なぜ今、ネイチャーポジティブ経営にウェルビーイングを組み込むか ウェルビーイングとネイチャーポジティブを統合した企業の取組の道筋【前編】
2025年11月20日
サステナビリティコンサルティング第1部
鬼頭 健介
古川 笑
社会政策コンサルティング部
利川 隆誠
はじめに
近年、「ウェルビーイング(Well-Being)」が企業経営やまちづくりなどにおいて重要なキーワードとして注目されている。同時に、サステナビリティ課題のトピックに関しては、気候変動から自然資本・生物多様性へと広がり、「ネイチャーポジティブ」が国際的な目標になりつつある。ウェルビーイングとネイチャーポジティブは異なる領域と捉えられがちだが、実際には相互に密接に関係しており、両者を統合的に取り組むことが、企業のサステナビリティの取組や企業価値の向上を推進するうえでのカギとなる可能性がある。
そこで本稿では、企業がウェルビーイングとネイチャーポジティブを統合して取り組むべき背景や、取組を進める際のポイントを2回に分けて解説する。前編では、ウェルビーイングとネイチャーポジティブの関係性を解きほぐし、統合的に取り組む意義を整理する。
ウェルビーイングとは何か
ウェルビーイングとは「身体的・精神的・社会的に良好な状態にあること」を意味する*1。病気の有無や短期的な幸福だけではなく、精神面や社会面の豊かさなどを内包する広い概念だ。国際的な議論では、2009年の「経済成果と社会進歩の計測に関する委員会」(スティグリッツ委員会)の報告が端緒となり、ウェルビーイングへの注目が高まり、現在は国連が、SDGsの次のグローバルアジェンダとして「Beyond GDP」を掲げ、その中核にウェルビーイングを据えている*2。国内でも、政府は骨太方針2021(経済財政運営と改革の基本方針2021)のなかで、各種基本計画等にウェルビーイングに関するKPIを設定することを明記し*3、2021年からWell-Beingに関する関係府省庁連絡会議を開催し取組を推進している。自治体の動きも活発で、例えば富山県では、県独自のウェルビーイングのKPIを設定し施策を展開している*4。
民間企業でもウェルビーイングの取組が進みつつある。多くの企業が、従業員の心理的安定性の確保などに主眼を置いた「ウェルビーイング経営」に着手している。従業員のエンゲージメントや生産性の向上が喫緊の経営課題となる中で、その重要度は増している。不動産や建設業界では、まちづくりやビル開発において地域住民のウェルビーイングを重視する動きが進んでいる。例えば、東京建物はウェルビーイングをテーマに八重洲の再開発を進めている*5。ビルやオフィスをウェルビーイングの観点で評価する認証制度「WELL認証」を取得する建築物も増えている*6。社内マネジメントだけではなく、顧客やステークホルダーへの価値提供においても、ウェルビーイングの重要度が高まっている。
ウェルビーイング×ネイチャーポジティブの統合の動き
近年、サステナビリティの分野では自然資本に焦点が当たり始めており、ネイチャーポジティブが国際目標になりつつあるが、ウェルビーイングとネイチャーポジティブは不可分な関係にある。人の良い状態を指すウェルビーイングは、自然の良い状態を指すネイチャーポジティブの下支えで成り立っているからだ。例えば、休日の森林浴や休み時間の木陰での休息などで、気分が落ち着いたりリラックスできたりした経験は、皆さんも身に覚えがあるだろう。
こうした認識は国際的にも浸透しつつある。WHOは、2025年に人間の健康と自然の持続可能性に同時に取り組む重要性を指摘しており*7、ウェルビーイング向上に寄与する都市緑地整備のガイドラインを公表している*8。現在、TISFD(不平等・社会関連財務情報開示タスクフォース)が人的資本の開示枠組を作成中であるが、その枠組検討のなかでも人的資本と自然資本の相互作用は重視されている*9。欧州では、イギリスの環境・食糧・農村地域省の執行機関であるNatural Englandが、ウェルビーイングと生物多様性の関係を評価する大規模研究プロジェクトを実施中だ*10。
日本でも、環境省がウェルビーイングとネイチャーポジティブを結びつけた議論を始めている。2024年に策定された第6次環境基本計画では、環境課題に取り組む最上位の目的として国民のウェルビーイングを位置付けた*11。特にまちづくりの領域では政策実装が進んでおり、国土交通省は2024年から、気候変動対策・生物多様性の確保・ウェルビーイングの向上の3つの観点で優良な都市緑地を認証する制度「優良緑地認定制度(TSUNAG)」を開始した*12。今後も、ネイチャーポジティブに関する施策にウェルビーイングを組み込む動きが進むと考えられる。
自然資本・生物多様性がウェルビーイングにもたらす効果
