
日本における導入・実施に向けた議論のポイント 注目の高まる排出量取引制度
2023年12月
みずほリサーチ&テクノロジーズ
サステナビリティコンサルティング第1部 コンサルタント
金池 綾夏
*本稿は、『産業洗浄』No.31(日本産業洗浄協議会、2023年5月発行)に掲載されたものを、同編集部の承諾のもと掲載しております。
1. はじめに
2022年7月に官邸に設置されたGX実行会議において「成長志向型カーボンプライシング構想」が検討された。これは、今後10年で官民協調により150兆円規模の脱炭素投資を行うべく、GX経済移行債(脱炭素成長型経済構造移行債)を創設して20兆円の政府資金を調達し、その償還財源として成長志向型カーボンプライシングを導入するものである。ここでの検討を踏まえ、2028年度から化石燃料輸入事業者に対する炭素賦課金(化石燃料賦課金)を導入し、2033年度から発電部門を対象とした排出枠の有償割当を開始することを規定する「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律案」が2023年2月に閣議決定されたところである。
本稿では、関心が高まりつつある排出量取引制度の仕組みや、先行事例として世界で最初に導入されたEUにおける排出量取引制度(EU ETS)の概要や制度動向を解説しつつ、日本におけるカーボンプライシングに関する議論の動向や、排出量取引制度の導入及び実施にあたっての考え方を紹介する。
2. カーボンプライシングとは何か
カーボンプライシングとは、炭素の排出に価格付けをし、排出者に排出量に応じた費用負担を求める政策手法である。炭素価格(炭素1トン排出当たりの価格)よりも限界削減費用(追加的に炭素1トンを削減するのに必要な費用)が低い削減技術の導入を促す仕組みである。炭素価格よりも削減費用が低い技術を導入しない場合、排出量に応じた炭素価格の支払いが必要となり、技術を導入する場合と比べて損することになる。
炭素価格を引き上げるとより削減費用の高い技術が導入されることになり、排出削減の深掘りがなされる。一方で、現在商用化されていない技術などの高コストな対策もあることから、排出削減目標を達成するには、カーボンプライシングのみではなく、補助金など他の支援措置も併せて行う必要があるとされている*1。
カーボンプライシングの主な手法には炭素税と排出量取引制度がある。両者がどのような点で異なるのか、表1にそれぞれの長所・短所を整理した。炭素税は政府が税率水準を設定するため価格の予見可能性が高いことが特徴とされる。一方、本稿の主題である排出量取引制度(キャップアンドトレード)は、政府が対象部門全体の排出上限(キャップ)を定めて排出量をコントロールすることから、より確実な排出削減を導くことができるとされる。
世界銀行によれば、2022年4月時点において、世界で68のカーボンプライシング施策が導入されており、世界全体の温室効果ガス(GHG)排出量の約23%をカバーしている*2。このうち、炭素税は36施策が導入されている。排出量取引制度については、2005年にEU ETS(第4章で後述)が導入されて以降、全世界に拡大し、32施策が導入されている。
足元の炭素価格は1トンあたり数ドルから100ドル超と幅がある。パリ協定の目標達成には2030年までに50~100ドルの炭素価格が必要とされているが、現在、50ドル以上の炭素価格でカバーされるGHG排出量は世界全体の排出量の4%未満に留まり、価格の大幅な引上げの必要性が指摘されている*3。
以降では、世界の多くの国・地域で導入され、近年、国内で関心が高まりつつある排出量取引制度について、制度の仕組みや海外の先行事例、国内議論の動向について紹介する。
表1 炭素税と排出量取引制度の比較
長所 | 短所 | |
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炭素税 |
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排出量取引制度 |
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(出典)みずほリサーチ&テクノロジーズ作成
3. 排出量取引制度の仕組み
排出量取引制度とは、政府が対象部門全体の排出上限(キャップ)を定め、取引可能な排出枠(通常は炭素1トン排出量相当で設定される)を発行し、対象企業に対して排出量に応じた排出枠の償却を求める制度である。制度によっては、償却の際に、排出枠に加えて、制度対象部門外の削減量・吸収量に対して発行されるオフセットクレジットの利用を認める場合もある。なお、多くの場合、キャップは排出量の絶対量で定められ、一定の削減率で毎年引き下げられる。これにより確実な排出削減を見通すことができ、国・地域の削減目標の達成を担保することができる。
