台風によって発生する高潮をシミュレーションし、
陸側各地点の浸水状況を予測する。
2019年10月12日、日本に上陸した台風19号は、「令和元年東日本台風」と命名され、日本列島の広い範囲で河川氾濫や土砂災害など甚大な被害をもたらした。また最近では、2023年の台風9号も沖縄や西日本で大きな被害を発生させたことが記憶に新しい。
「現在の日本では、過去に被害をもたらした台風データから想定される台風に対して、シミュレーション等を活用することで防災計画が策定されています。一方で、近年は地球温暖化などにより気候条件も変わってきており、発生する台風の傾向も変わってくる可能性が考えられています。そのため、気候変動の影響も考慮した新しい防災計画を策定する手法の研究が進められています。」
このように話す坂本は、当社のサイエンスソリューション部において、高潮など海岸分野のシミュレーションに取り組むエキスパートである。高潮とは、強風や気圧低下によって海面が異常に上昇する現象のことである。台風というと強風や豪雨が注目されがちだが、高潮も時には大きな被害をもたらすため、島国である我が国においては高潮に対する防災施策もきわめて重要なテーマとなっている。
坂本が現在取り組む、台風時の高潮シミュレーションに関するプロジェクトは、新しい防災施策の基礎となるものといってよいだろう。
「今回のプロジェクトでは、近年の気候変動による台風の傾向も踏まえた台風条件の検討を行っています。そして設定した台風条件に基づいて高潮シミュレーションを実行し、沿岸の各地点における影響を予測します。現在は研究段階ではありますが、今回のプロジェクトの成果により新しい防災計画の策定に寄与したいと考えています。」(坂本)
台風の条件の設定では、台風の強さを示す中心気圧やスピード、進路などの条件を、過去の台風データやd4PDFと呼ばれる地球規模の気候データセットをもとに統計学的に解析を行っている。また、不確実な事象において起こり得る結果を推定するモンテカルロシミュレーション等も活用し、気候変動を踏まえた台風条件の設定方法を検討している。
さらに本プロジェクトでは、これらの結果から、陸側へどのように浸水していくのかシミュレーションを行い、各地点における浸水状況を予測する。
「海岸と陸側の浸水については、これまで社内でも単体で行われたシミュレーションはありましたが、このように連携させて行うシミュレーションは、当社でもあまり経験がなく、個人的にも新しい知見を得ることができました。」(坂本)
地震によるリスク評価をスピーディーに実現するために、
AIを用いた評価モデルの開発に
チャレンジ。
当社のサイエンスソリューション部では、地震防災の分野においてもAIを活用した最先端の取り組みを進めている。地震に対する防災計画の策定で重要な要素となるのが、地震時に建物がどのような揺れ方をするかを予測するシミュレーション技術。この地震応答解析にAIを活用しようというチャレンジに賀須井は取り組んだ。
「地震がどのような場所(震源)・規模で発生するかを事前に特定することは困難なため、現状の地震リスク評価では多種多様な地震シナリオを想定し、それら一つひとつを数値シミュレーションで解析することによって構造物の揺れの予測結果を得ています。しかし、この手法には膨大な労力と時間を要するという課題があります。そこで、これまで蓄積してきたシミュレーション結果をAIに学習させ、新しい地震シナリオに対しても迅速に揺れを予測できるモデルの開発に取り組みました。」(賀須井)
このように従来行われてきた物理現象に対する数値シミュレーションをAIに代替するモデルは「サロゲートモデル」と呼ばれ、評価プロセスの高速化を目指した活用が様々な分野で進められている。
「AIの導入では、学習対象となるデータセットをいかに的確に前処理するかが大きなポイントとなります。今回のプロジェクトでは、データセット全体として持つ情報を十分に保持しつつデータサンプルの容量を減らす『低次元化』といわれる前処理手法を用いています。私は、主にこの実装と分析を担当しました。」(賀須井)
今回開発した予測モデルは、まだ初期段階のものであり、特定の建物や地震を対象に試作的にモデルを構築し、その精度を高めていくことが目標となった。本格的に導入するためには、AIモデルとしての精度向上、汎用化など、まだまだ乗り越えなければならない壁は多い。とはいえ、AIを用いた予測モデルは、防災分野のシミュレーションに新たな可能性をもたらすチャレンジであることは間違いないだろう。
より高精度な防災
シミュレーションを目指し、
最新の科学技術の融合を
図っていく。
坂本が取り組む高潮シミュレーションのプロジェクトでは、海岸と陸側を連携させたシミュレーションによって、陸側の各地点における浸水リスクを可視化したマップの作成を最終目標としている。さらに、坂本の視線はその先までも見据えており、より高精度な防災シミュレーションに取り組んでいきたいと語る。
「当社には、河川分野などの専門家も在籍しており、河川や下水道の氾濫まで含めた都市型水害シミュレーションの知見も有しています。これらの技術と私が専門とする海岸分野における技術を融合させることで、様々な水害に対して、海から陸まで一体化させたシミュレーションが可能になるはずです。」(坂本)
一方、AIを用いた地震の予測モデルにおける今後のテーマについて、賀須井は次のように話す。
「今後、自然災害に対してAI予測を活用していくためには、精度の向上に加えて、物理的に矛盾のない予測が可能か否かを含めた「説明性」についても十分に検討しなければなりません。自然言語や画像処理などの分野で革新的な成果をあげているAIですが、それを物理法則に基づく現象、とりわけ自然災害の予測に適用し、人命を預かるに足る信頼性を備えたモデルを構築することは容易ではないのです。しかし、それだけに挑むべき価値も大きいといえます。」(賀須井)
防災分野におけるAI活用については、坂本も同じ意見だという。また、坂本は、AIばかりでなく、IoTなど近年著しく進歩しているセンシング技術にも注目している。海岸や河川に設置した観測装置によるデータとシミュレーションを融合させたリアルタイムな災害予測も、ぜひ挑んでみたいと考えているテーマの一つだ。
自らの成長を後押しする
チャレンジングな環境。
その挑戦を通じて、
社会に広く貢献していきたい。
これは防災分野に限られたことではないが、当社における技術開発の強みについて、「豊富な知見の蓄積と多様な技術者との連携」と二人は声を揃えて語る。
「今回のプロジェクトの特徴のひとつは、台風という事象に対して、海から陸まで一貫したシミュレーションを行う点です。チームで議論を重ねてお互いの専門分野への理解を深めながら開発を進めています。」(坂本)
「プロジェクトを通じて、メンバーそれぞれの専門性に対する理解が深まり、信頼関係が深まりました。このプロジェクトで得た経験と人脈は、これからの技術開発においても大切な財産になると感じています。」(賀須井)
また、賀須井は、当社で科学技術に携わる魅力について、「自身の成長を後押しするチャレンジングな環境と、その挑戦を通じて社会に広く貢献できること」をあげる。坂本も、同じ想いを抱いて日々開発に取り組んでいる。
今回紹介したプロジェクトは、どちらも公的な研究機関を顧客としたものだ。それだけに、我が国の防災施策に深く関わるテーマといってもよいだろう。台風と地震。これらは、日本にとってきわめて大きな自然の脅威だ。人々の安全で安心な生活を守るために、当社はこれからも科学技術を深化させていく。
※所属部署は取材当時のものになります。