ではここで具体的に、自然資本がウェルビーイングに与える効果を整理したい。自然資本は、「心理的な効果」「生物学的な効果」「機会提供の効果」「脅威低減の効果」の4つのチャネルを通じてウェルビーイングに向上に寄与すると整理できる(図1)*13。
図1. 自然資本・生物多様性がウェルビーイングに与えるポジティブな効果

「心理的な効果」は、自然との触れ合いによるストレス軽減やポジティブ感情の創出、うつ症状の軽減などの効果が該当する。緑地訪問や自然観光、釣り、動植物の観察などの自然体験*14に加え、ガーデニング*15や窓から木々を眺めること*16などでも効果が認められている。この効果に関する取組の社会実装は既に進んでおり、例えば高速道路のサービスエリアでは、ドライバーの心理安定化による”事故のゼロ次予防”の観点で緑地が整備されている*17。
「生物学的な効果」は、自然がもたらす生理学的な効果のことである。例えば、緑地が多い場所で育つと、皮膚や体内の常在細菌などが増えアレルギー疾患の発症が減少すること(生物多様性仮説と呼ばれる)や*18、森林散策により免疫活性が高まること*19などが報告されている。
「機会提供の効果」とは、緑地や森林がウォーキングなどの身体活動や周辺住民の交流の機会を提供し、結果的に身体機能や社会的結束の向上に寄与する効果のことである。社会関係資本の形成が重要視されているまちづくり分野などで、注目されている効果だ。
最後の「脅威低減の効果」は、自然災害などウェルビーイングへの脅威を低減する効果を指す。例えば、湿地は一時的な雨水貯留により洪水緩和機能を、都市緑地はヒートアイランド現象の緩和機能を有することなどが知られ、周辺住民のウェルビーイングに寄与していると言える。災害の激甚化が進むなかで、こうした効果の重要性は高まっている。
ウェルビーイングとネイチャーポジティブを統合して取り組む意義
ここまで見てきた自然資本がウェルビーイングに与える効果の科学的知見を踏まえ、両者を統合的に取り組むことは、企業がネイチャーポジティブの取組を深化させていくうえでのカギになるだろう(図2)。これまで、ネイチャーポジティブの取組は企業価値や収益に結び付けづらく、企業にとって実施意義を説明が難しいことが多かった。そこで企業により身近な概念であるウェルビーイングの観点を織り込み、取組の目的に生物多様性だけでなく地域環境の満足度や幸福感の向上を加えることで、社内やステークホルダーに理解されやすくなり、新たな顧客や投資家の関心を引き込みやすくなる可能性がある。
図2. ネイチャーポジティブとウェルビーイングを統合するメリット

ウェルビーイングとネイチャーポジティブを統合した具体的なアプローチ方法や実施にのポイントについては、次稿で整理する。
-
*1ウェルビーイングの定義には様々なものがあるが、WHOの憲章前文に記載されている「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあること」が参照されることが多い。
https://japan-who.or.jp/about/who-what/charter/ -
*2United Nations「Valuing What Counts – United Nations System-wide Contribution on Progress Beyond Gross Domestic Product(GDP)」
https://unsceb.org/valuing-what-counts-united-nations-system-wide-contribution-beyond-gross-domestic-product-gdp -
*3内閣府「経済財政運営と改革の基本方針2021」
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/honebuto/2021/decision0618.html -
*4富山県「富山県ウェルビーイング指標の策定について」
https://www.pref.toyama.jp/101741/toyama-wellbeing-indicator.html -
*5東京建物「Well-Being Book」
https://tatemono.com/news/20250303.html -
*6International WELL Building Instituteウェブサイト
https://resources.wellcertified.com/tools/project-checklist-well-community-standard/ -
*7World Health Organization. Regional Office for Europe. (2025). Nature-based solutions and health. World Health Organization. Regional Office for Europe.
