
*本稿は、『週刊東洋経済』 2023年11月25日号(発行:東洋経済新報社)の「経済を見る眼」に掲載されたものを、同編集部の承諾のもと掲載しております。
厚生労働省は2022年度から「公的年金シミュレーター」の運用を始めた。これはスマホやPCを使って、働き方などの変化に応じた、将来受給可能な年金額を試算できるツールである。
人は、短期的に重要なことには対応するが、長期的なことはなおざりにしがちだ。今、話題になっている「年収の壁」はその一例だろう。手取り収入の減少に目を奪われ、将来への影響を考えずに、就業調整をする人が少なくない。
この点、シミュレーターは、働き方の選択が将来の年金額に与える影響をグラフで教えてくれる。ここでは、数値で見ていこう。
今、指摘されている「壁」の1つは、年収106万円である。従業員101人以上の企業で、週20時間以上働く主婦パートは、年収が106万円未満であれば、国民年金第3号被保険者となり、本人は保険料を拠出しない。しかし、106万円以上になると、自身で厚生年金保険に加入し、第2号被保険者として年金・医療・介護の社会保険料が発生する。保険料による手取り収入の減少を防ぐため、就業調整がなされているという。
しかし、第2号になれば厚生年金保険に加入するので、高齢期の年金額が上乗せされることを見落としている。ここでは、20歳から39歳まで第3号としてパートで働いた主婦が、40歳を前に、59歳までの働き方を考えたとしよう。選択肢として、①就業調整をして第3号のままでいる場合と、②就業調整をせずに就業時間を週25時間に延ばし、第2号として同年代のパート女性の平均時給(1357円)で働く場合を見ていこう。
シミュレーターを使って65歳からの年金額(年額)を試算すると、①は80万円なのに対して、②は98万円に増える。増額されたのは、厚生年金が上乗せされたためである。仮に女性の平均寿命(87歳)まで生きた場合の生涯の上乗せ総額は、396万円になる。
ちなみに、40歳から正社員に転じ、同年代の女性の平均賃金(416万円)で働けば、年金額は123万円となり、生涯の上乗せ総額は946万円に上る。
重要なのは、老齢年金は長生きリスクに対応した保険であり、本人の死亡時まで終身でほぼ同額が支給される点だ。夫の雇用や夫婦関係が将来長期にわたり安定するとは限らない中、自らの年金額を増やして貧困を防ぐ意義は大きい。
ほかのメリットとしては、第2号になれば、医療保険も被用者向けの「健康保険」になる。これにより、病気やケガによる休業中の生活を保障する傷病手当金や、出産手当金も受給できるようになる。
シミュレーターでは、受給開始年齢を65歳より繰り下げた際の年金額も提示される。例えば、受給開始年齢を70歳にすれば、65歳時の年金額の1.42倍になる。繰り下げ受給をするには長く働くことや、退職後の一定期間、私的年金などの収入で暮らすことが考えられる。
シミュレーターが示すのは、将来の年金額は固定されているのではなく、自分たちの働き方や暮らし方次第で変えられるという点だ。高齢期に後悔することのないように、スマホを手にしてシミュレーターを試してみてはどうだろうか。
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