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越境学習体験記

企業の副業解禁が個人のキャリア形成にもたらすもの(後編)

2021年4月5日 社会政策コンサルティング部 福田 志織

本コラムの前編では、副業をめぐる社会動向を整理し、当社が企業を対象に行った調査結果をご紹介した。続く後編では、筆者の個人的な副業体験を素材とし、企業の副業解禁が個人のキャリア形成にもたらすものについて検討する。

スキルや経験の幅を広げる

筆者はこれまで、官公庁を顧客とし、主に雇用・労働分野における受託調査やコンサルティング、実証事業の事務局業務等に従事してきた。自分で事業を行うというよりはコンサルティングを通じて官公庁の支援に徹することが多く、ましてや個人向け(to C)ビジネスの経験は一切なかった。もちろん、特定の分野の仕事に長年従事することよって深まる専門性、広がるネットワークがあることは事実であり、そこに価値も感じている。しかし、人生100年時代、これからまだまだ続く長い職業人生のことを考えると、もう1本2本、別の軸でスキルや経験を伸ばしたい、キャリアの幅を広げてみたいと思うようにもなった。

今回、副業として請け負うことにした仕事は、親子向けのコミュニティスペースというまさに「to C」のビジネスで、0から1を生み出す新規事業の立ち上げ支援がミッションだった。これまで、ある程度確立されたビジネスモデルの中で、それをどう拡大・拡充させていくかに集中してきた筆者にとっては、何もかもが新鮮で、学びの連続であった。

この事業のターゲット顧客は誰で、彼らは何に価値を感じるのか。事業理念をサービスやオペレーションにどう落とし込むのか。サービス開始までの工程表をどう引くのか。価格をいくらに設定すべきなのか。どのようにプロモーションを打っていくべきなのか。これら正解のない問いについて、(副業の発注元である)企業とディスカッションを重ねてアイディアを交わし、資料の作成・修正を繰り返す毎日は、学びや気づきに満ちたとても刺激的な時間だった。

自分のスキルや「常識」を相対化する

こうして新しい経験を積む中で、やや逆説的ではあるが、思っていたほど自分が「何も知らない/できない存在」ではないことも発見した。前述の通り、筆者にはto Cビジネスの経験はなかったが、これまで培ってきたスキルや行動様式、例えば資料作成やプロジェクトマネジメントのスキル、対人交渉のスタンスなどは、他の職場や事業においても応用できる「ポータブルスキル」であるということに、副業を通じて気がついた。雇用・労働分野の専門知識や情報も、意外と役に立つものだった。これは文章にすれば当たり前のように思えるかもしれないし、過去にも「あなたのスキルは他でも通用するよ」と励ましてもらったことはある。しかし重要なのは、誰かに言ってもらうのではなく、自分で実感を持ってそう確信できることなのだ。

一方で、もちろんまだまだ自分には不足しているものが膨大にあることも痛感し、それらを補うべく自己学習に身が入るようになった。また、本業を行う中で「常識」と思っていたことが、同質性の高い組織だからこそ通用していたものだった、という気づきもあった。普段と異なる環境に身を置いて、その違いに右往左往することは、改めてこれまで暗黙のうちに前提としてしまっていた「常識」を問い直す契機になったといえる。

職場を「越境」することで得られるもの

筆者にとってはじめての副業は、新たなスキルや経験を得ることはもちろん、これまでの自分のキャリアとそこで培ってきたものを外の世界にぶつけてみて、自分には何ができて何ができないのか、一歩引いた視点から改めて整理することのできる機会となった。また、これまでとは少し違った視点で本業を捉え直し、どのように業務を改善していくかについて考えるきっかけにもなった。

筆者が今回経験した副業のように、普段所属する組織の枠を超えて他の組織で活動することによって学びを得ることは「越境(的)学習」という言葉で説明されている。法政大学の石山恒貴教授*1によると、「越境(的)学習」とは、「自らが準拠する状況(ホーム)」と「その他の状況(アウェイ)」の境を行き来し、「ホーム」とは異なる多様な知識や情報を統合する能力を獲得する学びのことを指す。「アウェイ」は必ずしも副業である必要はなく、ボランティアや地域コミュニティ、趣味の活動、異業種交流会など、様々な場がありうるが、特に、所属企業と明確に異なる領域の人々と関わる越境活動をしている人ほど、本業において自らの職務を改善していく活動(ジョブ・クラフティング)*2に従事する傾向にあるのだという。

人生100年時代、新卒入社した企業を定年まで勤め上げ、あとはゆっくりと余生を過ごすのみ、という従来型ライフコースを歩む人は少なくなっていく。今の職場に満足していても、いや満足しているからこそ、次のキャリアを見据え、自らの経験やスキルを整理しながら、そして社内外の多様な人々と交流しながら学び続ける姿勢が重要となるだろう。

この学びの場は必ずしも副業である必要はないし、副業を行う場合には、自身の健康管理や、プライベートと複数の仕事のバランスなど多くの点に留意しなければならない。しかし筆者にとって初めての副業は、これまでの仕事で経験することのなかった職務、出会うことのなかった人々との交流・協働を通じて自身の内なる「常識」を問い直し、さらなる学びに向かう動機を与えてくれるものだった。副業解禁などの施策を通して、企業が自社の社員を外の世界に「解放」し、こうした経験や学びの効用を企業と個人とで分かち合うことができるようになるのであれば、人生100年時代も悪くないな、と思う。

  1. *1石山恒貴(2018)『越境的学習のメカニズム―実践共同体を往還しキャリア構築するナレッジ・ブローカーの実像』
  2. *2石山(前掲書)は、ジョブ・クラフティングの理論的提唱者であるWrzesniewski & Dutton (2001)による「個人が職務または仕事に関連する境界に加える物理的および認知的変化」という定義を紹介した上で、ジョブ・クラフティングについて「積極的に自らの職務の改善を図る取り組み」と表現している。

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2021年3月11日
企業の副業解禁が個人のキャリア形成にもたらすもの
―越境学習体験記(前編)―
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