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社会動向レポート

狙い通りの経営を支援する人的資本ポートフォリオの構築

企業が真に取り組むべき人的資本経営とは(1/3)

経営コンサルティング部 主任コンサルタント 佐藤 修平


世間的な関心が高まっている「人的資本経営」であるが、多くの概念が含まれていることもあり、イメージを掴み切れていない企業関係者も多くいるのではないだろうか。本稿では、企業が真に取り組むべき領域を明確化するとともに、狙い通りの経営を支援するための人的資本ポートフォリオ構築について論じていく。

なお、企業が真に取り組むべき領域の明確化については2章、人的資本経営実現に向けた要件については3章、ポートフォリオ構築イメージについては4章にて論じている。

1.無形資産である人的資本に対する開示の潮流

国際連合が2005年に発表した責任投資原則(Principles for Responsible Investment)によるESG(Environment, Social, Governance)の考え方や、企業価値に占める無形資産の高まりを背景に、投資家の思考や行動が変化し、企業の情報開示を取り巻く環境に大きな影響を与えている。これを契機とした最近の代表例として、気候関連財務情報開示タスクフォース(Task Force on Climate-related Financial Disclosures, TCFD)による気候関連情報開示のための枠組みの提言が挙げられるだろう。

本稿で論じる人的資本においても、上述の潮流の影響を受けて、開示の圧力が強まっている。国外では、2020年8月に、米国証券取引委員会(SEC)が、上場企業に対する人的資本に関する情報開示ルールの改定を行った*1。ISO30414に代表される人的資本開示のガイドラインも整いつつあり、環境整備が進んでいる。時間軸としては多少遅れるものの、国内においても進展が見られる。2021年6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コードでは、取締役会の機能発揮や中核人材の多様性の確保などの開示が求められることとなった。現在、政府が推し進める「新しい資本主義」においても、企業の人的投資を促進させるため、人的資本について開示を充実化させるよう検討が行われている。具体的には、2022年8月に人的資本可視化指針が公表され、その後の審議を経て、2023年3月期の有価証券報告書から一部人的資本情報の開示が義務化された*2。ESG要因のうち、人的資本を含むS要因のレーティングが高い企業は株価パフォーマンスも高くなる*3といった分析結果も存在しており、開示に向けた環境整備は更に進んでいくものと考えられる。

2.多くの概念を含む「人的資本経営」と企業が真に取り組むべき領域

前章の流れを背景に、「人的資本経営」という考え方が注目を集めている。直接的な契機としては、2020年9月に提言された「人材版伊藤レポート」であろう。兼ねてより指摘されていた我が国の労働生産性の低さや日本型雇用慣行に対する閉塞感、ジョブ型雇用に対する関心の高まり、政府政策による賃上げ等、人事を取り巻くトピックスも相まって、非常に高い関心が寄せられている。

さて、この人的資本経営であるが、前章に述べた人的資本関連の開示を含め、多くの概念が内包されている。本稿では、まず人的資本経営そのものの概念を整理し、企業が真に取り組むべき領域を明らかにした上で、実現に向けた方向性を探っていきたい。整理のための区分として、「人材版伊藤レポート」「人材版伊藤レポート2.0」にて提言された内容を踏まえつつ、人的資本経営を、①企業が真に取り組むべき人的資本経営、②人的資本開示、③社会政策としての人的資本経営と図表1の通り整理する。

まず、①企業が真に取り組むべき人的資本経営は、各企業の経営戦略に応じてダイナミックに人材戦略を描き、人材マネジメントシステムをはじめとした諸施策への展開を通じて企業価値向上を図る、人的資本経営において肝となる部分である。この考え方は、学術的研究が古くから行われている*4こと、松下幸之助氏の「企業は人なり」に代表されるように、多くの経営者に重要な経営哲学として既に認識されていることから、凡そ既知であると言ってよいだろう。そして、企業経営者が本質的かつ優先して取り組むべきは、当然、この①である。

しかしながら、実際には、我が国では終身雇用、年功序列、諸外国に比べ相対的に厳しい解雇規制等も相まって、画一的な雇用慣行が形成され、人材戦略の型枠が定められた状態となっていることも一因となり、多くの企業において経営戦略と人材戦略の連動性が担保されていない状態も散見される。さらに踏み込んで述べると、そもそも人材戦略を定めておらず、成り行きに任せている企業も多いのではないだろうか。つまり、現実的には全ての企業が自発的に①に取り組むとは考えにくい。

現状は、この状況の改善を企図し、投資家の関心に連動した②人的資本開示を国が主導で整備し、半ば強制力を持たせることで、まずは、形式的にであっても③の形を整えようとしていると考えることができる。

以上のことから、広義の人的資本経営は、①企業が真に取り組むべき人的資本経営を改めて強力に後押しする取り組み、人的資本への関心の高まりを活用した②人的資本開示の枠組みの整備、そして、これらの取り組みの推進によって我が国全体の企業価値を底上げしようとする③社会政策としての人的資本経営を内包した考え方として、整理することができる。


