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社会動向レポート

EBPMを契機とした行政・研究の連携を

行政への浸透に向けたEBPMの課題とその一方策(2/3)

社会政策コンサルティング部 チーフコンサルタント 森安 亮介

3.EBPM推進の3つの課題

(1)EBPMの実践に必要なデータの整備

[1] データの整備

EBPM推進に際し、こうしたデータ整備も進められる背景には、EBPMに必要なデータの特性も関係している。前述のように、EBPMで用いるエビデンスとは「科学的なエビデンス」のことを指し、例えば一時点で得られた参加者満足度のアンケート結果などはこれに該当しない。EBPMの取り組みに際し、内閣府は図表2のようなエビデンスレベルの目安を提示しており、より高いレベルのエビデンスの生成・活用が推奨されている。このうち上位レベルに位置づけられている分析手法は政策実施前後を捉えたデータがあってこそ実施できる手法である。政策の影響や効果を検証するためには、例えば同じ個人や企業の政策実施前後を比較して検証することが必要なためである。

同じ個人や企業など、同一サンプルを追跡的に捉えたデータはパネルデータと呼ばれ、人文社会領域においてはアメリカで1960年代から、ヨーロッパでも1980年代頃から整備されてきた。これに対し日本では1990年~2000年代に入ってから一部大学で着手され、近年になって各省庁の研究機関でデータの構築や分析事例が出始めている状況にある(1)

もちろんわが国には各省庁に公的統計データ、各種調査データ、行政記録など豊富で精緻なデータ・記録が存在する。しかし、これらは必ずしも政策効果の検証や研究を目的に収集されたものではないことからパネルデータ化されているわけではない。こうしたデータ・記録を追跡的なパネルデータの形にするためには、膨大なデータの再統合はもちろん、領域によっては統計法をはじめとした法制度の変更・検討や、調査目的の整理をはじめとした関係各所の諸調整なども必要となる(2)。こうした対応は、簡単に解決できる問題ではないものの、EBPM推進の土台づくりに欠かせない重要なテーマとなっている。


図表2 エビデンスの質のレベルに係る目安
図表2

  1. (資料)内閣府「平成30年度内閣府本府EBPM 取組方針」(2018)

[2] 平等性や倫理面にも配慮したデータの創出

また、EBPMで求められるデータの整備は、予算や人員さえ揃えば実現できるというものではない。平等性や倫理的側面などの観点からデータ構築が困難な課題も存在する。とくに顕著な例が前掲の図表2で示したエビデンスレベル最上位に位置づけられているランダム化比較実験である。この手法については前述の『統計学は最強の学問である』『学力の経済学』などでも分かりやすく紹介されているため、なじみのある読者も多いかもしれないが、以下簡単に説明した上で、その課題について述べたい。

ランダム化比較実験とは、施策を実施した層(Treatment group:介入群)のみならず、比較可能な実施していない層(Control group:対照群)を準備し、両者を前後比較することで施策効果を検証する手法である。ある病気のマウス100匹を用いた治療薬の治験を例に説明したい。もしマウス100匹すべてに投薬し、一定期間後80匹が完治していたとしても、果たしてその治癒が治療薬によるものなのかよく分からない。投薬以外の何か別の要因によって完治したのかもしれないし、何もせずとも治癒していたのかもしれない。そこで、100匹のマウスからランダムに選定し2つのグループを作る。1つのグループには投薬を行い、残りのグループには何も行わない。外的条件を同一にした上で一定期間、経過を見て両グループの治癒率の差が統計的に有意かどうかをはかる手法がランダム化比較実験である。

さて、こうしたマウス治験の例では、[1]マウスの個体差がない、[2]ランダムに割りつけることが容易、[3]外的環境のコントロールが可能(実験室内等)という条件が成立しているからこそ検証が可能であった。しかし例えば人間を対象とした教育効果ではそうはいかない。外的環境のコントロールという技術的側面もさることながら、生徒ごとに異なる教育を行うという平等性の観点やランダムに割りつけることへの倫理的な観点などが課題となるためである。

欧米では50年以上も前からこうした実験が数多く行われている。有名な例が1960年代にアメリカで行われたペリー幼稚園プロジェクトである。これは就学前教育の効果測定を目的に行われた社会実験であった。貧困街の児童123人を対象に、くじ引きで選んだ58人には富裕層の通うペリー幼稚園の質の高い就学前教育を2年間実施した(介入群)。選ばれなかった残りの65人は何もしない層(対照群)として振り分けられた。その後追跡的に両グループの教育効果を検証した結果、子どもたちのIQは一時的には高まるものの、その効果は8歳には消失することが明らかになった。

この研究はその後40年以上追跡した結果、非認知能力の発見にもつながったエポックメイキングな研究として経済学では世界中で知られている(3)。しかし、貧困街の児童への教育をくじ引きで選ぶ行為が果たして現代のわが国の社会通念上認められ得るか、疑問である。さらに、こうした検証によって明らかになる定量的な検証結果が、その学校や教員、生徒、地域に果たして受け入れられるかという課題もある。とくにこの課題を難しくさせるのが教育の「効果」の認識が多様なことである。治療薬の治験の例であれば、病気の治癒や寿命延命など衆目の一致する「効果」が一定は存在する。しかし教育においては効果の定義は多様である。テストの点数の上昇なのか、人間力のような要素の向上なのか、それとも習慣化なのか…など例を挙げればきりがない。「効果」の定義に多様な解釈があり、かつ、各学校によって教育方針も異なる中で、特定の定量的な側面を「効果」として検証する以上、学校現場に受け入れられるためには相当なコミュニケーションが必要になる。実際、後述する当社自主研究事業のヒアリングでは、ある学校の副校長から「検証結果が担当教員の評価に直結するような面があると、学校をマネジメントする立場としては、実証実験の受け入れは難しい」という声もあった。こうした問題は、関係者への事前説明や各現場との丁寧なコミュニケーションによって一定程度解消しうるかもしれないが、そのコミュニケーションを行う主体は誰がどのように行うのかといった点も大きな論点である。


