世界の課題、気候変動。
企業活動にも対応が迫られる。
2015年のパリ協定採択以降、「ESG投資」の世界的拡大に伴い、環境・気候変動リスクへの対応戦略を有しない企業の株価下落傾向が一層顕著になってきたことを受け、「TCFD」は登場した。そのきっかけにもなったパリ協定が採択されたのは、第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)だ。パリ協定は世界の平均気温上昇を、産業革命前と比較して2℃未満、可能であれば1.5℃に抑える努力を追求することを目的としており、今世紀後半(2050~2075年)には世界全体の温室効果ガス排出量を実質的にゼロ、すなわち「脱炭素社会」の実現を掲げている。これを受けて、G20財務相・中央銀行総裁会議の要請の下、「脱炭素社会」を目指す取り組みが国家レベルで推進されるようになった。
「TCFD」が最終提言を公表したのは、2017年6月のこと。その中で示されている目的の一つが「気候関連リスクと機会について情報開示を行う企業を支援すること」というものだ。世界的な課題である気候変動は、企業活動に大きな影響を及ぼすファクターとなっており、投融資の分野でも企業が気候変動に関してどのような対応を行っているか、という情報は投資判断するための重要な指標の一つになりつつある。言い換えれば、CO2を大量に排出する企業は投資家から見捨てられる時代が到来しているといっても過言ではない。「TCFD」の最終提言以降、日本でも大手企業を中心に、気候変動リスクへの対応戦略を打ち出す必要性が高まる中、当社ではその対応支援のための検討が進められていた。2018年、当時再生可能エネルギーの担当だった柴田は、新たに立ち上がった「ESG戦略タスクフォース」に参加。「TCFD」対応業務のリーダーとして役割を果たしていくことになる。
伊「私は入社以来、約20年にわたって、環境・気候変動に関わる企業コンサルティングに携わってきました。しかし、これまでのCSR活動は、慈善活動的な企業の広報・広告のツールとされていた面があり、また価値観の議論に終始していた面も少なくなかったと感じています。私は当初から、環境・気候変動への対応は、企業の社会的責任だから行うのではなく、企業のみならず人類・社会が、今後存続可能であるかどうかという観点で臨むべきだと考えていました。『TCFD』の登場で、私がやりたいこと、やるべきことが明確に示されたと感じていました。」(柴田)
「シナリオ分析」により、
発想と価値観の大転換を。
「TCFD」では、「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標・目標」の4項目について、自社への財務的影響のある気候関連情報を開示することを推奨している。さらに、気候変動関連のリスクや機会は中長期的に現れる場合が多いことから、特に「戦略」分野においては、複数の異なる条件で戦略を分析する「シナリオ分析」を取り入れた情報開示が求められている。戦略立案時に「シナリオ分析」をしておくことにより、様々な対応策を事前に検討し、適切な準備をしておくことが可能となる。
「TCFD」は気候関連リスクを「物理的リスク」と「移行リスク」に分類している。「物理的リスク」は、気候変動に起因した気象災害によるリスクのことを指し、「移行リスク」は、「脱炭素社会」に移行する際に、気候変動に関連する対応策に取り組むことによって発生する、広範囲におよぶ政策、法規制、技術、市場などの変化に伴うリスクを指す。「移行リスク」は、企業の将来性や持続的な成長を考える上で極めて重要なテーマであり、柴田が行った「シナリオ分析」の多くは「移行リスク」に関わるものであった。
「『TCFD』は、理念中心で具体的な方法論が書かれていない欧米式スタンダードです。そのため、読んでも具体的に何をすればいいのか分かりません。ただ私には、10年来理念型の欧米式スタンダードを実務に落とし込んできた経験がありました。その経験を活かしながら『TCFD』の原典となる事例に立ち返り、大本の発想や実務事例と現状の環境戦略業務のレベル感とを照らし合わせることで、想定される実務を描き出しました。その仮説を企業コンサルティングに適応させ、クライアントとともに『シナリオ分析』を磨き上げていきました。」(柴田)