図表1 人的資本経営の整理
図表1

  1. (資料)「人材版伊藤レポート」をもとにみずほリサーチ&テクノロジーズ作成

図表2 ①②③の構造イメージ(人的資本経営の全体像)
図表2

  1. (資料)みずほリサーチ&テクノロジーズ作成

3.企業が真に取り組むべき人的資本経営実現に向けた2つの要件

本章より、企業が真に取り組むべき人的資本経営(以下、人的資本経営)に焦点をあてる。ここで言う人的資本経営の定義は、前章で述べた、経営戦略と人材戦略の連動であるが、抽象度が高く、やや言葉足らずであろう。そこで、「人材版伊藤レポート」にて提唱される3P・5Fモデル*5を参照しつつ、より具体的な考え方を整理したい。

ポイントは、3Pの1つである「As is-To beギャップ」や5Fの1つである「動的な人材ポートフォリオ」のように、将来的な目標からバックキャストすることで経営戦略・人事戦略を練るということ及び、成り行きの人材戦略ではなく、意図的に定めた人材戦略の構築が必須になるということである。これらを踏まえると、本稿の焦点である人材戦略の肝となるのは、「意図的に定めた目指すべき姿(To be)に対し、どのように人的資本ポートフォリオを移動させていくか(現在の姿(As is)とのギャップを埋めていくか)」であると言える。

人的資本ポートフォリオは、企業毎に、事業軸やスキル軸、ジョブ軸など様々な観点で組成されることになるが、人的資本=個人に焦点を当てると、個々人の保有するスキルの移動がポイントとなる。これを企業の人材マネジメントシステムに組み込む場合、「求めるスキル及び現在のスキルが明らかになっており、意図的に求めるスキルの獲得を促す仕組みが整っていること」が人的資本経営実現に向けて必要となる要件の1つとなる。

要件① 求めるスキル及び現在のスキルが明らかになっており、意図的に求めるスキルの獲得を促す仕組みが整っていること

これとは別に、人的資本経営が「移動させること」を前提としている以上、移動しない・停滞してしまう層に対する対応方法についても検討する必要がある。これは、日本の労働慣行、特に解雇規制も論点となる。現状、我が国の判例法理や雇用慣行を踏まえると、外部労働市場と企業の関係において、企業が新陳代謝を図る手段にはかなりの偏りがある。具体的には、入口となる採用は非常に自由度が高く門戸が広く、特に、新卒採用はポートフォリオに当てはまらなくとも、当てはまる可能性が高い人材の青田買いが当然とされている。一方、出口となる代謝については、個人による選択を除き、企業が選択できる手段は限られている。これらを踏まえると、企業は社員が求めるポートフォリオに合致しないからといって即時に代謝を図れる環境下にないため、予め「不必要な滞留は許容しないような仕組みを構築しておくこと」も必要な要件となる。

要件② 不必要な滞留は許容しないような仕組みを構築しておくこと

人的資本経営実現に向けては、以上の2つの要件を踏まえた人材マネジメントシステムの構築が必要となる。

「ジョブ型」と「人的資本経営」の関係

次章に進む前に、昨今人材戦略を語るうえで必ず論点となる「ジョブ型」と「人的資本経営」の関係について触れおきたい。「ジョブ型」では、ヒトではなく椅子(ジョブ)に値札を付け、事業を推進していくにあたって適切な組織設計(ポスト・ジョブの設定)を行い、適所適材に社員を配置していく、という考え方が土台となる。つまり、必要なポスト、ジョブが明確化され、社員が配置されることとなるため、ムダが少なく、効率的な組織人事運営を実現できる可能性があることが、ジョブ型が注目されている背景の一つであろう。

一方、「人的資本経営」では、人的資本=ヒトの有効活用が最重要テーマであり、上記のジョブ型の考え方を踏まえると、「ジョブを担うに足るスキル」が焦点となる。これは、ジョブ型が焦点としている部分とは異なる。関係を整理すると下図となる。


図表3 ジョブ型と人的資本経営の関係
図表3

  1. (資料)みずほリサーチ&テクノロジーズ作成

以上を踏まえると、ジョブを遂行するためのスキルを有する人材輩出にフォーカスする人的資本経営は、ジョブ型への転換を支援する考え方と見ることができるだろう。なお、企業内での人材輩出に囚われず、外部労働市場からの獲得することも当然考えられるが、先に触れた日本の労働・雇用慣行を鑑みると、日本企業が外部市場を活用して新陳代謝を進めることは事実上困難であるため、企業内で輩出する仕組みは必要であると考える。

なお、「ジョブ型」との対比で述べられる、ヒトに値札を付け、適材を輩出していく「メンバーシップ型」においても、ジョブより抽象度を高めた、会社が求める人材像やスキルを目指すべき姿(To be)として設定し、ポートフォリオの移動を促していくことは十分効果が見込めるだろう。よって、人的資本経営の考え方はジョブ型・メンバーシップ型問わず適用できると考える。

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