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社会動向レポート

化学物質による労働者のリスク低減を目指して(3/3)

環境エネルギー第2部 チーフコンサルタント 貴志 孝洋

5.リスクアセスメントのポイント

前述のとおり、改正安衛法に基づき、SDS交付義務対象物質を製造または取り扱う事業者は、リスクアセスメントを実施することが求められており、化学物質による労働者のリスク低減において重要な手段の一つである。本稿では、リスクアセスメントの基本的な考え方について述べるものとし、改正安衛法に基づいたリスクアセスメントの具体的な実施方法は、みずほ情報総研コラム「改正安全衛生法に基づくリスクアセスメントと個人ばく露測定の活用(その1及びその2)」(5)を参照されたい。

(1)化学物質のベネフィットとリスク

(1)化学物質のベネフィットとリスク 化学物質は、様々な性質を有しており、その性質を利用して様々な製品が製造されている(図表9)。例えばポリプロピレンやポリエチレンテレフタレートなどは、軽くて丈夫といった性質を有しており、プラスチックやペットボトルなどの原料として用いられている。また、アセトンも油汚れを落とす性質があるため、除光液など一般家庭などでも幅広く使用される製品として製造されている。

このように化学物質は、我々の生活を便利な豊かなものにしており、産業や経済に大きなベネフィットをもたらしている。しかしその一方で、程度の差はあるものの、天然のもの、人工のものにかかわらず、化学物質はすべて何らかの危険有害性を持っている。16世紀の医師・錬金術師で、「毒性学の父」として知られているParacelsusは、現代毒性学に通じる基本的概念を示しており(図表10)、化学物質の有害性(毒性など)にのみ着目するのではなく、摂取量(ばく露量)も考慮することの重要性が指摘されている。これこそが、有害性のリスクを考えるうえで重要な概念である。危険性についても同様で、化学物質の危害の大きさ(爆発や引火など)とその発生可能性を考慮することが、危険性のリスクを考えるうえで重要である。


図表9 化学物質の性質と活用例
図表9

  1. (資料)みずほ情報総研作成

図表10 現代毒性学の基本的概念(Paracelsus)

(原文)
Alle Ding sind Gift und nichts ohn Gift; alein die Dosis macht das ein Ding kein Gift ist (みずほ情報総研意訳)
すべての物質(化学物質)は有毒である。なぜならば、毒性のないものはないからである。物質が悪影響を与えるかどうかは、摂取量(体に入った量)によって決まる。

(2)リスクアセスメントの基本

有害性におけるリスクアセスメントのイメージを図表11に示す。左図のように、有害性の程度と比較して、摂取量が十分小さい場合には悪影響はほとんどなく、リスクが低いと判断できる。一方、右図のように、同じ有害性の程度(同じ化学物質)であっても、摂取量が大きい場合、悪影響が生じる可能性が高く、リスクが高いと判断できる。

このように、化学物質の有害性の程度と、摂取量を考慮してリスクの程度を判断する(リスクを見積もる)ことがリスクアセスメントの基本的な考え方である。これは、危険性についても同様である。

なお、リスクは高低(または大小)で表されるため、「ゼロリスク」というものは存在しないことに注意するべきであり、どんなに対策を講じてリスクを小さくしてもゼロにはならないことを前提とすることが重要である。


図表11 リスクアセスメント(リスク評価)のイメージ
図表11

  1. (資料)みずほ情報総研作成

(3)リスク低減対策のポイント

前述のとおり、リスクを下げるため、労働者安全教育を通じた危険有害性に対する理解の促進や危険有害性情報を十分に共有することが重要であるが、その他、危険有害性の低い化学物質に変更することや、換気や個人用保護具を着用することなどでリスクを下げることが可能となる。

