
1. はじめに
令和6年より施行された労働安全衛生法(以下、「安衛法」という)の「新たな化学物質規制」により、化学物質管理は事業者によるリスクアセスメントを主軸とした自律的な管理へと舵を切った。これに伴い、SDS※1等による危険有害性情報の通知がこれまで以上に重要となっている。
こうした状況の中、SDS通知制度の履行確保を目的に、厚生労働省「化学物質管理に係る専門家検討会」(以下、「専門家検討会」という)において、SDS等による危険有害性情報の通知に関する提言がなされた*1。それを踏まえ令和7年5月に安衛法が改正*2され、①通知事項変更時の再通知の義務化、②代替化学名制度の新設、③通知義務違反への罰則新設等が行われた。
これらの改正は、SDSの交付者を対象とするものであるが、受領者がSDS情報に基づき行うリスクアセスメントの実務にも影響を及ぼすことが想定される。
本稿では、安衛法の改正事項を紹介しつつ、受領者実務に引き直した上で、どのような変化が生じ、何を検討しておくべきかを整理する。
2. SDSに関する労働安全衛生法の改正事項
(1)SDS通知事項を変更した場合の再通知の義務化
SDS交付者がSDSの通知事項を変更した場合、変更後の通知事項を速やかにSDS受領者へ通知することが義務化された。再通知の相手先の範囲は、概ね1年以内に化学物質を譲渡・提供した継続取引先とされている。*1
従来法令では、SDSの「人体に及ぼす作用」について5年以内ごとの見直しが規定されており、また「新たな化学物質規制」施行後はSDS通知義務対象物質が毎年50~100物質程度ずつ追加される方針である。このため交付者側ではSDS更新が定期的に発生する状況であり、今回の義務化は後段で記載する罰則規定も含め、更新内容を確実に受領者側へ伝達するための措置といえる。
リスクアセスメント指針*3では、SDSの危険有害性情報が変更された場合、リスクアセスメントを再度実施することが規定されている。よって受領者側では、更新通知をトリガーとしたリスクアセスメント見直し体制を確立しておくことが重要となる。具体的には、更新内容からリスクアセスメントを再度行うべきかを判断の上、必要であれば評価を実施、評価結果に応じて工程条件や局所排気装置、保護具等のばく露低減対策を見直す一連の実務フロー及び各種規定への落とし込みが必要となる。
(2)代替化学名制度の新設
SDSにおける成分名について、一定条件下で代替名等の通知を認める制度(以下、「代替化学名制度」という)が新設された。
SDSの成分情報、特に混合物中の成分名称を開示することが、交付者側の知的財産や競争上の不利益につながる恐れがあることを背景に、専門家検討会等において、営業秘密に配慮しつつ必要な有害性情報を提供する仕組みの検討が行われ、本改正が行われた。
なお非開示とできるのは成分名のみであり、非開示成分はSDSにおいて非開示であることを明示の上、代替名で通知することとなっている。
専門家検討会報告書*1では、表 1の物質は非開示を認めない方針が提示されている。将来的にSDS通知義務対象(リスクアセスメント対象)は約3000物質まで拡大予定だが、現時点で非開示可能な物質は約1000物質存在する。
表1 非開示が認められない物質に関する専門家検討会での整理
非開示とできない物質 | 具体的内容 |
---|---|
一定の有害性を有する物質 | GHS分類において以下の有害性を有するもの
|
混合物の有害性区分に影響を与える濃度の物質 |
|
法令で個別の対応が義務付けられている物質 |
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専門家検討会報告書*1をもとにみずほリサーチ&テクノロジーズが作成
表1の通り、非開示は有害性が相対的に低い化学物質である場合に限定されるものの、本制度によりSDSの成分欄から個別物質名が確認できない場面が生じることで、受領者側のリスクアセスメントに影響する可能性がある。具体的な影響を三点紹介する。
第一に、職業性ばく露限界値(Occupational Exposure Limit:OEL)が確認できなくなる恐れがある。非開示の可否は主にGHS※3で判断されるが、有害性リスクアセスメントは通常、OELに基づき行われる。濃度基準値設定物質は非開示が認められない方針ではあるが、日本産業衛生学会の許容濃度や、ACGIH(米産業衛生専門家会議)のTLVなどの諸機関でOELが設定されている物質はその対象となっていない。個別物質名が非開示となった場合、OELの確認が難しくなり、労働者の有害性リスクを定量的に確認できなくなる恐れがある。なお、前述の非開示可能な約1000物質のうち、現時点で濃度基準値未設定だが、諸機関でOELが設定されている物質は約500物質が存在し、影響は小さくない。
またGHSでの区分がないことが、有害でないことを意味するとは限らないことも留意すべきである。実際には有害な物質であっても、分類判断可能な十分なデータがない場合は「分類できない」とされる。こうした物質も非開示となり得る。
