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重要性・有効性の「腹落ち」理解と具体的な実務イメージを得るために

TCFDシナリオ分析の実務の第一歩(3/3)

  • *本稿は、『環境管理』 2019年3月号 Vol.55 No.4(発行:一般社団法人産業環境管理協会)に掲載されたものを、同編集部の承諾のもと掲載しております。

みずほ情報総研 環境エネルギー第2部 柴田 昌彦

3. シナリオ分析の具体的な実務イメージを描く

では、シナリオ分析は具体的にはどのように進めるのか。

1章でTCFDの解説を抽象的・一般的と指摘したが、図1に示したシナリオ分析のステップ例はよい意味で汎用性が高く、実務イメージを描く上で業種を超えて役立つものである。本稿では、図1の6ステップに沿って、シナリオ分析の実務イメージを抱く際に手がかりとなる考え方をご紹介したい。

3.1 (ステップ1)ガバナンスがなされていることの確認

TCFDによるこのステップの説明は「シナリオ分析を戦略的計画および/または企業リスクマネジメント・プロセスに統合する。関連する取締役会委員会/小委員会に監督職務権限を割り当てる。内部および外部のステークホルダーがどのように関与するかを特定する」である。

シナリオ分析が自社にとってどの程度重要か、そしてどの程度有効かもわからない段階でこの記述を読むと、「取締役会」という語にはめまいすら催しかねない。しかし実務的な意味はそれほど重くないと筆者は考える。要するに、実施するシナリオ分析の目的やスコープに適した監督者の下で、必要な関係者を巻き込めばよい。

筆者が支援した企業の多くは、まずはサステナビリティ部門の内部でコンサルタントと相談しながら、自社にとってのシナリオ分析の重要性・有効性を見極めるために、簡易な分析を実施するというアプローチを採用していた。この目的の下で行われるシナリオ分析であれば、サステナビリティ部門の監督職務権限者をトップとして検討を行えばよい。「内部および外部のステークホルダー」も、この段階のシナリオ分析ではサステナビリティ部門の担当者の知見で十分ということであれば、何も社外や他部署を巻き込む必要はない。

そして、簡易なシナリオ分析の結果を受け、重要性の高さが明らかとなった場合、より高い階層を巻き込んだ取組みに発展させていけばよいのである。

ただし、気候関連リスクにさらされ事業に大きな影響が生じかねないと投融資側から懸念されている場合には、この限りではない。こうした企業の場合は、シナリオ分析によって明らかになった重要性のいかんにかかわらず、取締役会等しかるべき機関に報告・共有し、ステップ2以下の検討の位置づけを明確にした上で、ステップ6の文書化・開示につなげていく必要がある。

3.2 (ステップ2)気候関連リスクの重要性を評価

このステップについては、「気候関連リスクの重要性(マテリアリティ)を評価」という表現が、その意図をわかりにくくしているかもしれない。このステップで意図されているのは、「気候リスクと自社事業の関わり」の検討である。気候リスクも様々であるが、そのうちどれが自社事業に大きな影響を与えそうであるかをイメージすることが求められている。

このステップ実施の支援のために、TCFDは『技術的補足』において気候関連のリスクと典型的な分類として「市場と技術の転換」、「政策と法」、「評判」、「物理的リスク」を提示しているが、これらを眺めるだけで気候リスクと自社事業の関わりを評価するのは難しい。筆者は、気候リスクと事業の関係性を検討する枠組みをとして、図3のようなチャートを使用する。『技術的補足』が気候リスクを分類したのに対し、このチャートでは気候リスクの影響を受ける事業側を、バリューチェーンの考え方で分解している点が特徴である。

