社会政策コンサルティング部 研究主幹 仁科 幸一
病床の地域格差を考える
(1)入院医療需要は病床が喚起している
冒頭で述べたように、人口あたりの一般・療養病床数は、都道府県間に最大で3.2倍の格差が存在している。問題はこうした差に合理性があるか否かである。
これまでみたように、[1]人口あたり一般・療養病床数と入院受療率は強い相関が見られ、[2]病床の多い地域では高齢者のみならず非高齢者の受療率も高い傾向がある。さらに、[3]入院受療率と外来受療率との間に補完性はみられず、[4]高齢者10万人あたりの住まい施設の定員数と療養病床数の間にも補完性はみられない。
以上の点から、供給(病床の多さ)が需要(入院医療率)を喚起するという構造の存在が示唆される。需要に即した供給体制が存在するのではなく、供給体制が満たされるまで需要が喚起されるという構造は合理的なものとはいえないだろう。
このようなことが生じる背景はある程度想像することができる。患者の入院を判断するのは個々の医師であるが、医師の判断がリスク回避的であれば、病床にゆとりがある限り、判断は入院に傾く。例えば患者が一人暮らしの高齢者であり、服薬管理はもとより食事などの日常生活に不安があれば入院を検討せざるをえず、退院の時期も先送りされる。医療施設の経営を維持するために一定水準の病床稼働率を維持させようとする判断もこれを後押しするだろう。
逆に入院治療が必要な病態の患者が病床を上回って存在しているのであれば、医師はより必要性の高い患者の入院を優先させるだろう。そのために、訪問サービスを活用した自宅療養を、生活維持に困難があれば住まい施設への退院をうながすことになる。経営的にも、手術等の処置が必要な患者の方が増収という点で有利という経営的な判断もこれを後押しするだろう。
このようなミクロレベルでの合理的な判断回路を通じて、供給が需要を創造してしまうのではないだろうか。
(2)高齢化ボーナスの終焉と終末期医療難民
人口あたり一般・療養病床数上位・下位5県の推移をみると、1955年時点では大きな差はみられなかったものの、その後の国民皆保険の実現や健康保険の給付の改善による経済的アクセシビリティの改善を経て、上位・下位5県の格差はほぼ一貫して拡大してきた。
この背景として、上位5県では、高齢化ボーナスによって、個々の医療施設経営者は入院医療需要の減退を体感しにくかったため、病床規制の導入まで増床を積み重ねてきたものと考えられる。しかし、高齢者人口が実数で減少することによって、この構図は終焉をむかえつつある。
下位県では、1960年代以降に県外から流入した当時の若年層が後期高齢期にいたりつつある。1960~69年に20歳で移住した者は、今年79~70歳を迎える。人がいつどのように死を迎えるかは誰にもわからないが、多くの場合、終末期に医療的ケアを要し、状態像によっては入院医療が必要になる場合が少なくないことは容易に想像がつく。こうしたときに、適時に適切な入院医療を受けることができるのか。これはきわめて深刻な問題である。対策を誤れば、終末期に必要な入院医療を受けることができない終末期医療難民を生じさせかねない。
(3) 地域医療構想と地域包括ケアシステムの整備と懸念
[1] 対症療法は現実性がとぼしいが…
こうした状況にいかに対応すべきか。
最初に、最も現実性も妥当性も低い方策の問題点を紹介しておきたい。それは、対症療法的に、病床の多い地域の病床を減らし、病床不足が懸念される地域で増床を図るというものである。この方策の最大の問題点は財政制約である。病床が少ない県は人口が多く、多い県は人口が少ないため、結果的に大幅な増床をまねくことになるが、これに医療財政がたえられるとは考えにくい。また、病床が多い地域で強権的に病床を削減することは、法的妥当性(9)もさることながら、現存する医療施設の経営を危うくし、地域の医療システムを崩壊させかねない。
これに加えて見逃せないのが、終末期を入院医療だけで支えることが妥当かという点である。1970年代前半、年金制度が未成熟だった当時の高齢者の経済的負担を軽減することを目的に、全国の都道府県で老人医療費無料化政策がとられ、国もこれに追随した。当時の感覚からすれば、介護(という言葉自体も存在しなかった)を要する高齢者の処遇は医療施設しかないと考えられたのであろう。しかし、入院医療は常時の医学的管理を要する患者を治療するための施設であって、生活の場としては好ましい環境にはない。この結果、入院した高齢者の生活の質を低下させてしまったことを忘れてはならない。
対症療法的な方策がとられる可能性はきわめて低いことはいうまでもない。しかし、「政治は一寸先は闇」ということばの通り、わが国でもいくつかの条件が満たされれば、ポピュリストが台頭して大衆迎合的な政策を掲げ、これを国民が熱狂的に支持することにならないとは限らない。老人医療費無料化が進められた1970年前後の空気をわずかながら知る者としては、これが杞憂であることを願うばかりである。
[2] 地域包括ケアシステムへの期待
こうした中で、国が推進する未来の見取り図が、地域包括ケアシステムである。地域包括ケアシステムとは、厚生労働省によれば「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制」であり、「市町村や都道府県が、地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要」(10)と説明している。医療施設に関しては、高度急性期病床から療養病床の機能の分化をはかること、介護サービスとの一体化をすすめることが求められている。