https://iris.who.int/handle/10665/381437 -
*8World Health Organization. Regional Office for Europe. (2021). Green and blue spaces and mental health: new evidence and perspectives for action. World Health Organization. Regional Office for Europe.
https://iris.who.int/handle/10665/342931 -
*9TISFD(Taskforce on Inequality and Social-related Financial Disclosures)「Conceptual Foundations Discussion Paper」
https://www.tisfd.org/news/tisfd-releases-its-conceptual-foundations-discussion-paper -
*10Phillips, B. B., Garrett, J. K., Elliott, L. R., Lovell, R., Kibowski, F., Lamont, R., & Gaston, K. J. (2025). The Renewing Biodiversity Longitudinal Survey (ReBLS): Protocol for a panel study. People and Nature, 7(4), 815-827.
https://doi.org/10.1002/pan3.70014 -
*11環境省「第6次環境基本計画」
https://www.env.go.jp/council/02policy/41124_00012.html -
*12TSUNAG制度ウェブサイト
https://tsunag-mlit.com/ -
*13以下の論文を参考に、みずほリサーチ&テクノロジーズで類型化・整理した。 Robinson, J. M., Breed, A. C., Camargo, A., Redvers, N., & Breed, M. F. (2024). Biodiversity and human health: a scoping review and examples of underrepresented linkages. Environmental Research, 246, 118115.
https://doi.org/10.1016/j.envres.2024.118115 -
*14高橋卓也, 内田由紀子, 石橋弘之ら. (2021). 森林に関わる主観的幸福度に影響を及ぼす要因の実証的検討. 日林誌, 103(2), 122-133.
https://doi.org/10.4005/jjfs.103.122 -
*15Soga, M., Gaston, K. J., & Yamaura, Y. (2017). Gardening is beneficial for health: A meta-analysis. Preventive medicine reports, 5, 92-99.
https://doi.org/10.1016/j.pmedr.2016.11.007 -
*16Soga, M., & Gaston, K. J. (2025). Health benefits of viewing nature through windows: A meta-analysis. BioScience, biaf089.
https://doi.org/10.1093/biosci/biaf089 -
*17漆谷綾乃, 小笠原秀治, 淵江知宏, & 岩崎寛. (2024). 高速道路休憩施設における緑地のあり方~ ゼロ次予防緑化~. 日本緑化工学会誌, 50(1), 159-162.
https://doi.org/10.7211/jjsrt.50.159 -
*18Roslund, M. I., Puhakka, R., Nurminen, N., Oikarinen, S., Siter, N., Grönroos, M., ... & Vari, H. K. (2021). Long-term biodiversity intervention shapes health-associated commensal microbiota among urban day-care children. Environment International, 157, 106811.
https://doi.org/10.1016/j.envint.2021.106811 -
*19Li, Q., Morimoto, K., Kobayashi, M., Inagaki, H., Katsumata, M., Hirata, Y., Hirata, K., Shimizu, T., Li, Y. J., Wakayama, Y., Kawada, T., Ohira. T., Takayama, N., Kagawa, T., & Miyazaki, Y. (2008). A forest bathing trip increases human natural killer activity and expression of anti-cancer proteins in female subjects. J Biol Regul Homeost Agents, 22(1), 45-55.
(CONTACT)











