ページの先頭です

量子・コンピュータ・ソフトウェアの視点から

新たな計算力の獲得とビジネス競争

2022年1月31日 経営・ITコンサルティング部 武井 康浩

注目される量子コンピュータ

「量子」という言葉を聞くと“何やら難しい物理学の話であり、理系の研究者の言葉”と思う人も多いであろう。この「量子」という言葉を冠としたコンピュータ、つまり「量子コンピュータ」にビジネス界が注目している。その様子は、量子コンピュータに関わる注目すべき話題が各種ニュースメディアなどで頻繁に報じられていることからも推し量ることができる。

たとえば、2019年10月に、量子コンピュータが従来のコンピュータ(以降、古典コンピュータと呼ぶ)の計算力を大幅に上回り、いわゆる「量子超越性(quantum supremacy)」を達成したと報道されている。また、2020年9月には、量子コンピュータを開発するカナダのスタートアップD-Waveが、数年前に発表された従来のシステム(約2000量子ビット*1を備えるもの)から大幅に量子ビットを増加させ、5000量子ビットを有する新しい量子コンピュータ「Advantage」を発表したことなど、量子コンピュータ開発の進展に関わるニュースが報じられている。このほかにも量子コンピュータの進展に関わるさまざまなニュースが報じられており、開発競争が激化している様子が見て取れる。

ところで、冒頭では一口に量子コンピュータと表現したが、現在、世界中で研究開発が進められている量子コンピュータは、大きく分けて2つのタイプに分類される。量子ゲート方式と量子アニーリング方式の2つである。これら方式については、さまざまな技術書等で解説されており、詳細な説明はここでは割愛するが、端的にいえば次の通りである。

  • 量子ゲート方式
    量子状態にある素子の振る舞いや組み合わせにより計算回路(量子ゲート)を構成し、それを使って計算を行うもの。
  • 量子アニーリング方式
    組み合わせ最適化問題を解くことに特化した特化型ともいわれ、高温にした金属をゆっくり冷やすと構造が安定する「焼きなまし(アニーリング)」の手法を応用して、最適解を求めるもの。

ビジネス界が寄せる期待

量子コンピュータは、ポストAIともいわれることもしばしばあり、ビジネス界では次世代の重要技術として注目されるが、その理由は何であろうか。端的にいえば、現代の最新のコンピュータ(古典コンピュータ)では、計算量が天文学的になることから、解こうと思っても実質的に解けない問題について、量子コンピュータでは解を求められる可能性があることが理由として挙げられる。産業界にはこの種の問題が多数あり、量子コンピュータによって現実的な時間内でそれら問題が解けるのであれば、さまざまな点で実務上のメリットが出てくるのである。

たとえば、具体的にイメージするために、巡回セールスマン問題を紹介しよう。この問題は、セールスマンが所定の複数の都市を1回だけ巡回する場合の最短経路を求める組み合わせ最適化問題といわれ、よく知られた問題である。この問題で、都市の数をnとして、nの値を大きくすると、計算すべき組み合わせの数がn!(nの階乗)のオーダーで増加してしまい、古典コンピュータでは最適解を見つけるのに、たとえば数億年の時間が必要となってしまうこともある。量子コンピュータは、量子の性質を活用することで、こうした問題を現実的な時間で解くことができる可能性があり、現在の人類が手にしている古典コンピュータの計算力をはるかに凌駕する計算力が、量子コンピュータで獲得できると期待されている。

古典コンピュータ活用の発展経緯から見る量子コンピュータ活用の見通し

現在のコンピュータ(古典コンピュータ)が開発されてきた過去を振り返ると、人類が計算力を手に入れたことで、世の中が大きく変わってきた事実がある。

たとえば、古典コンピュータの基礎として、ノイマン型コンピュータ*2が登場した際には、コンピュータは世界大戦中の弾道計算・潜水艦探索・暗号解読等に活用され、戦況の行方に大きな影響を与えるものであった。また、戦後には、商用コンピュータが登場し、当初は保険会社などの大手企業に限定される形で導入され、人手で実施するには膨大な事務作業(給与計算など)を短時間で実行するなど、企業活動にも大きな変化をもたらした。その後、コンピュータは急速に高機能化し、また、小型・軽量化、低価格化することで、いまや誰でも手に入れられるもの、使えるものとなった。また、魅力的な多くのソフトウェアやアプリケーションをコンピュータに搭載・利用することで、我々一人ひとりの暮らしまで大きく変えるものとなったことは、誰もが実感するのではないか。

こう考えると、古典コンピュータの計算力は、当初は限られた者のみが所有する差別化要因であったが、時とともにある意味で一般化し、魅力的なソフトウェアの発展と相まって誰もが活用できるものになったといえる。こうした点を鑑みると、まだまだ技術的に解決すべき諸課題は山積するものの、量子コンピュータも当初は限られた者のみが所有する差別化要因となるが、中長期的には誰もが活用できる一般的なものになると期待される。

ソフトウェア開発の競争も始まっている

ここでコンピュータの価値について、古典コンピュータ、量子コンピュータそれぞれについて考えてみる。上述の通り、開発当初、古典コンピュータの価値の源泉は、計算機そのもの(ハードウェア)にあり、それを所有することでビジネス優位を確保することができた。しかし、コンピュータの進展とともに、ハードウェアそのものは高機能化する一方、小型・軽量化、低価格化し、また誰もが利用可能なものとなり、それだけではビジネス優位を確保できるものではなくなった。むしろ、価値の源泉、ビジネス優位を確保する部分が、コンピュータに搭載されるソフトウェアやアプリケーションにシフトしたといえるであろう。