例えば、自動車会社が直面する気候リスクの代表である「xEV時代の到来」は、移行リスクが製品・サービス需要に影響を与えるものであり、図3の「A×[3]」に該当する。食品業界に懸念される気候リスクは、気候変動の物理的影響により農産物の収量・品質に悪影響が発生し、調達に支障が生じるリスクであるが、これは図3の「B×[1]」に該当する。エネルギー多消費・CO2多排出型の素材産業であれば、カーボンプライシングの導入により操業コストが増加する移行リスクに直面している。これは「A×[2]」である。また素材産業は、自動車の「xEV時代の到来」によって需要が増加すると予想されるものも、減少すると予想されるものもある。素材産業が「EVシフト」によって派生する自社製品の需要の変化を移行リスクとして評価する場合、「A×[3]」である。

このような枠組みを踏まえて検討することで、自社事業に潜在的に大きな影響を与える気候リスクが何であり、その影響がバリューチェーンのどのステージで発生するのかを捉えやすくなる。

なお、この段階では、緻密なシナリオ設定や定量的なリスク評価・影響評価は不要である。それらはステップ4で取り組む内容であり、本ステップはそのための前段階であるためである。極論すれば、必要なのは企業人としての直観であり、その集積によっておおよその当たりをつけることとなる。

図3 気候リスクと事業の関係性を検討する
図3

出所:みずほ情報総研

3.3 (ステップ3)一連のシナリオの特定と定義

ステップ2を経ることで、自社が注意すべき気候リスクが移行リスクなのか、物理的リスクなのか、あるいはその両方なのかがみえてくる。また事業への影響がバリューチェーンのどのステージで発生するのかも、ある程度特定されることになる。両者を組み合わせることで、起こりうる気候リスクの影響と対策を検討するために必要なシナリオの要件がわかる。IEAやIPCC等が開発・発表した汎用的な各シナリオの中で、自社の検討に最も相応しいものを選び、必要に応じて条件を加えていく。

なお、TCFDは、IEAやIPCC等が開発・発表した汎用的なシナリオも、自社の評価のために条件等を加えたいわば自社専用のシナリオも、どちらもシナリオと呼ぶ。しかし、両者の区別が不明瞭であると、実務上ミス・コミュニケーションが発生しやすい。そのため、筆者らは前者を「外部シナリオ」、後者を「自社シナリオ」と呼称し、ミス・コミュニケーションを防ぐことにしている。

さて、「外部シナリオ」の選び方であるが、例えばカーボンプライシングによる操業コスト増に備えるべきであれば、カーボンプライシングの価格設定に詳しい外部シナリオを選ぶことになる。移行シナリオとしてはIEAの各種シナリオが適用されることが多いが、大きくは政策中心のWorld Energy Outlook系(IEA CPS、NPS、SDS等)と、技術中心のEnergy Technology Perspective系(IEA RTS、2DS、B2DS等)に分かれる。このうち、カーボンプライシングの価格設定をしているのはWorld Energy Outlook系シナリオであり、これらをベースに、必要に応じて条件を加えていくことになろう。

ここで重要なのは、「外部シナリオ」の限界を知っておくことである。

IEAの各種シナリオは、将来の起こりえる(あるいは「あるべき」)エネルギーミックスやxEVの普及状況については、設定されたシナリオ別に定量的な情報を提供する。これらは、エネルギー元売会社や自動車メーカーが将来の自社製品の需要構造の変化を踏まえ、対策として製品ポートフォリオをどう変化させていくかを考えるヒントとなる。

しかし、xEV普及状況の想定ができても、自動車部品に求める仕様変化や使用される素材の構成比の変化にまでに触れた「外部シナリオ」は筆者の知る限り存在しない。自動車部品メーカーや素材メーカーは、IEA等の「外部シナリオ」をどんなに丹念に学んでも、自社事業への影響を考えるための「自社シナリオ」は得られないのだ。こうした業界の場合、「外部シナリオ」を学びつつ、そこから派生する自社への影響のシナリオを追加していくことが必要である。

ただし、こうした道を歩む場合には、「『外部シナリオ』に自社が勝手に条件・想定を追加して作成したシナリオに蓋然性はあるのか? 投資家を納得させられるのか?」との疑問が生じる。この疑問への唯一解は存在しない。自社の置かれた状況に応じて考えていくことになるが、典型的には、