「シナリオ分析」はクライアントごとに異なるものだが、柴田がいずれの企業に対しても訴求したのは、気候変動がもたらすインパクトと世界は確実に「脱炭素社会」に向かっていること、すなわち価値観の大転換が進行しているということだった。なぜ環境・気候変動リスクの本質を理解し、その対応戦略を打ち出さねばならないのか、それが企業の行く末のためにいかに重要であるかをクライアントに説き、未来をリアルに感じ、考えてもらうことが必要だった。
たとえば、化石燃料と共に生きてきた業界は、既存資源の有効活用に注力、原油を100%無駄にせずに利用していることが善であるという発想に立っている。しかし、近い将来、化石燃料の燃焼に莫大な税金が課せられることが想定されている上、EUをはじめとする世界各国では、2050年にCO2出実質ゼロが目標とされていることからも(日本政府も同様の目標を打ち出した)、化石燃料を使うこと自体が排除される時代がくるだろう。ならば、早急に再生可能エネルギーへのシフトチェンジを検討する必要がある。さらに、化石燃料の利用が困難になる未来を想定すれば、今後有望なエネルギー源とされる水素についても、現在の石油からの精製ではなく、太陽光発電を活用した製造へ変えていく必要があるといった具合だ。「TCFD」の登場で、常識とされていた、あるいは前提条件とされていた発想、価値観を大幅に変えることが、企業に求められている。
当社が培ってきた
ノウハウや組織風土が
「TCFD」対応支援の駆動力に。
「TCFD」への対応は新しい取り組みながらも、一つひとつを分解していけば、その要素技術は当社に蓄積されているものばかりであった。さらに、「TCFD」への対応の最大の課題とされた「シナリオ分析」においても、気候関連リスクに関する事業の将来予測、気候変動がもたらす影響のシミュレーション、脱炭素技術に対する理解、クライアントとのワーキング形式での検討の進め方など、すべての要素が当社の内部にあったことが大きな強みとなった。言い換えれば、「TCFD」の要求を要素技術の機能に分解し、各要素技術の成果をオーガナイズすることができれば、「TCFD」の要求およびクライアントの要請に応えることができるのだ。また、その実現のためには「助け合う」「面白そうな新しいことにチャレンジする」といったチームや部門を越えた連携がしやすい文化的土壌も、「TCFD」対応支援を前進させる駆動力となった。「シナリオ分析」を含む気候変動に対する企業の取り組みは、各社の「サステナビリティ報告書」を通じて情報開示され、最終的には有価証券報告書へ記載されることで、投資家へ大きなインパクトをもたらすものとされており、企業の国際的な評価・維持に直結する。
柴田の取り組みは「シナリオ分析」を終えることが一つの節目となるが、それで終わったわけではない。現在想定される将来のシナリオに対して、どのような対応を講じる必要があるか、そして、その対策をいつまで、どのような形で実行していくのかなど、「ゼロエミッション(排出ゼロ)」「脱炭素社会」に向けたロードマップ作りが必要となる。
「シナリオ分析については、もはや『分析を行うことが最大の課題』であった時期は過ぎ去り、現在は『分析結果を踏まえて何をしていくか』が問われるフェーズに入っています。また、戦略策定後には、その実行に向けた投資計画・資金調達の検討が必要になってきます。今後は〈みずほ〉のコンサルティング企業として、『戦略を作って終わり』ではなく、実行のための投資計画や資金調達までトータルでサポートをするなど、コンサルティングと金融の連携・融合を目指していきたいと思っています。」(柴田)
2021年6月のコーポレートガバナンス・コード改定により、プライム市場上場には「TCFD」への対応が事実上必須要件となり、また同年10月には「TCFD」自身が付属書の改定を行い、「シナリオ分析」に求める財務影響評価の水準が引き上げた。つまり、すべての上場企業において「TCFD」への対応が実質的に義務化され、またその難易度が高まっているということである。もちろん、今後さらなる情報開示、取り組み強化が求められる可能性も高い。「TCFD」対応への社会的ニーズが一層増している状況の下、気候関連リスクへの対応戦略や情報開示において、日本企業が日本の文化的・土壌的独自性を強みとして、リスペクトされる普遍的なストーリーを世界に提示すること。それを追求することが、柴田のミッションである。
※所属部署は取材当時のものになります。