一方、量子コンピュータについて考えてみると、現状の足元では、量子コンピュータのハードウェア開発の競争が熾烈を極めている。これまでにない計算力を備える量子コンピュータの実現に向けた途上ということもあり、ハードウェアそのものに大きな価値がある状況であろう。言い換えれば、量子コンピュータを保有することや、優先的に使用できる人たちが競争上優位である。そのため足元では、日本政府においても、量子コンピュータをはじめとする量子技術の開発や導入に向けた国家戦略を改定し、重要な技術と位置づけ「自国で保有する」姿勢を示している。

しかし、古典コンピュータの活用の発展経緯に沿って考えれば、中長期的には、量子コンピュータでも、ソフトウェアやアプリケーションに価値の源泉が移行すると推測することは自然なことであろう。そのため、今関心が高まっている量子コンピュータでは、ハードウェアの開発競争と同時並行的に、ソフトウェアに関する開発競争も起きている状況である。特に、量子コンピュータの中でも、実用が一歩早いと考えられている量子アニーリング方式については、すでに応用を見越した問題の設定、その問題を解くためのソフトウェア(ミドルウェア)の開発競争が始まっている。

たとえば、量子アニーリング方式の量子コンピュータを活用した最適化問題に関する実証実験・検証等がすでに行われている。工場内で複数台の無人搬送車(AGV)を同時に稼働する時、各AGVの衝突を回避しながらも、生産ニーズに対応して稼働率を向上させる最適化を目指した実験である。また、世界で最も混雑する都市のタクシー数百台から収集した移動データを使用して、市内中心部と空港間の交通の流れを最適化する試みなども挙げられる。そのほかにも、金融分野(ポートフォリオの組み合わせs最適化、株価予測)、素材・医薬分野(量子効果まで踏まえた分子シミュレーション、結合定数の試算、化学反応の反応経路分析)、エネルギー分野(送配電の最適化)、物流分野(輸送ルートの最適化)など、さまざまな業界で応用が検討されている。

スタートアップと量子人材がカギ

このように、さまざまな業界、さまざまな有名企業が参画する中、量子コンピュータのソフトウェア開発をけん引する存在として、スタートアップ企業の登場が注目されている。国内外を問わず、数多くのスタートアップが比較的実用に近い量子アニーリング方式のソフトウェア(ミドルウェア)等の開発を進めるとともに、今後20年以上先と予測されている量子ゲート型の実現を見越した、ソフトウェア開発などにも着手している。

他方、現在、量子コンピュータのハードウェアの実現方法としてさまざまなものが提案されている段階であり、まだ確たる本命は見出せていない。その中で、ハードウェア開発の技術的進展を迅速にキャッチアップしつつ、中長期的な価値の源泉となり得るソフトウェアを早期に仕立てていくことが勝負の分かれ目となる。つまり、量子コンピュータに期待をかけるユーザーのニーズを踏まえつつ、早期に主流となり得る量子コンピュータを前提としたソフトウェア、ひいてはビジネス課題を解消するアプリケーションサービスを形作ることが不可欠となるであろう。

近年、大学・研究機関に所属する量子技術関連の研究者など、いわば量子人材というべき人々の中には、アカデミックな研究を志向する一方、産業界へのビジネス展開にも乗り出す人材が増えている。こうした量子人材が、スタートアップを創業し、ソフトウェアやアプリケーションの開発を主導する姿も見られる。新たな技術進展の不確実性の中、リスクを取って迅速な対応が可能なスタートアップ企業には、量子コンピュータのソフトウェア開発をけん引する存在として大いに期待したい。その意味で、理想的な量子コンピュータのハードウェアが実現する20年以上先の将来に向けて、今後もより層の厚い量子人材の育成と確保、活動支援を継続することが必要と考えられる。

  1. *1量子ビット:量子コンピュータで扱われる情報の最小単位。従来のコンピュータで扱われるビットは、情報の最小単位を0か1で表したが、量子ビットは0と1に加え、0と1を重ね合わせた状態も表すことができる。
  2. *2プログラムをデータとして記憶装置に格納し、順番に読み込んで実行するコンピュータ。現在のコンピュータのほとんどがこの方式を採用している。

武井 康浩(たけい やすひろ)
みずほリサーチ&テクノロジーズ 経営・ITコンサルティング部 主席コンサルタント

情報通信・科学技術に関する調査研究・事業化支援に携わり、多様な企業の先端技術活用を通じた新価値創出の取り組みを支援。移動・交通分野では、ITS(高度道路交通システム)、自動運転等に係る技術・市場・政策動向等の調査研究および実証事業等に携わる。製造分野では、デジタル活用を通じた現場改善・生産性向上、新価値創出を支援。

関連情報

【連載】デジタル変革の潮流を読む

2022年1月24日
行政のデジタル化
―デンマーク型の行政サービスデザインからの示唆―
2021年12月23日
期待高まる「海の次世代モビリティ」
―水中ドローン等の新技術が秘める可能性―
2021年11月19日
デジタル環境の変化に合わせてサイバーセキュリティ対策を見直そう
ページの先頭へ