自覚症状のない身体機能としての視野
視野は、ものを見る能力という意味では、多くの人に馴染みのある視力とともに重要な身体機能である。そして、加齢とともに視力は低下し、視野が狭まる人の割合は高くなる(視野が狭まる眼疾患を罹患する人の割合が加齢とともに増加する)のが実態である。
ここで視力と視野とでは、大きく異なる点がある。視力は「遠くのものが見えにくい」「夜間は見えにくい」「動いているものは見えにくい」など、普段の生活の中で視力低下に気づく機会が多い一方、視野が狭まっていることは、普段の生活の中では自覚しにくいのである。つまり、視野は、自分自身での自覚や、他者からの指摘が難しい運転能力に影響を及ぼす身体機能なのである。そのため、視野が狭まった状況でもそのことに気付かず、若い時と同様に運転している人も多い。
もちろん、たとえ視野が狭まった状況でも、その機能低下を他の身体機能により補完し(たとえば、視野が欠け見えていない範囲があっても、首を振って確認するなど)、安全に運転できている人も多い。しかし、視野が狭まったことが要因となり、重大な事故が引き起こされる恐れはゼロではない。実際、視野狭窄が原因で交通事故が発生した事例(たとえば、2011年3月に奈良県で、網膜色素変性症により視野狭窄となっていることを自覚していない運転者が歩行者をはねて死亡させた交通事故が発生)もある。そのため、視野検査を通じて自身の視野の状況をしっかりと自覚し、そのうえで運転に関してさまざまな事前の対応を検討することが求められるのである。
視野検査の受診機会の現状
高齢運転者が自身の運転能力を判断するうえで、自覚がない視野は厄介な要素である。そのため簡便に自身の視野の状況を把握できる機会が望まれるところであるが、現状ではその機会を持つこと自体が難しい。
たとえば、高齢者講習を受講する年齢までに、自身の視野の状況を適宜把握してきたという人はどれほどいるのであろうか?恐らく、視野の状況を検査してもらった経験のある人は、眼科等を定期的に受診している人以外は、ほとんどいないのではないだろうか。また、多くの人は、高齢運転者として高齢者講習を受講する中で、初めて視野検査を体験しているのであろうが、高齢者講習での視野検査は水平視野検査と呼ばれ、水平方向の視野の状況を簡易的に検査するものである。そのため、水平方向のみならず、上下方向の視野まで検査できるしっかりとした検査を受診したことのある人は非常に少ないのが実態である。これは、学校や会社等の健康診断の際に視力を測ったことがあるという経験と比べて、大きな違いである。
このような視力検査と視野検査の違いの背景には、簡易にしっかりとした視野検査を受けられる環境等が整っていない実態がある。上下方向・水平方向の視野をしっかりと検査するには、現状、眼科等にある専用検査器が必要となり、検査用の暗室準備や検査器設置スペースの確保、十分な検査時間の確保が求められるなど、検査を行う側に大きな負担がかかる。また、検査を受ける側でも、視野検査の際に正しい姿勢で視点を一定時間固定する必要があるなど、検査に慣れる必要があり、視力検査のように気軽に受けられるものではない。こうした要因もあり、視力検査と比べ、しっかりとした視野検査を行う/受けるのが難しいのである。
デジタル技術により負担の少ない視野検査を目指す
近年、視野検査を実施する側、また受ける側の双方の負担を少なくするために、デジタル技術を活用した視野検査器の研究・開発・実用化の取り組みが進められている。
たとえば、大学および医療機器関連メーカーでは、被検査者の眼前に視野計測用の光点を提示でき、持ち運び可能で小型・軽量の装着型ディスプレイ(ヘッドマウントディスプレイ)と、被検査者がどこを見ているかを自動的に計測するためのセンサーを組み合わせた、安価なポータブル視野検査器を研究・開発している。この仕組みは、視野検査中に被検査者が視線を固定しなくても視野を測定できるため、被検査者の負担を大幅に軽減することができる。また、検査器自体が小型・軽量となり、かつ暗室や測定スペースがほぼ不要となるため、安価に視野計測が可能となる。そのため、眼科等の検査を行う側でも大きなメリットがある。
当然のことながら、このデジタル技術を活用した新しい視野検査器は、医療に関わる機器であるため、まずはしっかりとした検査精度の検証が求められるものである。しかし、より簡便かつ低コストに視野検査が行えるという点では、すぐにでも活用されるべき有益な仕組みである。高齢運転者をはじめとした運転者が視野の状況をしっかりと自覚することが求められる中で、身近で有効な1つの手段となり得ると期待できるためである。
高齢運転者の自動車運転に伴う交通事故防止のための対応としては、普段から自身の身体機能等を確認し、自身の運転能力をしっかり認識することで、適切なタイミングでさまざまな事前の対応(運転する状況を選ぶことや、自主的に運転免許を返納する等)を考えていくことが不可欠である。そのためには、簡便に自身の身体機能等を確認できる環境や機会の存在は重要である。特に、自身で自覚することが難しい視野については、負担が少なく簡便に確認できる仕組みが社会に浸透することが求められている。そして、現在の高齢運転者のみならず、将来、高齢運転者になる人々にも、若い頃から自身の視野に気を配る習慣を身に付けてもらうことも望まれる。
- *1)現在保有する免許証の有効期間が満了する日の年齢が満70歳以上で、免許を更新する人は、道路交通法の規定により、誕生日の5か月前から免許有効期限満了日までの間に、高齢者講習を受講することが義務付けられている。
- *2)夜間視力検査は、光で一定時間明るい状態を維持し明順応させた後に、暗くなった状態で視標が見えるようになるまでの回復時間を測定するもの。動体視力検査は、動いている物体を、視線を外さずに持続して識別する能力を測定するもの。
武井 康浩(たけい やすひろ)
みずほ情報総研 経営・ITコンサルティング部 シニアコンサルタント
中小製造業を中心にデジタル活用に関わる調査研究・事業化支援に携わり、多様な企業のデジタル活用を通じた現場改善・生産性向上、デジタル活用による新価値創出の取り組みを支援。また、移動・交通分野では、ITS(高度道路交通システム)、自動運転等に係る技術・市場・政策動向等の調査研究および実証事業等に携わる。
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