政府は発行した排出枠を、無償又は有償のいずれかの方法で企業に提供する。有償割当の場合、排出枠は政府が主催するオークションを通じて販売される。無償割当の場合、主に2つの方法に基づき企業への割当量が設定される。1つ目は、排出量に一定の削減率を乗じて割当量を設定するグランドファザリング方式である。これは、割当量の設定が比較的容易で導入し易い反面、過去に排出削減を先行して進めた企業の無償割当量が少なくなり、過去の努力が報われないといった点に課題があるとされる。2つ目は、業種又は製品ごとのベンチマーク(排出原単位)に過去の生産量を乗じて割当量を設定するベンチマーク方式である。通常はその業界のトップランナーの水準に設定される。ただし、生産工程別の排出量データの取得可能性に制約があることから、ベンチマークの設定が難しい点が課題とされる。EU ETSでは、グランドファザリング方式の無償割当からスタートし、企業の削減インセンティブを高めるためベンチマーク方式の無償割当に移行した。さらに今日では無償割当の比率を縮小(有償割当の比率を拡大)することで、企業に排出削減を促している。
排出削減を促進する観点では、できるだけ多くの排出源を排出量取引制度の対象とすることが望ましい。しかし、小規模な排出源を対象に含めると行政コストが膨らむことから、効率良く制度運用するため、実際には発電部門・産業部門における一定の排出量以上の企業に対象を絞っている場合が多い。一方、後述するEUの新たな排出量取引制度(ETS2)のように、個々の排出源がより小規模な業務部門や運輸部門についても、家庭・業務用燃料や自動車用燃料を供給する事業者を対象とすることで、脱炭素化を促す方策も検討され始めている。
4. EU ETSの概要
本稿では、世界で最初に導入された排出量取引制度であるEU ETSについて紹介する。
EU ETSは2005年に導入された。現在第4フェーズ(2021~2030年)を迎え、EU27カ国、アイスランド、リヒテンシュタイン及び、ノルウェーの30カ国が参加している。発電・産業及び域内航空を対象とし、これらの対象部門全体で2030年に2005年比排出量43%削減を目指すとしている。鉄鋼やセメントなど特に炭素リーケージ(炭素価格がより高い地域からより低い地域へと企業が転出し、炭素価格がより低い地域の排出量が増加すること)のリスクが高いと特定された業種には、ベンチマーク(EU域内企業の排出原単位の上位10%の平均値)に一定の削減率を乗じた量に相当する排出枠を無償で割り当てている。また、発電部門は原則有償割当のため、排出量に相当する排出枠をオークションや市場取引で調達し、政府に提出する必要がある。これに起因する電気料金の上昇から炭素リーケージリスクの高い業種を保護するため、電気料金の上昇分を補償する支援措置(State Aid)も導入されている。なお、償却義務を怠った企業は、名前が公表されるほか、不履行分の排出枠の償却に加えて1トン当たり100ユーロの罰金が科せられる。
EUでは、欧州委員会が2021年7月に、EU全体の2030年排出削減目標の引上げ(1990年比55%削減)を踏まえたEU ETSの改正について提案し、その後、欧州委員会及び立法機関である欧州議会・EU理事会との三者で検討が行われ、2022年12月に暫定合意に至った。表2の通り、EU ETS対象部門の2030年目標が引き上げられ(従前の2005年比43%削減→同62%削減)、道路輸送及び建築物に燃料を供給する燃料供給事業者を対象とした新たな排出量取引制度(ETS2)が導入される。EUでは、EU ETSの改正に加えて、エネルギー多消費産業に対する無償割当に替わる炭素国境調整措置(CBAM)の導入も新たに合意された。これは、EUと比べて炭素価格が低い国からの鉄鋼やセメント等の輸入に際し、その製品の直接排出量や一部の間接排出量について、EU ETS相当の炭素価格の負担を輸入者に求める措置である。2023年10月に開始される予定であるが、当初は報告義務のみで、実際の支払いは3年後の2026年からとなる予定である*4。
EU ETSの排出枠価格の動きについて触れておきたい。2017年頃までは1トン当たり5ユーロ前後で推移していたが、第4フェーズにおける制度厳格化の合意を受け、2018年以降の価格は20~30ユーロの水準まで上昇した。その後も、コロナからのグリーンリカバリーによる経済再建に加え、EUの2030年削減目標の引上げやそれに伴うEU ETS改正の動きが下支えとなり、2022年2月には排出枠価格が1トン当たり100ユーロ近くに高騰した。その後、ウクライナ情勢を受けたエネルギー価格上昇の対応のため、排出枠を売却する動きが強まり、価格は一時57ユーロまで下落したが、2023年3月の排出枠価格は85~95ユーロあたりで推移している*5。
