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社会動向レポート

イノベーション環境の日中比較と日本のイノベーション政策の新たな展開(1/3)

コンサルティング第2部
研究員 本田 和大
主任研究員 久保 比佐司
研究員 小川 拓弥

イノベーション創出において日本は様々な課題を抱えており、積極的な支援策を講じる中国に大きな差をつけられてきた。しかし、近年日本政府は積極的な課題対応策を講じており、環境は徐々に改善へと向かっている。

1.はじめに

社会・経済の変化がますます速まる中で、持続的な成長を実現し、様々な社会課題の解決を実現する手段としてイノベーションへの関心が高まっている。

特に中国は、論文の量や質ともに世界トップクラスの科学技術力を身に着け、深センにおける成功に見られるように、国内での大企業やスタートアップ、大学、研究機関等との間でイノベーションを創出するエコシステムの形成が進められている。こうした成功の背景には政府が重視するイノベーション政策がある。

日本では、スタートアップの資金調達機会の不足や、企業の研究開発における「自前主義」、十分とは言い切れない政策的支援等様々な課題がこれまで山積であったが、科学技術・イノベーション基本法の制定や、これに基づく科学技術・イノベーション基本計画の策定、大企業によるスタートアップとの連携の進展等、官民双方においてイノベーションの創出に向けた新たな動きが生じつつある。

本稿では、政策的な観点から中国におけるイノベーションの特長を整理したうえで、これと対比させる形で日本がこれまで抱えてきたイノベーションに関する課題を明らかにする。そのうえで、日本における新たな政策的展開を整理し、今後の日本のイノベーションの動向を展望する。

2.本稿で検討するイノベーションの定義

イノベーションという言葉には様々な定義があり、利用される場面によって使われ方が異なる場合も多い。ここでは、日中のイノベーション環境を比較検討するにあたって、本稿における「イノベーション」を定義する。


図表1 イノベーションの定義
図表1

  1. (資料)みずほリサーチ&テクノロジーズ作成

(1)イノベーションに関する様々な定義

以下は、イノベーションに関する調査研究について国際標準を定めた経済協力開発機構(OECD)の「オスロ・マニュアル2018」と、日本のイノベーション創出に関する基本法である「科学技術・イノベーション基本法」におけるイノベーションの定義である。

「オスロ・マニュアル2018」の定義のポイントは、プロダクト(製品等)やプロセス(生産工程等)いずれもイノベーションの対象であること、イノベーションには、新しいものだけでなく「改善」も含まれること、潜在的利用者(顧客等)に「利用され」なければならないとされている点である。また、科学技術・イノベーション基本法における定義のポイントとしては、イノベーションが科学的発見に基づくものだけではないこと、創出した価値の普及まで含めてイノベーションと定義していることが挙げられる。

なお、中国においてはイノベーションを「創新」と表現するが、明確な定義はみられない。ただし、中国では「創新」の推進にあたって「大衆による創業、万人による創新」というスローガンが掲げられており、科学者・研究者による発見に基づくものに限らず、新しいアイデアによる価値創出プロセス全体がその範囲となっていると考えられる。

(2)本稿における定義

(1)を踏まえて、本稿におけるイノベーションについて定義する。まず、科学技術の発見を起点とするものだけでなく、これまでの製品やサービスとは異なるものを創出することや、これまでと異なる形で、既存のものを改善することを広くイノベーションと捉える。さらに、アイデアを実用化し、市場に普及させるプロセスを含めてイノベーションとして捉える。

そこで、本稿では、研究開発に関する取組に加えて、技術やアイデアを持つ者の創業や成長支援、新たな価値を生み出すための企業同士や研究機関との連携、これらの基盤となる金融、公共調達、人材の流動性といった様々な側面に注目して、日中のイノベーション環境の比較を行う。

3.中国のイノベーション政策

文部科学省科学技術・学術政策研究所が2021年8月に発表した報告書*2によると、2017年から2019年に発表された「注目論文*3」の数で米国を抜き世界一となった。また、米CBインサイツによると、2021年8月22日時点での世界のユニコーン801社のうちアメリカの402社に次ぐ158社を中国が占める*4。本章では、科学技術・イノベーションにおいて急速にプレゼンスを向上させてきた中国のイノベーション環境の特長について、政府の政策に注目しながら整理を行う。

