社会政策コンサルティング部 主席コンサルタント 仁科 幸一
毎年厚生労働省から公表される平均寿命の伸びが、長寿化の進展を示す指標として注目される。平均寿命とは、新生児の平均余命のことで、全年齢層の状況を示す指標である。しかし、長寿化を「老後が長くなること」、ととらえた場合、その指標として必ずしも適当ではない。また、近年、「人生百年時代」ということばが使われるようになりつつあるが、本当に老後はそこまで長いものとなっているのか。
本稿では、「生命表」データの分析を通じて、「人生百年時代」のリアリティを検証する。
はじめに
最近、「人生百年時代」という言葉をしばしば耳にする。
国会図書館の雑誌記事検索によれば、「人生百(100)年」というタイトルの記事の初出は2004年(1)。その後は年に数件程度であったが、2017年は34件、2018年は217件と飛躍的に増加している。これらのテーマは多岐に及ぶが、長寿化が進み100歳まで生きることを念頭に置いた人生設計の必要性を説くものと、長寿化を前提とした社会システムの再構築の必要性を説くものとに大別される。いずれにせよ、「人生百年時代」がキーワードとして定着しそうな兆しがみられるが、これを自分のこととして現実味をもって受けとめられないというのが筆者の実感だ。
本稿では、厚生労働省の「完全生命表(2)」をてがかりに、わが国の長寿化の推移と現状を概観する。今日、「人生百年時代」はどの程度のリアリティをもっているのだろうか。
平均寿命は戦後急速にのびた
わが国の平均寿命がどのように推移してきたかを概観してみよう(図表1)。
日清戦争(1894~95年)の前後にあたる1891~98年の平均寿命は、男42.8歳、女44.3歳である。当時の就労人口のおよそ7割は農業に従事。1874年の「医制」(3)公布からおよそ20年と、近代医療制度の普及は限定的だった。こうしたことから、出生・死亡の動向は江戸時代末期とほぼ同水準であったと推察される。
そのおよそ60年後にあたる1955年の平均寿命は、男63.6歳、女67.8歳。敗戦から10年を経て経済・社会が落ち着きを取り戻し、後の高度経済成長の起点ともいえる時期である。国民の医療サービスのアクセシビリティを飛躍的に向上させた国民皆保険の確立はその6年後。当時の健康保険加入者は人口の7割程度にとどまっていた。
さらにその60年後にあたる2015年の平均寿命は、男80.8歳、女87.0歳。この間、全国民が公的医療保険に加入する国民皆保険が実現すると共に、医療施設も充実した。また、この間の診療技術の進歩は目覚しいものがあった(4)。
この間のトレンドをみると、男女共に60年でおよそ20年ずつ平均寿命が伸びたことになる。 だが、素朴な疑問も残る。平均寿命が40歳代前半であった明治期には、40歳を超えた者は人生の末期という意味での「老人」だったのだろうか。
図表1 わが国の平均寿命の推移
(資料)厚生労働省「完全生命表」より作成
(※1)1955年までは生命表の作成周期が異なることに注意されたい。1955年以降は5年周期。
(※2)戦時下では戦死者数が軍事機密とされたため、1935~36年を最後に生命表の作成は敗戦後まで途絶した。
平均寿命とは何か
平均寿命とは亡くなった人の年齢の平均値というように受け止められがちだが、そうではない。世代によって出生人口が異なるため、死亡者の年齢の単純平均を求めると出生人口の多い世代の影響が大きくなってしまう。そこで、年齢(出生年)別に出生者10万人あたりの生存(死亡)者数、いうなれば「率」に換算する。
図表2は、2015年の男性の年齢別出生児10万人あたり生存者数を示している(図中の水色の線)。10万人の出生児は死亡によって徐々に減少し、112歳に生存者数は1人になる。すなわち、男性の新生児が112歳に到達する確率は10万人に1人ということになる。
平均余命とは、特定の年齢を起点とした「のべ生存期間」(=生存者数×生存期間)を求め、これを起点とする年齢の生存者数(0歳を起点とする場合は10万人)で割って求める指標、いうなれば生存期間の期待値である。0歳を起点とした平均余命を平均寿命とよんでいる。
平均寿命と似て非なる概念が、寿命中位数年齢である。これは、特定の年齢の生存者数が半分に減少する年齢をいう。例えば65歳の寿命中位年齢というのは、65歳で開催した同窓会の参加者の半分が亡くなる年齢ということである。
2015年の生命表によれば、10万人いた男の新生児が5万人まで減る年齢は83.8歳となる。もし年齢別死亡率(生存率)が将来も変わらないと仮定すれば、2015年の出生児の半数が83.8歳まで生存すると見込まれるということになる。
図表3は、2015年と1891~98年の男性の年齢別生存者数、平均寿命、寿命中位数年齢を比較している。1891~98年の平均寿命は42.8歳(2015年は80.8歳)、寿命中位数年齢は50.6歳(2015年は83.8歳)であり、いずれも大きく伸びている。
注目していただきたいのが、1891~98年にあっては、若年層、特に乳幼児期の生存者数の減少が現在と比較にならないほど大きいことである。2015年では10歳時点の生存者数は99,668人であるのに対して、1891~98年では73,655人と出生児の4分の3に満たない。男子の出生者の4分の1強が10歳を迎えることなく早世している。現代では、七五三は生活行事に過ぎないが、年少者の死亡率が高かった時代には、無事に3歳、5歳、7歳を迎えることは切実に言祝ぐべきことだったのである。
前述のように、平均寿命は「のべ生存期間」を起点の人口(この場合は10万人)で割って求めるため、年少の死亡者が多いと平均余命(平均寿命)は低下する。寿命中位年齢も同様に、年少の死亡者の影響を受けて1891~98年では50.6歳にとどまっている。図表3に示されているように、男の平均寿命が42.8歳の1891~98年にあっても、全ての者が50歳を迎えることなく亡くなるわけではない。
全ての世代にわたる保健福祉水準を総合的に示す指標として、0歳の平均余命である「平均寿命」が有効であることはいうまでもない。しかし、長寿化を「老後の期間が長くなること」ととらえた場合、若年期の死亡を控除した平均余命や年齢別生存率にも着目すべきなのである。
図表2 平均寿命と寿命中位数(2015年・男性)
(資料)厚生労働省「完全生命表」より作成
図表3 平均寿命と寿命中位数年齢(男性・1891~98年と2015年の比較)
(資料)厚生労働省「完全生命表」より作成
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