表2 EU ETSの現行制度(第4フェーズ)と暫定合意された改正案の比較
現行制度(第4フェーズ) | 暫定合意された改正案 | |
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削減水準 |
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対象部門 |
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産業部門 割当方法 |
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(出典)EU法データベース*3、EU理事会資料*4よりみずほリサーチ&テクノロジーズ作成
5. 日本における排出量取引制度の行方
現在、日本には、炭素税として、地球温暖化対策のための税(温対税)が導入されている。既存の石油石炭税の内税として、石炭・石油・ガスに対し、本則税率に上乗せする形で、各燃料のCO2排出量に応じて289円/tCO2が課税されている。税収は2021年時点で2,200億円程度*6が見込まれており、再エネ・省エネなどエネルギー起源CO2の排出削減対策に充当されている。また、東京都では2010年4月、埼玉県では2011年4月から、排出量取引制度が導入されている。両制度ともに、排出枠はグランドファザリング方式によって無償で割り当てられる。無償割当の排出枠よりも実際の排出量が上回った場合は、超過削減を達成した企業に対して発行される排出枠(超過削減量)を相対取引で購入する仕組みである。なお、東京都の取引価格(2022年11月時点)は650円程度である*7。
このように、日本の温対税の税率はEU ETSと比べて低く、また、国レベルの排出量取引制度も導入されていなかった。こうした中、脱炭素への取組を強化し、必要な財源を確保するという観点から、政府は新たなカーボンプライシング導入の検討を進めてきた。以下では、日本における最近のカーボンプライシングに関わる議論の動向について説明するとともに、排出量取引制度の導入及び実施に向けた議論のポイントについて解説する。
(1)自主的排出量取引制度(GX-ETS)
経済産業省は、2022年2月に「GXリーグ」の基本構想を公表した。GXリーグとは、カーボンニュートラルへの移行の取組を積極的に行い、国際ビジネスにおける競争力の発揮を目指す企業が集まり、GX実現に必要な市場ルールの形成や将来のビジネス機会の創出に取り組む場である。2023年1月時点で製造業やサービス業を中心に約680社がGXリーグへの賛同を表明している。これらの企業からの排出量は日本全体のCO2排出量の4割以上を占めている*8。
このGXリーグの柱の1つに位置付けられているのがGX-ETSという自主的な排出量取引制度である。GX-ETSは、EU ETSなどの政府が対象者や削減目標を設定する規制的な仕組みとは異なり、賛同企業が自主的に掲げた排出削減目標(日本の2030年2013年度比46%削減目標に整合する目標)の達成に向けて排出量取引を行うものである。目標を超過達成した企業にはその差分がクレジット(超過削減枠)として与えられる。目標未達の企業は、主に他社の超過削減枠やJ-クレジット(省エネ設備導入や再エネ利用によるCO2排出削減量、及び適切な森林管理によるCO2吸収量について政府がクレジットとして認証したもの)を市場から調達する。
制度運用にあたり必要となるデータ収集や知見・ノウハウの蓄積を行うべく、GX-ETSの試行フェーズが2023年度に始まる。2026年度には第2フェーズとして制度が本格稼働する予定であり、企業が設定した目標に対する第三者機関の認証の導入や指導監督等の規律強化が検討されている。さらに、下述の通り、GXETSを更に発展させ、2033年度より発電部門を対象に有償割当が導入される予定である。
(2)成長志向型カーボンプライシング
2022年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2022(骨太の方針)」で言及された通り、2022年7月に内閣総理大臣を議長とするGX実行会議が首相官邸に設置され、脱炭素投資の財源として成長志向型のカーボンプライシングについて検討が行われた。これを踏まえ、2028年度から化石燃料輸入事業者に対する炭素賦課金を新たに導入し、2033年度から発電部門を対象とした排出枠の有償割当を開始することを明記した「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律案」が2023年2月に閣議決定された。制度設計の詳細については、本法施行後2年以内に法制上の措置をとるとしており、カーボンプライシングの検討は、今後、より具体的な制度設計のフェーズに移ることになる。