抽象度が高すぎて、医療や介護が何をめざしているかがわかりにくいが、これには理由がある。医療も介護も対面サービスであるため、都道府県よりもさらに狭い地域で展開されている。それぞれの地域は、人口構造はもとより、世帯構成、住民の経済的負担能力、サービス提供基盤、基礎自治体の行政能力のいずれも多様である。将来像はそうした地域の事情に即して形成されなければ実効性がない。そのため、国が示すことができるのはコンセプトレベルにならざるを得ないのである。
病床機能の分化については、現下、全国で地域医療構想会議が開催され、医療施設の参加を得て、どのような医療機能の分化とネットワーク化をいかに進めるかが議論されている。検討の進捗は地域によって様々であるが、必ずしも多くの地域で順調とはいえないようだ。これまであまり公開されたことのない地域医療に関するデータを共有したことの意義は大きいが、これをいかにして地域の将来像や個々の施設に経営判断に結びつけていくかついては、多くの関係者にとっては未経験のことであり、ある程度の試行錯誤は当然のことだろう。
しかしながら、このようなプロセスを踏み、地域医療の当事者の納得を形成しなければ、実効性のある将来像の実現は期待しにくい。また、この過程で、地域全体の医療機能を視野においた適正な病床数への収斂も期待されよう。
各医療施設が、人口変動に対応した地域の未来を見据えながら、自らのあるべき将来像を考えることなくして、地域包括ケアシステムは現実化しないし、個々の医療施設の存続も危ういものとなりかねない。医療施設の自律性が問われていると筆者は考えている。
注
- (1)2001年に施行された改正医療法によって、病床の種別は、従来の「精神、伝染症、結核、その他」から、「精神、感染症、結核、療養、一般」に変更された。本稿では、それ以前のデータとの接合性を勘案し、一般病床と療養病床の合計を「一般・療養病床」(法改正前の「その他」に相当)と表記する。
- (2)医師や看護師の確保が困難なために入院患者の受け入れを制限している場合、療養環境を改善するために6人用病室を4人用病室として運用しているような場合がこれにあたる。一般に有床診療所は許可病床数と稼動病床の差が病院と比べて大きいといわれている。なお、2014年度からスタートした病床機能報告制度では実際に患者を受け入れている病床(稼動病床)数を把握しているが、診療所を中心に報告を得られなかった医療施設があることと、過去年次との比較ができないことから、本稿では利用していない。
- (3)最も外来受療率が高い三重県(120)は、最も低い沖縄県(75)の1.6倍である。
- (4)1990年の老人福祉法及び老人保健法の改正によって、都道府県及び市町村は老人保健福祉計画の策定が義務化された。同計画では高齢者保健福祉サービスの整備目標量の記載が求められたことから、これを期に、介護サービスの整備が加速した。なお、同計画は1993年度中に全国で策定された。
- (5)住まい施設には介護保険の支払対象となる介護療養病床が含まれるが、医療法上は病床として取り扱われる。本稿では、介護療養病床を病床として取り扱っている。
- (6)住まい施設の定員数は、次のサービス施設の定員数の合計である。[1]介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)(地域密着型含む)、[2]介護老人保健施設、[3]認知症高齢者グループホーム、[4]有料老人ホーム、[5]養護老人ホーム、[6]軽費老人ホーム、[7]サービス付き高齢者向け住宅。[4]~[7]については特定施設入所者生活介護及び地域密着型入所者生活介護の定員数とした。なお、介護サービス施設・事業所調査では介護福祉施設及び介護老人保健施設の定員については都道府県で許可した定員数を都道府県に調査し、その他の施設([3]~[7])の定員については当該施設に調査票を送付して把握している。後者の調査票回収率は9割前後であるため、無回答施設分の定員が脱漏している。
- (7)1985年の医療法の改正によって、都道府県に医療計画の策定が義務化された。従来は施設や人員の要件を満たせば病床を開設することができたが、医療計画で地域の医療需要等を勘案した基準病床数が設定され、既存の病床数がこれを上回る場合は都道府県が施設に対して病床の増床や新規開設の見合わせを勧告できる。勧告を受けた医療施設(病床)は保険医療機関の指定を受けられなくなる。都道府県医療計画は1988年度末までに各都道府県で策定された。
- (8)患者調査が都道府県別の集計を開始したのは1984年以降であり、それ以前は全国値のみとなっている。同様に患者調査の集計値の制約から、起点年次を1960年とし、患者数は精神病床入院者も含めた計数となっている。なお、国民の医療への経済的アクセシビリティを飛躍的に高めた国民皆保険の実現は1961年4月であり、1960年はその直前の状況を示すものといえる。
- (9)日本国憲法は私有財産制を前提としており、財産権の侵害にあたる行政処分のハードルは高い。
- (10)https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/
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