  • 「外部シナリオ」から自社事業への影響派生シナリオへの道筋がある程度みえているのであれば、「外部シナリオ」を分岐させていくアプローチを取り、そのアプローチと結果が妥当なものであることを内外に示していく。妥当性の担保としては、外部機関の協力を得てオーソライズする、といった手法を取る
  • 投融資側から実際に懸念されているシナリオを中心に検討を行う

等の手法が取りうる。

なお、シナリオを分岐される場合には、分岐要因(いわゆるシナリオドライバー)が複数存在するだけで、生成されるシナリオの数が16個や32個になってしまうこともある。こうした場合に役立つのが、TCFDが『技術的補足』の中でシナリオが備えるべき五つの特性の一つ「独自性」である。「それぞれのシナリオは、主要な要因の異なる組み合わせに焦点を当てるべきである。単一テーマのバリエーションではなく、構造とメッセージにおいて明確に差異化されるべきである」というその概念を踏まえれば、シナリオ策定段階で、一時的に16個や32個のシナリオが生成された場合にも、どう取り組めばよいかがみえてくるであろう。

図4 「外部シナリオ」から「自社シナリオ」へ
図表4

(出所)みずほ情報総研作成

3.4 (ステップ4)事業への影響の評価

ステップ3で設定したシナリオ個々に対して、自社事業が被る影響を評価する。

シナリオ分析の目的によって取組みの軽重が生じるステップであり、また各社の既存の検討の蓄積によってもアプローチが大きく変わるステップでもある。

重要なのは目的と手段を逆転させないことである。事業への影響を定量的に評価することが望ましいが、あくまでも手段であって目的ではない。定量化においては、「どの影響因子がどの程度の派生効果を生むか」という議論が発生し、関係者の合意形成が難しくなることがある。収益への影響の度合いを「大」、「中」、「小」程度の粗い分け方で、半定量的な評価を行うことで、検討の行き詰まりを回避できることも多い。

3.5 (ステップ5)潜在的レスポンスの特定

「潜在的レスポンスの特定」という表現が抽象的であるためややわかりにくいが、端的にいえば、ステップ4で反映した事業影響を低減する、あるいは回避するために取りうる手立てを検討するステップである。

ただし、TCFDのステップ図では、ステップ2→3→4を経たあとに辿りつく段階とされているが、現実にはそれら前工程を行う以前から、やるべきことはある程度みえていることが多い。「農産物への気候変動影響の顕在化を考慮して、調達先を多様化しておきたい」、「xEV時代到来の際には、さらなる車体軽量化が志向されるであろうから、他素材との軽量化競争に負けない技術開発を進める」等の手立て(潜在的レスポンス)は、シナリオ分析の社内プロジェクトを行う前から検討されているはずである。

では、あらかじめみえていた気候リスクへの手立てを再抽出するシナリオ分析には、どのような意義があるのか。

意義の一つは、シナリオ分析実施以前からみえていた手立ての位置づけが、より明確になることである。以前から検討していた手立ては、新たに設定した起こりうる複数の未来のいずれにおいて必要となるのか。また、それによって低減あるいは回避される気候リスクは、自社が直面する気候リスク全体や潜在的レスポンスのポートフォリオの中でどのような位置づけとなるのか。それらがみえてくることになる。

二つ目は、複数シナリオ×複数事業の観点でシナリオ分析を行うことで、これまで事業部門が見落としていた潜在的な事業影響やそれに対する手立てが見出される可能性があることである。

本ステップに取組む際には、「シナリオ分析を行うことで全く新しい成果が出てくる」という認識ではなく、「シナリオ分析によって事業部門側の先行検討の意義がより明確になる」、「見落としていた要素が見えてくる」、「全社視点での展望が利くようになる」という認識を持つことが重要である。