[1] 危険有害性の低い化学物質への変更

リスクを下げるため、取り扱っている化学物質を、より安全なものに変更することでリスクを下げることが可能となる。しかしながら、毒性が低い化学物質であっても沸点が低いまたは蒸気圧が高い場合、揮発しやすくなることから、作業場内での当該物質の濃度が上昇することがある。そのため、呼吸などによる摂取量が増え、結果的にリスクが高くなる可能性がある。化学物質を変更する場合、危険有害性だけではなく化学物質の沸点や蒸気圧なども考慮することが重要である。

[2] 運転条件の変更

作業時間の短縮や温度条件、形状(粒形を大きくする)の変更(発散の抑制)など、運転条件を変更することでも化学物質のばく露を減らすことが可能となる。加えて、化学物質の保管場所や作業場の温度管理についても併せて見直すことで、より効果的に化学物質のばく露を減らすことが可能となり、リスクの低減につながると考えられる。

[3] ばく露・拡散の防止対策の導入

有害性の場合、図表12に示すような工学的対策を導入することで、化学物質のばく露と拡散を防止することが可能となり、リスクの低減につながると考えられる。


図表12 工学的対策例(有害性)

左右スクロールで表全体を閲覧できます

  • 装置を密閉化すること
  • 適切な局所排気装置を導入すること
  • 換気扇を常時稼働すること
  • 作業場の外へ排気すること

[4] 着火源の除去

静電気が原因で引火することで災害に至った事例が多く報告されている。静電気は帯電していても目で確認することが難しいことなどから、危険性の場合、図表13に示すような工学的対策を導入することで、静電気などの着火源を取り除くことが可能となり、リスク低減につながると考えられる。

なお、静電気の具体的な防止方法などについては、みずほ情報総研コラム「ほんとうは怖い静電気のはなし」(6)を参照されたい。


図表13 工学的対策例(危険性)

左右スクロールで表全体を閲覧できます

  • アースをとること
  • 帯電防止服・帯電防止靴などを着用すること
  • 適切に湿度を保つこと(50%以上が望ましく、30%以下は危険)
  • 作業場近くでの火気不使用を徹底すること
  • 防爆型の電気製品の使用すること
  • 床に絶縁シートを敷かないこと

[5] 個人用保護具の着用

有害性のリスク低減が主目的となるが、防毒・防じんマスクなどの呼吸用保護具や化学用手袋、保護メガネなどの個人用保護具を着用することで、化学物質のばく露を防止することが可能となり、リスクの低減につながると考えられる。しかしながら、適切な個人用保護具を選択していない、個人用保護具を適切に着用していないため、薬傷や中毒などに至る事例も多く報告されている。取り扱う化学物質に応じて保護具を適切に選択し、適切に着用することが重要である。防毒・防じんマスクを着用する場合は、図表14に示すポイントについて十分に注意することが望ましい。

なお、一般的なサージカルマスクは化学物質のばく露の防止には効果がないことには注意が必要である。


図表14 マスク着用時の注意点

左右スクロールで表全体を閲覧できます

  • 説明書に記載されている装着方法を順守し、正しく装着すること
  • 顔面との密着性を確認すること(フィットネステスト)
  • 吸収缶やフィルターは定期的に交換すること
  • 防毒マスクの吸収缶は対象ガス・蒸気に対応したものを選択すること

6.おわりに

改正安衛法に基づき化学物質のリスクアセスメントが義務化されるなど、我が国における化学物質管理の在り方が大きく変動しようとしている。

かかる中、2016年にオルトトルイジンを含む芳香族アミンを使用していた福井県の化学工場において、労働者5名、退職者1名が膀胱がんにり患する重大な事案が発生した。この事案は、手や腕に接触したオルトトルイジンが皮膚から吸収されたことにより、膀胱がんを発症したとされ、吸入だけではなく経皮吸収による健康リスクの重要性が浮き彫りになったものである。