図表3 ランダム化比較実験のイメージ
図表3

  1. (資料)各種資料を参考に筆者作成

(2)行政への組み込み

データ整備に加えて対応が必要なのが、行政の政策立案プロセスの中にいかにEBPMを組み込むかという点である。EBPMをうまく政策立案プロセスにフィットさせるための課題を検討するために、当社では2017年度に教育領域を対象としたヒアリング・検討会等の自主研究事業を実施した(図表4)。


図表4 自主研究事業の実施概要
図表4

  1. (資料)各種資料を参考に筆者作成

結果、次に示す3つの課題が明らかになった。

[1] 統計人材の育成および統計人材が活躍できる組織の整備

まず第1の課題は統計人材の育成や統計人材が活躍できる組織の整備である。EBPMを実践するためには、統計学や計量経済学などに代表される計量的手法の専門技能を会得する必要がある。例えば、イギリス政府では政策分析を担当する専門職が多数存在し、修士号や博士号を有する人材が政府エコノミストとして政策分析や評価を担っているという。わが国においても育成体系を確立し、統計に関する知識向上を求める声もある。しかし、こうした専門性は一朝一夕に獲得できるものではなく、ただでさえ多忙をきわめる行政職員が通常業務の傍ら専門性を会得することには限界があろう。他方、専門人材の登用(中途採用や任期付き常勤職の登用)も案としては考えられるが、現実的な運用を考えると、引く手あまたな専門人材をいかに獲得し定着させるか。専門人材を惹きつけるような処遇や就業環境、キャリアパス等を整備する必要がある。こうした人材の育成や登用を中長期的な課題と位置づけ、人事制度を含めた人材マネジメントの在り方の検討と実行をすること(人材開発・組織開発)がEBPM推進のために重要なテーマである(5)

[2] 行政プロセスに即した方法論の整備

前述の通り、EBPMで用いる統計分析の各種専門手法については、多くの書物やレポートで整理されている。しかし、いざ行政職員が政策を立案する過程において「どの場面で」・「どの手法を」・「どのように」用いれば良いか?を示す方法論の提示は十分ではない。政策立案プロセスを起点とし、いかにEBPM的な要素を盛り込むかという視点にたったマニュアルやヒント集などの提示(メソッド開発)が必要であろう。例えばモデル事業を実施する際には、その対照群をセットする発想があるだけでも事後的な政策評価の質が高まる。また、政策課題の解決に向けた既存の先行研究・先行事例サーチだけでも、政策オプションの複数案の検討・比較に通じる。このように、仮にデータがなくてもEBPMのエッセンスを少しでも行政プロセスに取り込んでいくことがEBPM実装の第一歩になるのではないだろうか。

[3] コスト・ベネフィットに配慮したサポート体制の整備

EBPMの実践には、例えばデータ整備や指標の生成、対照群のセットなど、時間的・金銭的コストが追加的に発生する。コストが増えるにも関わらず、それに見合うベネフィットが存在しなければ積極的な活用は見込めない。EBPM推進の担当組織にとってはEBPM浸透が目的の一つかもしれないが、各原課の政策担当者にとってはEBPMは良い政策を立案するための手段でしかない。こうした点を踏まえて、例えば過去事例の検証を通し、EBPM導入の職員にとってのメリットを見える化するとともに、追加的なコストを抑制するような仕組み作りが必要であろう。また、仮にEBPM導入により政策の効果が高まったとしても、そのための社会的コストが高ければ持続性は見込めない(6)。EBPMがフィットする政策領域とそうでない領域の見極めも含め、導入に係るコスト・ベネフィットを鑑みた設計と運用が求められる。

(3)行政と研究機関の協業

課題の3点目は行政と研究のパートナーシップである。EBPM実践のための全ての対応を行政だけが担うことは非効率的であり非現実的でもある。例えば政策評価や政策的問題の発見など、エビデンスを「つくる」過程においては、専門性を有する研究機関の対応が効果的であろう。また、研究機関との適切な連携は、前項で示した行政への組み込みに関する諸課題の解消も期待される。

たしかに現状でも行政と研究機関の協業は多数みられる。しかし、EBPMで求められる協業は、政策の設計段階から研究者も入り込み(例えば前述した対照群の準備や、効果の定義に関する設定など)リサーチデザインの観点で連携することが望ましい。その上で、政策実行後の政策評価等をフラットに検証し、課題や改善ポイントを整理することが求められる。こうした連携には、研究者側にとっては多くの時間的なコミットを必要とする上、論文などの研究成果にはつながらない可能性もある。他方、行政側からみると、学術的検証に一定の時間を要することから、行政のタイムスパンにはそぐわない可能性もある。行政、研究機関双方にとって、異なる時間軸やインセンティブをどのように結び付けるか。両者の理想的な協業体制を見出すことが大切であろう。そのための方策の一方策については次節で詳述したい。

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