(1)中国のイノベーション政策の概略

①中国の近年のイノベーション政策

中国は、人件費の高騰を背景として、2016年にイノベーションによる経済成長という、イノベーション駆動型経済発展モデルへ全面的に舵を切った*5。国家の政策の基本的な方針を示す、第13次五カ年計画(2016~2020)においては、「双創(大衆による創業・万人によるイノベーション)」が掲げられ、「インターネット+(プラス)」、「中国製造2025」など、科学技術や産業振興に関する施策が実施され、イノベーションを通じた経済成長の向上が重視された*6

2021年3月に採択された第14次五カ年計画(2021~2025)においても、引き続きイノベーションが重視されている。今後より具体的な個別計画が示される見込みであり、動向を注視する必要があるだろう。


図表2 第14次五カ年計画の概要(イノベーション関連)
図表2

  1. (資料)中華人民共和国人民政府ウェブサイト*7よりみずほリサーチ&テクノロジーズ作成

②政策から見る中国のイノベーションの特長

①で確認したように、中国は国家の大方針としてイノベーション創出を重要視している。イノベーション政策に限らず中国の経済・産業政策は、このような中央政府の方針のもと各地方政府が比較的大きな権限を持って政策を実行することが多い。イノベーション政策においても、各地方政府が条例や補助金を活用して民間企業を支援することで、社会実装を図っている。次からは、中央政府における予算措置等の政策を取り上げつつ、実行主体となる地方政府の特徴的な取組について広東省深セン市を例にみていく。

深セン市は、1980年に経済特区として指定以降、中国のイノベーションを牽引する地域のひとつとなっている。2021年7月には、中国国家発展改革委員会が、深セン市の後述する取組を共有し、国内に拡大することを目的とした通知を発表したこと*8からも、中国各地の今後のイノベーション政策を考える上で、重要であると考えられる。


図表3 中国におけるイノベーション政策の推進体制
図表3

  1. (資料)公開資料よりみずほリサーチ&テクノロジーズ作成

(2)中央政府の取組

中央政府は、前述のように大方針を掲げ、具体的な施策は地方政府が推進するが、以下の取組については中央政府が推進している。

①潤沢な科学技術関連予算

中国政府では、イノベーション創出に係る長期計画の下、科学技術に関する予算を増加させてきた。文部科学省科学技術・学術政策研究所によると、中国の2019年の科学技術予算はOECD購買力平価にして約26.4兆円であった。2000年を1とした場合、物価変動を考慮した実質額で9.7倍に拡大している*9

②イノベーション志向の公共調達に向けた新たな動き

イノベーティブな製品を政府が調達することで、イノベーションを促進する動きが欧米では見られる。中国の場合では、「政府調達制度の改革を深化させる計画」が2018年から中央改革委員会にて進められ、2020年12月には政府調達法の改正草案が公表された。改正案では、政府調達の目的にイノベーションの支援が明記されるに至っている*10

(3)地方政府の取組(広東省深セン市の例)

ここでは、中央政府が打ち出した方針を実行する主体としての地方政府について、顕著な取組を行う広東省深セン市を例にその特長を概観する。

①大手企業とスタートアップの連携支援

深セン政府は、大企業が設置するインキュベーション施設に補助金を出すとともに、施設を利用するスタートアップに対して様々な支援策を提供している。深センに拠点を置く中国IT大手テンセントは、こうした政府の補助を活用しインキュベーション施設を設置し、様々なスタートアップ支援に取り組むとともに、入居者が生みだしたサービスを自社のプラットフォームで活用する取組を行っている*11。このように中国においては、地方政府が大企業とスタートアップの連携促進を積極的に行っている。

②官主導のリスクマネーの供給によるイノベーションの活性化

中国政府は、各地方政府に官製ベンチャー・キャピタルを利用したリスクマネーの供給を奨励している。深セン市の場合は、「深セン市創新投資集団有限公司」が、2021年7月時点までで1,309件のプロジェクト、累積で約714億元(約1兆2,138億円)を投資している。経営支援をしながらスタートアップ初期のリスクを一定程度引き受けることで、イノベーション創出の活性化を図っている*12

③研究開発人材の獲得と人材の流動化促進

深セン市においては、「孔雀計画」という研究者等の海外高度人材の誘致政策が展開されている*13。人材をレベル別にA~Cにカテゴリ分けし、カテゴリによって300~160万元が支給され、起業、研究開発、生活の面で全面的な行政的支援が提供されている。

さらに、研究機関内の研究者が起業することや、パートタイマーとして企業で働くことを奨励・支援しており、高度な専門性・技術を持つ研究開発人材の流動性を高めることで、イノベーションを促進している*14

  • 本レポートは当部の取引先配布資料として作成しております。本稿におけるありうる誤りはすべて筆者個人に属します。
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