このような状況を踏まえ、厚生労働省は、すでに公開していた簡易リスクアセスメント支援ツール「CREATE-SIMPLE ver.1.0.」に、経皮吸収による健康リスクの見積もりを可能とする機能などを追加した「CREATE-SIMPLE(ve.2.0.)」を公開した(CREATE-SIMPLEは、ver.1.0.、2.0.ともにみずほ情報総研が厚生労働省委託事業において開発)。経皮吸収を含め、化学物質のリスクにおいて、特に慢性毒性はその場で影響が分からないことが多く、退職後などに判明することがある。当該ツールは、「推計法」に該当するものであり、同様に厚生労働省が「職場のあんぜんサイト」で公開している「リスクアセスメント実施支援システム(コントロール・バンディング)」よりも、細かい作業条件や作業頻度なども反映することが可能であることに加え、吸引だけではなく、経皮吸収による健康リスク、危険性リスクも同時にリスクの程度を見積もることが可能であり、利便性や精度などを大幅に向上させたものになっている。これは、他に世界的に見ても例を見ないツールである。

化学物質による労働災害を防ぐため、労働者への安全教育や適切な情報伝達などに加え、CREATE-SIMPLEなども活用し、リスク低減につなげることが望まれる。

  1. (1)1976年7月イタリアのセベソにある農薬工場で、2,4,5-トリクロロフェノールを製造する反応槽で暴走反応が生じ、2,3,7,8- テトラクロロジベンゾ-1,4-ジオキシンを含むダイオキシン類などが大量に漏洩した事故。1,800ヘクタールの土壌が汚染され、22万人が被災する大事故となり、「越境移動」という新たな環境問題に注目されるきっかけとなった。この事故を踏まえ、セベソ指令やバーゼル条約へとつながった。
  2. (2)1984年12月の深夜にインドのボパールにある化学工場で、イソシアン酸メチル(MIC)の貯蔵タンクに水が混入し、MICと水の発熱反応をきっかけに異常反応が生じ、MICが大量に漏洩した事故。漏洩したMICは、風に乗って市街地に拡がり、3,000人以上(最大14,410人とも言われる)が死亡し、35万人が被災する大事故となり、「ボパールの悲劇」と呼ばれるようになった。
  3. (3)化学品(化学物質単体または混合物として商業的に製品化されたもの)の安全な取り扱いを確保するために、化学品の危険有害性等に関する情報を記載した文書を指し、安全データシート(Safety DataSheet, SDS)という。事業者間で化学品を取引する時までに提供し、化学品の危険有害性や適切な取り扱い方法に関する情報等を、供給者側から受け取り側の事業者に伝達することを目的としている。
  4. (4)機械設備の経年劣化や労働者の配置転換・退職などによる経験者の減少などを指し、直接的ではないものの間接的にリスクを高めるおそれのある状況が生じた場合を指す。
  5. (5)改正労働安全衛生法に基づくリスクアセスメントと個人ばく露測定の活用(その1)
    改正労働安全衛生法に基づくリスクアセスメントと個人ばく露測定の活用(その2)
  6. (6)ほんとうは怖い静電気のはなし

参考文献

  1. 化学同人(2008)「環境(ベーシック薬学教科書シリーズ)」
  2. 日本化学工業協会(2016)「化学品とのつきあい方―その利用と管理について―」
  3. 厚生労働省(2013)「「印刷事業場で発生した胆管がんの業務上外に関する検討会」報告書」
    (PDF/1,850KB)
  4. 労働安全衛生研究所(2015)「職業性胆管がんの発生と産業化学物質の管理について」
  5. 厚生労働省(2015)「化学物質等による危険性又は有害性等の調査等に関する指針について」
    (PDF/887KB)
  6. 厚生労働省「労働安全衛生法の改正について(ラベル・リスクアセスメント関係)」
  7. 中央労働災害防止協会(2016)「テキスト 化学物質リスクアセスメント」
  8. 厚生労働省(2016)「「芳香族アミン取扱事業場で発生した膀胱がんの業務上外に関する検討会」報告書」
    (PDF/1,300KB)
  9. 中央労働災害防止協会(2018)「胆管がん問題!それから会社は…」
  10. 厚生労働省「職場のあんぜんサイト」
  • 本レポートは当部の取引先配布資料として作成しております。本稿におけるありうる誤りはすべて筆者個人に属します。
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