図5 シナリオ分析により全社視点での展望が利くようになる
図5

(出所)みずほ情報総研作成

3.6 (ステップ6)文書化と開示

最後のステップが文書化と開示である。

まず大切なのが、実施したシナリオ分析の諸条件を文書化することである。シナリオ分析はあくまでも仮説に基づく影響評価や対策(レスポンス)の検討プロセスである。使用した想定や条件の設定よって結果は変化し、そもそも評価対象外とされる気候関連リスクも出てくる。こうしたシナリオ分析の限界については、他部署や経営層への報告において極めて重要であり、また以降のシナリオ分析の拡大・深化の際にも不可欠な情報となる。

外部の投融資側への開示については、彼らの持つ疑問・懸念に答えるような情報開示を心掛けるべきであろう。懸念されている気候関連リスクの内容を踏まえ、そのリスクが設定したシナリオに包含されていることを示しつつ、どの程度の影響を自社の事業に及ぼし得るか、そして自社にはどのような対策があるのかを答えていくストーリーが望ましい。

一部のリスクが過大評価されている場合には、その誤解を解くことも必要であろう。また重大なリスクについてきちんと開示し、備えのあることを示すことも必要である。

シナリオ分析は、簡易評価から始まり、複数年かけて拡大・深化されることもあるであろう。その場合は、すべてのプロセスが完遂してから開示するのではなく、段階的な開示を行っていくことを推奨したい。一部の事業のみを対象としたシナリオ分析や、ステップ2~5のいずれか途中までの未完遂のシナリオ分析であっても、それは投融資側に歓迎されるものとなるだろう。開示を契機として対話が深まれば、投融資側が抱く懸念が絞られ、優先順位付けされることも考えられる。シナリオ分析を完遂し、戦略のレジリエンスを検討する上で指針となる情報も得られることであろう。

おわりに

本稿では、今後日本企業がTCFDシナリオ分析の実務に移行していく上で役立つと考えられる情報として、シナリオ分析の重要性・有効性を理解するアプローチや、具体的な実務上のポイントについて概説した。これらは、あくまでも現時点での筆者の経験の範囲で得られた知見であり、今後さらに改善・洗練させていかねばならないものではあるが、2019年3月の時点でTCFDシナリオ分析に挑む日本の企業人の皆様には、何らかの形でお役立ちするかもしれないということでご披露させていただいたものである。拙い内容ではあるが、日本企業のTCFD提言対応の一助となれば幸いである。

本稿では『TCFD提言』等の各種文書の和訳については、特定非営利活動法人サステナビリティ日本フォーラムの私訳*8を参照させていただいた。同フォーラムにはこの場を借りて感謝の意を示したい。

脚注

  1. *1TCFD(2017),“Final Report: Recommendations of the Task Force on Climate-related Financial Disclosures”
  2. *2TCFD(2017),“Technical Supplement: The Use of Scenario Analysis in Disclosure of Climate-related Risks and Opportunities”
  3. *3例えば、Kees van del Heijden et al.(2002),“The Sixth Sense: Accelerating Organizational Learning With Senatios”(邦訳『[入門]シナリオ・プランニング -仮説検証型の意思決定ツール』(ダイヤモンド社))
  4. *4http://www.enecho.meti.go.jp/committee/studygroup/ene_situation/005/ にて参照可能。
  5. *5Energy Technology Perspectiveの2DSや、World Economy OutlookのSDS(Sustainable Development Scenario)等
  6. *6BHP Billiton(2015),“Climate Change:Portfolio Analysis”
  7. *7BEV(バッテリー電気自動車)、HEV(ハイブリッド電気自動車)、PHEV/PHV(プラグイン・ハイブリッド電気自動車)、FCEV/FCV(燃料電池自動車)等の総称
  8. *8https://www.sustainability-fj.org/susfjwp/wp-content/uploads/2019/01/ccc822ae11df3bb3f0543d9bd3c7232d.pdf(PDF/13,620KB)
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