(3) 日本における排出量取引制度の導入及び実施に向けた議論のポイント
日本における今後のカーボンプライシングの導入及び実施に向けた議論のポイントについて考える。
まず、温対税については、化石燃料全般を対象とし幅広い経済主体に脱炭素化に向けた取組を促す機能があることから、今後も引き続き役割を果たすものと考えられる。一方、2028年度より炭素賦課金が導入されることから、温対税の税率が引き上げられる可能性は短期的には低いとみられる。但し、日本におけるエネルギー課税(税率を燃料の固有単位あたりで設定している揮発油税や軽油引取税等)をCO2排出量あたりの税率でみると、ガソリン等の輸送量燃料に対して比較的高い税率が課せられている一方、排出係数が最も高い石炭の税率は最も低くなっている。税制全体をグリーン化していくという観点からは、各燃料の排出量あたりの税率を均一にするようエネルギー課税の見直しを行う中で、温対税の税率をいつから、どのようなスピードで引き上げるべきかについて、中長期的な視点で検討することが重要と考えられる。
次に、排出量取引制度については、現在のGX-ETSのような企業が自主的に参加して排出削減目標を定める制度ではなく、政府が対象者や日本の2030年目標及び2050年ネットゼロ目標に整合する排出量のキャップを設定する、規制的な制度にシフトしていく必要がある。GX-ETSの発展の方向性として、2033年度より発電部門を対象とした有償割当を行うことが決定しているが、GXの財源確保や更なる脱炭素化推進の観点から、鉄鋼やセメントなどの産業部門についてもいずれ対象となり段階的に有償割当に切り替わると考えられる。また、業務部門や運輸部門についても、排出削減が芳しくない場合は、現在取り組んでいる燃費規制や低炭素燃料の促進に併せ、それらの取組を更に促す仕組みとして、EUのETS2のように家庭・業務用燃料や自動車用燃料を供給する事業者を有償割当の対象とすることが検討される可能性もあるだろう。
6. おわりに
今後、2050年カーボンニュートラルに向けて、世界レベルで、カーボンプライシングは一層導入・強化され、炭素価格も上昇していくと予想される。日本においても、炭素賦課金の導入や発電部門への有償割当が決定されたところであり、制度の詳細や今後の方向性に関する検討については引き続き注目する必要がある。企業は、今後予想されるカーボンプライシングの強化に備え、排出コストや炭素価格上昇による財務への影響を予め把握しておくとともに、排出削減に向けた先行的な取組も検討・推進していくことが重要と考える。
参考文献
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*1OECD(2021)「OECD対日経済審査報告書2021年版」
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*2世界銀行(2022)「State and Trends of CarbonPricing 2022」
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*3EU法データベース「DIRECTIVE 2003/87/EC OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL of 13 October 2003establishing a scheme for greenhouse gas emission allowance trading within the Community and amending Council Directive 96/61/EC」
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*4EU理事会(2023)「Interinstitutional Files:2021/0211(COD)2021/0202(COD)」
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*5EEXウェブページ「EU ETS A uctions」
-
*6財務省(2021)「中小企業、エネルギー・環境(グリーン)」
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*7東京都(2022)「総量削減義務と排出量取引制度取引価格の参考気配について」
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*8経済産業省(2023)「GXリーグ活動概要」
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