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政策への活用が進む行動経済学

2023年2月22日 社会政策コンサルティング部 松尾 佑太

行動経済学・ナッジとは

「つい甘いものを食べてしまい、ダイエットが長続きしない」「もとを取るためにバイキングでたくさん食べてしまって後悔した」。このような事例は行動経済学における「バイアス(思い込み)」で説明することができる。原因の1点目は、将来的な利益よりも目前の短期的な利益を優先してしまう「現在バイアス」、2点目は、たくさん食べようが食べまいが支払い済みで返ってこない料金(サンクコスト)に縛られてしまう「サンクコストバイアス」である。

伝統的な経済学では合理的な人間像を前提としてきたが、行動経済学は、上記のような人間の合理的でない性質を取り入れた学問分野である。

2017年に、シカゴ大学の行動経済学者リチャード・セイラー教授がノーベル経済学賞を受賞して以降、さまざまなところで「ナッジ」の活用が進んでいる。ナッジとは、「肘でそっとつつく」という意味であり、行動科学の知見を用いながら、経済的インセンティブをほとんど変えずに人々の行動を変える仕組みを指す。たとえば、行列に並ぶ際の足跡マークや、ポイ捨て抑制のために設置されている小型の鳥居などは身近なナッジの例である。

ナッジは行動経済学と深く関係しており、行動経済学で研究されているようなバイアスに着目して人々の行動変容を促す効果を持っている。

ナッジの政策実用例

ここで、実際に政策現場で利用されているナッジをいくつか紹介したい。

仮想的に災害が発生した状況で、避難の意思決定に対してナッジを用いたメッセージが与える影響について検証を行った広島県の事例*では、「これまで豪雨時に避難勧告で避難した人は、まわりの人が避難していたから避難したという人がほとんどでした。あなたが避難することは人の命を救うことになります。」というメッセージが最も県民の避難意思が大きかったという。これは、人間が持つ2つの性質、すなわち他人の利得から効用を得る(幸福感を得る)「利他性」と、周囲の人が取る行動を「社会規範」と捉えやすいという行動経済学的な性質を利用したナッジメッセージである。

広島県では、この調査結果に基づいて「あなたが避難することが、みんなの命を救うことにつながります」というメッセージをポスターなどで実際に活用している。

東京都八王子市では、前年度の大腸がん検診受診者に対して、リピート受診のために年度初めに便検査キットを自動送付していた。しかし、実際に受診に結びつく割合は7割程度にとどまっていたため、ナッジを用いた受診勧奨通知を作成した。あるグループには「今年度検診に行くと来年度も大腸がん検査キットを送る」という内容を、別のグループには「今年度検診を受診しなかった場合、来年度大腸がん検査キットを送ることができない」という内容である。後者は、得る喜びよりも失う痛みのほうを大きく捉え、これを避けようとする「損失回避」という行動経済学的な特性に作用するメッセージである。後者のメッセージにより受診率が7.2ポイント向上し、このナッジは、行動経済学会・環境省共催の「ベストナッジ賞」も受賞している。

このように、ナッジは応用範囲の広さや、既存の規制的な手法などと比較したコストの低さなどから有用かつ魅力的な政策ツールとなっている。また、ナッジは実証研究の場でテストされることが多く、EBPM(証拠に基づく政策立案)との相性もよい。

ナッジの活用における注意点

これまでナッジの魅力的な側面について述べてきたが、いくつか注意が必要な事項がある。

第1に、「悪いナッジ」である。選択者にとっての便益を考慮しなかったり、作成者の意図した選択肢へ誘導したりするナッジは「スラッジ」と呼ばれている。

第2に、「外的妥当性」である。ナッジの実証は、まずある集団に対して行われることが多い。ここで得られたナッジの効果については、その集団以外の集団にも同様に効果があるかは保証できない。たとえばアメリカ人に対して実証された効果が日本人に対して同様の効果があるはわからない。したがって、この外的妥当性については十分に検討してからナッジを活用する必要がある。

ナッジの政策活用にかかる展望

ナッジの政策活用の機運は高まっていると筆者は考えている。特に自治体の間でのナッジの活用意欲はかなり高まっており、2021年8月時点で全国に少なくとも8つの自治体ナッジ・ユニット(ナッジの政策活用を推進する組織)が設立されている。

2022年9月には、特定非営利活動法人Policy Garage、大阪大学 社会経済研究所、行動経済学会の三者が連携して「自治体ナッジシェア」というウェブサイトを立ち上げた。ナッジ作成のための国際的なツールキットや、実際に自治体などで用いられたナッジについて紹介されている。また、12月には、社会課題の解決や府民向けサービスの向上を図るため、「ナッジの社会実装等に向けた大阪大学社会経済研究所と大阪府の連携に関する協定」が締結されている。

このように、ナッジへの関心が高くなっているだけでなく実用化に向けた連携も推進されており、今後ますます行動経済学的知見を利用した政策立案が加速してくことが期待される。

  • *大竹文雄・坂田桐子・松尾佑太(2020)「豪雨災害時の早期避難促進ナッジ」,行動経済学,71~93

参考文献

  • 大竹文雄(2019)『行動経済学の使い方』,岩波新書
  • 大竹文雄・内山融・小林庸平(2022)『EBPM エビデンスに基づく政策形成の導入と実践』,日本経済新聞出版
  • 厚生労働省(2019)『受診率向上施策ハンドブック』
    (PDF/3,300KB)
  • 髙橋勇太・植竹香織・津田広和・大山紘平・佐々木周作(2020)「日本の地方自治体における政策ナッジの実装:横浜市行動デザインチーム(YBiT)の事例に基づく体制構築と普及戦略に関する提案」,RIETIポリシーディスカッションペーパー20-P-026
  • 日本版ナッジ・ユニットBEST(2019)『年次報告書(平成29・30年度)』
    (PDF/1,675KB)
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