第二に、保護具選定・換気設計等の実務判断を誤る恐れがある。例えば混合物中の非開示成分の活性炭ろ過材への競合吸着に伴う防毒マスクの破過時間短縮や、揮発性が高い低濃度成分による高ばく露の見落としなどが、個別物質名が把握できない場合に生じ得る。
第三に、検知管やリアルタイムモニター等の簡易測定法による測定結果に影響を及ぼす恐れがある。例えば検知管の検知剤と対象ガスとの反応は、完全に特異的な反応ではなく、共存ガスの組み合わせによっては、測定濃度に影響を及ぼす場合がある。またリアルタイムモニターは、共存物質があった場合には、合算値として値が表示される。そのため、簡易測定に際しては、共存ガスの把握が重要となるが、個別物質名が非開示では、こうした確認が難しい。
受領者側においては、こうした影響をあらかじめ踏まえた上で、リスクアセスメントの方法を検討しておく必要がある。例えば、「イソシアネート類」は一般に皮膚感作性、呼吸器感作性(皮膚のかぶれ、喘息などの症状を引き起こす性質)が疑われる。また、「特定芳香族アミン類」の多くは、発がん性が疑われる。代替名等から、このような特定の有害性を有する物質の含有が疑われる場合は、SDS交付者へ情報の必要性を丁寧に説明の上、有害性情報等の提供の協力依頼を行う、代表的な物質のOELを仮置きして評価する等の対応を行うことが望ましい。
なお代替名は有害性の関連性が分かる表現を原則とする方針が専門家検討会報告書*1において示されている。厚生労働省は今後、EU等の仕組みを参考に、具体的な代替化学名等の設定方法や運用方法等に関する指針等を策定することとしており、動向を注視したい。
(3)SDS通知義務違反への罰則の新設
SDSの交付等による危険有害性情報の通知義務に違反した場合の罰金が新設された。これまでリスクアセスメントにおいて、SDSの内容が古い、必要な情報が入手できない等の声が多く聞かれたが、そうした課題の是正が期待され、また、前述の代替化学名制度の実効性の確保にも資すると考えられる。
3. おわりに
前項までの内容を踏まえ、SDS受領者側における影響及び検討事項を表 2に示す。本改正は、SDSの交付者に対する法的要請を強める一方で、SDSの受領者側の実務体制にも影響するものである。法令の確実な遵守と労働者の安全の観点から、SDS受領時に起こり得る影響を把握した上で、リスクアセスメントやばく露低減策の実務フローの整理や体制の確立を図りたい。
表2 SDS受領者側における影響及び検討事項
改正項目 | 影響 | 検討事項 |
---|---|---|
SDS変更時の再通知の義務化 | SDS交付者より更新通知を受けた際に、リスクアセスメントの再実施が必要となる | 更新通知をトリガーとしたリスクアセスメント見直し体制を確立 |
代替化学名制度 | リスクアセスメントの実施に影響する
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代替名等を参考とした有害性判断や安全側での対応といったリスクアセスメントフローの見直し |
安衛法関係法令や専門家検討会*1をもとにみずほリサーチ&テクノロジーズが作成
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※1SDS:安全データシート
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※2特定化学物質障害予防規則や有機溶剤中毒予防規則等の適用対象物質
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※3GHS:化学品の分類および表示に関する世界調和システム
参考文献
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*1厚生労働省 令和6年度化学物質管理に係る専門家検討会 中間とりまとめ(危険有害性情報の通知関係)
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_42999.html -
*2労働安全衛生法及び作業環境測定法の一部を改正する法律(令和7年法律第33号)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/anzen/an-eihou/index_00001.html -
*3厚生労働省公示 化学物質等による危険性又は有害性等の調査等に関する指針(平成27年9月18日危険性又は有害性等の調査等に関する指針公示第3号(令和5年4月27日危険性又は有害性等の調査等に関する指針公示第4号による改正後)
https://www.mhlw.go.jp/content/11300000/001091557.pdf(PDF/346KB)
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